フレンチトースト、或いはパン・ペルデュ。貧しい騎士の友たるこの退廃的な食べ物(7)
ちょっと短いですが、キリがいいので。
「うふふ、んふふふふ……」
えらくご機嫌な様子で含み笑いしている坊っちゃんは、しっかりと右手にスプーンを握りしめ、お目々を爛々と輝かせて目の前に置かれたデザートの皿を見つめている。
正直、その笑い声は不気味だ。見ている周囲としては、何だかビミョーに残念な気持ちにさせられる。
意気揚々とデザートスプーンを振り上げ、コンコンと表面のキャラメル化した砂糖の膜を打ち崩す様は、どこの映画のヒロインだよとツッコミたくなるようなコミカルな仕草だ。
ぱくり。
「ん〜っ」
ほのかに蜂蜜とオレンジフラワーの香りが漂うお母さん特製バーントクリームは、坊っちゃんにも大変満足のいくデザートであったらしい。
「美味しいのぅ、美味しいのぅ」
はむはむはむ。
左手でご自分の頬をおさえながら、坊っちゃんは濃厚なカスタードの味を堪能している。
どっかで見たような光景だなと記憶を手繰り寄せてみると、既視感があるのも道理、亡きご領主さまがいちじくのプディングを召し上がっておられた時の表情にそっくりだと思い至る。うーむ、親子。
「さすがアグネスじゃのう」
「お言葉ありがたく。家内も喜びますでしょう」
紅茶を注いだカップを差し出したお父さんが謝意を示すと、坊っちゃんはミルクを入れてかき混ぜながらポツリとこぼした。
「本当はの、馬に一人で乗れるようになったら連れてきてくれるはずじゃったんじゃ……」
誰との約束とは皆言われずとも察せられた。
「では、それまでいちじくのプディングはおあずけでございますね」
「……そう、なるかのう」
お父さんの目尻の皺が深くなる。
琥珀色の目を細め、小さな伯爵さまに語りかける表情は柔らかい。
「すぐに食べれるようにおなりです」
「うん」
「大旦那さまはシラバブがお好きでした。お酒が飲めるようになれば、お出しいたします」
「うん」
「いつでもお寄りくださいませ。私も家内もお待ちしております」
「うむ。ありがとう、ロバーツ」
あらら……横目でミスター・サイラスとショーンさんを伺うと、二人とも微笑ましそうに坊っちゃんを見ている。
「よろしいんですか?」
「うん?」
「そりゃあ、ウチのお父さんは元執事ですけど」
手にしていたカップとソーサーをテーブルに置き、ミスター・サイラスはその長い脚を組み替えた。そのいちいちが様になるというか、やたらと絵になるところが凄い。かと言って、舞台俳優のようなわざとらしさもない。
ほんとに執事なのかな、このひと。
「リリー。上流階級、特に貴族の子供はね。赤児の頃から子供部屋で養育されます。育てるのは乳母や子守係の役目なのですよ。少し大きくなれば家庭教師がついて教育し、年頃になれば男子は寄宿学校に放り込まれます」
「はあ」
「実の親でも顔を合わせる時間が少ない。もちろん若……旦那さまも奥さまも、坊っちゃんを愛していましたよ。ただ、一緒に過ごした思い出が少なすぎますからね」
「せめてねぇ、ご兄弟があれば良かったのにとは俺も思いますよ」
ショーンさんが苦笑いしながら言う。
前世でも今生でもきょうだいのいる家庭で育ったわたしからすると、ちょっぴり一人っ子という立場に憧れがあったのだが、いざ坊っちゃんのような身の上を知ってしまうと、やはり兄弟姉妹はいた方がいいのかと考えてしまう。
難しいな。
「ミスター・ロバーツは旦那さまのお若い頃をよくご存知ですから」
「……?」
「館の皆から聞くだけより、もっと身近に感じることができるでしょう」
ああ、そういうことか。
「愛され弟キャラでしたもんねぇ、ご領主さま」
うん。坊っちゃんのモブ顔は完全に遺伝だ。納得。
そこまで考えて、はて?と疑問が浮かぶ。
「そういや奥方さまの側のご親族っていらっしゃらないんですかね?」
わたしとしてはごくプリミティブな疑問でしかなかったのだが、その時の執事と従僕の苦々しげな表情ときたら。
正直、ドン引いた。
「リリー」
「あ、理解しました。うん」
どうやら坊っちゃんに近寄らせてはいけない人種らしい。
とりあえず、見ない顔にはチェックを入れとこう。そうしよう。
奥方さまは良い方だったんだけどな。
バーントクリームにオレンジフラワーウォーターで香り付けするのは、昔のレシピだとよくあったらしく、レモンピールやナツメグ、シナモンなんかもあったそうです。
シラバブは生クリームと白ワインがメインのふわっとした甘いグラスデザート。大抵レモンやエルダーフラワーで香り付けしてある酒たっぷりの大人味。