3.
3.
「……うわあ」
ミエーレと出会った翌朝である。
みくるは目覚めてすぐ、カーテンを開いた先にあった光景に思わず声が出た。
降りしきる白雪。バルコニーには積雪も見える。
横浜の海沿いでは数年に一度見られるかどうかといった景色だ。
灰色の空は屋内にいても寒さを感じさせるものの、警戒されていたような吹雪は夜半のうちに収まったようだ。
それでも外出は控えたいところだ。ならば今日は暖房に頑張ってもらい、パジャマ姿で過ごすことに決める。
なにせ今日からしばらくはミエーレがいるのだ。厚着をしていては、抱き上げた際にせっかくのふわふわを堪能しきれない。
室内用のポンチョだけを羽織り、リビングに入れば、ソファーの上から朝の挨拶がやってきた。
「おはよう、みくる」
「うん、おはよ。エアコンついてなかったけど、寒くなかった?」
「ああ、僕には自前の毛皮があるからね。ソファーとクッションだけで十分温かかったよ」
「なんか思ったより冷えなかったよね。寒波、弱まったのかな」
エアコン、テレビとリモコンを続けて操り、天気情報に耳を傾ける。
いまだ関東には強い寒気が留まっており、降雪は週明けまで続くようだ。
寒さと雪による不便は困りものだが、ミエーレの滞在が長くなるのであれば歓迎できないこともない。
そんなことを考えていると、ミエーレが思いがけないことを口にした。
「この寒波は自然のものではないから、しばらくは続くことになると思うよ」
「どういうこと?」
「幻想域の存在である冬の戦乙女がこの街で暴れているんだ。困ったことにね」
冬将軍という言葉は有名だが、冬の戦乙女はその親戚みたいな妖であるとミエーレは言う。
冬の戦乙女は周囲に厳冬をもたらす。この寒波は彼女が存在する限り、止むことはないそうだ。
「普通の人は戦乙女が見えないから、異常気象としてしか捉えられないんだけどね」
「大変じゃん! その冬の戦乙女はどうしたらいなくなるの?」
「彼女のような肉体を持たない妖は、霊力が尽きてしまえば消えてしまう。普通なら数日もしないうちに力を使い果たし、自然と消えてくれるんだけど……この付近に龍穴が開いた可能性がある」
「りゅうけつ?」
「簡潔に表すならば、霊力が湧き出る場所だね。龍穴から霊力を補給している場合、ずっと居座ることになる」
それはとんでもない話であった。
そもそもミエーレは冬の戦乙女の出現を感じ、彼女を打ち払うためにこの街に来たのだという。
だが遭遇した戦乙女は霊力が尽きる様子がなく、逆に追いつめられる羽目になってしまった。
なんとか撤退に成功したミエーレは、戦乙女の不可解な霊力量について考察。結果、龍穴が存在する可能性が高いと判断したとのことである。
「まあ確かなところは調べてみないとわからないけれどね」
「なんていうか……、大変だったんだね」
みくるとしては龍穴うんぬんより、寒波を引き起こすような相手とミエーレが戦っていたということの方が大事だった。
バルコニーで休んでいたのも、戦乙女との戦闘で消耗していたからにほかならないのだ。
それなのに、ミエーレはとんでもないことを、ごくあっさりと言い放つ。
「ゆっくり休めたおかげで、しっかりと回復できそうだ。明日からはまた調査に戻るよ」
「ええっ、危険だよ」
「放置はできないからね。だいじょうぶ、調査が済むまでは戦闘は避けるさ」
調査だけならば安全であるといえるのか。
いや、そもそも彼の言い方では、調査が終われば戦闘も行うかのようではないか。
ミエーレがそんな危険を冒す必要はないと思うものの、ほかの知らない誰かなら構わないと考えることもできない。
結果出てくるのは、ミエーレの選択に対する疑問だけだ。
「なんで……」
「うん?」
「なんで、そんな危険な相手と戦おうって思えるの……?」
その問いかけは、彼にとっては意外なものだったのだろうか。
瞳を丸くしてこちらを見つめたあと、目を細めて笑ってみせた。
「だって、困っている人がいるじゃないか」
すごく簡単で、とてもわかりやすい理由だった。
不幸は少ない方がいい。だから助け合う。他者との繋がりで、もっとも簡潔なもののひとつ。
普通の人には理解すらできない問題だから、幻想使いであるミエーレが対応する。
彼はそれを当たり前のことだと捉えているのだ。
「ミエーレは立派だね」
「そうかな?」
みくるは幻想使いになれたらいいなとは思っても、その力を知らない誰かのためにとは考えなかった。
普通の人には理解できないのだから、開いた者に関わる事柄でのみ使うようにすればいいのだと判断していた。
ミエーレの在り方はとてもまぶしくて、小人物な自分がなんだか情けなく感じてしまう。
気恥ずかしさを覚えたみくるに、ミエーレは優しい顔を向けた。
「みくるだって、困っている僕に当たり前のように救いの手を差し伸べてくれたじゃないか」
「それは……」
「僕はね、人が好きなんだ。だから困っていたら助けたいと思う。ただそれだけのことなんだよ」
猫が好きだからという理由でミエーレを助けようとしたことを、彼は理解しているようだ。そのうえで、みくるの行為を肯定する。
助けたかったから手を差し伸べた。それで良いのだと。
「みくるは、この寒波に困っているかい」
「……うん。このままじゃ学校に行くのも、お買い物も大変」
「だったら僕がみくるを助けるよ」
ミエーレは楽しそうに約束してくれた。
強く優しい彼に報いてあげたいと、みくるは思う。
自分がしてあげられることはなんだろう。そう考えて、すぐに答えは出た。
「うん、よし。それじゃ、朝ご飯にしよう」
「その前に顔を洗ってくるといいよ」
言われるままに洗面台へ向かい、冷たい水でしゃっきりと目を覚ます。
それからキッチンに入ると、みくるは迷いなく調理を始める。
おいしいものを食べれば体も心も元気になるものだと、みくるは思う。
一人のときはやる気も出ないが、食べさせたい相手がいるなら何の苦にもならない。
猫が食べられる食材や味付けは、昨日のうちにミエーレに確認しておいた。
結論から言えばキャットフードが一番らしいが、備えがなかったのであり合わせで用意するしかない。
昨晩の夕飯は豚肉だったが、ミエーレは満足していた。魚を用意できなかったことを謝ると、ミエーレは別に魚が好物ということはないと教えてくれた。
みくるもどちらかといえば、魚より肉がいい。たったそれだけの共通点でうれしくなってしまうみくるなのであった。