5.
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がたがたと風が窓ガラスを揺らす音が鳴り響いてくる。
カーテンの隙間からのぞき込めば、一面の白が街の姿を覆い隠していた。
先週に続き、この冬二度目の大寒波が訪れ、横浜はかつてないほどの吹雪となっている。
みくるの通う小学校は本日の休校を決定。土日を含む三連休となった。
そのため、みくるは暖かな室内で過ごすことができている。だが、その内心には不安が渦巻いていた。
ミエーレがいまだ帰ってこないのだ。
冬の戦乙女をやっつけに行ったのだから、寒波が収まらぬうちに帰ってくるわけがないのはわかっている。
彼は週末にはけりをつけると言っていた。このまま待っていれば、今夜にでも帰ってくるのかもしれない。
けれど寒波はこの二晩でまた力を強め、ミエーレと出会ったあの日よりもひどくなってしまった。
「ミエーレ、だいじょうぶだよね」
湯気を昇らせるココアに口をつけることなく、みくるはテーブルの上に幾度目かのため息をこぼした。
両手で包むように抱えたカップからは確かな熱を感じるのに、指先はいつまでも温まってくれない。
ミエーレからの連絡はなく、無事は杳として知れないまま。ひどくなる天候に、不安だけが膨らんでいく。
ミエーレに会ったあの日からすっかり忘れていた、胸に開いた穴の存在を思い出してしまう。
「わたしにできることがあればよかったのに」
ミエーレからは開いた者として気をつけるべきことは教わったものの、幻想使いとしての勉強はまだしていなかった。
自分に戦う力があるならば、ミエーレを手伝いたかった。だが、今のみくるは一般人となんら変わりない。
下手に幻想域を感知できてしまう分、むしろ一般人より危険なくらいだ。
「……やだな、こういうの」
みくるが兄と二人だけになったとき、幼いみくるは何ひとつ兄の力になることができなかった。
両親がいなくなったという事実は同じなのに、兄は守る側で、みくるは守られる側だった。
社会において、子供は守られる立場だ。生活を支えるためにお金を稼ぐこともできない。させてもらえない。
子供であるというだけで、大切な相手のために行動することさえ許されないことが悔しかった。悲しかった。なによりも、さみしかった。
「さみしいよ、ミエーレ」
言葉にしてしまえば否応無く思い知る。
大人であればとか、幻想使いであればとか、全部全部、建前でしかない。
兄と助け合いたかった。
ミエーレがケガをしていないか心配だ。
一人で過ごす夜はさみしかった。
だから、ミエーレに会いたい。
温かくてふわふわな、お日様のぬくもりをそのまま形にしたような彼の体を抱きしめたい。
だからだから、これ以上は。
「待っているだけなんて、わたしには無理だよ。ミエーレ」
きっと迷惑になるだろう。それでももう、みくるは止まれなかった。
勢いよく立ち上がり、お気に入りのコートに腕を通す。
肩掛けのバッグには、タオルと買い置きの使い捨てカイロを詰め込む。
水筒にミエーレの舌でも飲めるくらいに冷ましたお湯。ついでにビスケットもバッグに放り込んだ。
マフラーとニットの帽子、手袋を身につけ玄関へ。傘は使えないだろうから、最後に大きめのレインコートとゴム長靴。
これで装備はそろった。
「よし、行こう」
マンションを飛び出ると、すぐさま強い寒風が頬に突き刺さってきた。
雪は容赦なくみくるの肌から体温を奪い、冷たいを通り越してもはや痛い。
数分も経たないうちに、指先や耳たぶがじんじんと痛みを訴えるのだ。
マフラーを持ち上げ吐き出す息でわずかな暖を得ながら、みくるは前を向く。
(さむい、さむい、さむい……でも、ミエーレは戦っているんだ!)
彼の姿を思い浮かべれば、体の内から熱が湧き上がる。
まるでお日様色のその身から、春の陽光を分け与えられているみたいに。
雪道を踏みしめ、風のやってくる方へと進む。
ミエーレがどこにいるかはわからないが、この寒波は冬の戦乙女が起こしている。
だからこの吹雪が起きている場所に戦乙女はいる。確証はないが、不思議と自信がある。
冬の戦乙女がいるなら、きっとそこにミエーレも。
「きゃっ」
時折強い風が吹きつけ、みくるの軽い体をよろめかせる。足下も不確かで、その歩みはどうしたって遅くなる。
けれど、一歩。また一歩。
ざくざくと雪面に足跡を刻みながら、みくるは確かな意志をもって進み続ける。
みくるは知らない。その強い意志こそが、幻想を従え我が物とする幻想使いの大本であると。
「ミエーレ、待っててね……」
前後左右、どこもかしこもが白に染まっている。
見知った街のはずなのに、自分が今どこを歩いているかさえわからない。
吹きすさぶ雪に天地さえ見失い、まるで空へ昇っているかのよう。
あまりにも不確かで現実からかけ離れた、そこは幻想の世界。
それでもみくるの足は止まらない。
不安はある。恐怖だってきっとある。だけどそれ以上に望み希うことがある。
だからみくるは足を踏み出す。現実という名の大地を、願いのままに歩むのだ。
「すぐ……っ、迎えに行くから……!」
確かな熱を持ったつぶやきは、すぐに強い向かい風にかき消され――
かすかに吹雪の向こう。冷徹な眼差しをたたえた、白銀の鎧を纏う女騎士の姿が見えた。
「いた……、わあっ!」
思わず駆け出そうとし、雪に足を取られてつんのめった。
知らないうちに足が埋まるくらい雪は積もり、みくるの体力もすっかり奪われていた。
(落ち着け……、ミエーレに教えてもらったじゃない。焦りは幻想に飲まれる最大の原因だって)
膝に力を入れて、しっかりと立ち上がる。
それから全身に力を込めて、呼気とともに力を抜く。焦りも不安も恐怖だって、全部まとめて吐き出してしまえ。
兄が教えてくれたこのルーティーンは、いつだってみくるを助けてくれた。
ほら、今も。二度、三度と繰り返すうちに、不思議と寒さまで和らいでいるみたいで。
「えへへ……、うん。行けそう。ありがと、お兄ちゃん」
みくるが大好きな人たちが教えてくれたことが、今のみくるの力になっている。
離れていても大事な物はここにあると気付いて、みくるはたまらなくうれしくなった。
「ミエーレぇっ!」
今一番、会いたい相手の名前を叫ぶ。それだけで疲労なんてどこかに飛んでいってしまった。
希望を胸に、みくるは全霊を込めて駆け出した。