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三十と一夜の短篇

飛行距離、未だ三センチ(三十と一夜の短篇第66回)

 折りあげた紙飛行機を右手に持って、空にかざす。


「いい出来だ」


 自画自賛をつぶやき、けれど紙飛行機をつまんだ指はちいさな紙一枚を押し出す勇気もなくて。ただ指から落ちただけの紙飛行機は、いつものとおり机のうえに不時着した。


「飛行記録、三センチ」


 今日も変わらない記録を胸に刻んで、横たわる紙飛行機をつまみあげる。

 つまんだ指が向かう先は今日も決まって机の一番下の引き出しのなか。鍵をあけて開いた引き出しには、紙飛行機が詰まっている。


「これだけ折れば上手にもなる、か」


 折りたての一機を加えれば、その数は三十一。

 毎日ひとつ折っては飛ばしたくて、けれど飛ばす勇気がなくて。

 けっきょく、取り落とすようにほんの数センチだけの飛行をくり返している。


 ため息交じりに見下ろした窓の下にあるのは、見慣れた景色。

 マンションの最上階にある俺の部屋は、狭いけれど見晴らしだけは自慢できる。

 けど、俺の目が吸い寄せられるのはそこに広がる夜景じゃない。


「……またカーテン開けっぱなしてる」


 見下ろした暗闇の向こう、隣のマンションの三つ下の階のベランダから漏れる明かりのなか。

 きつく結い上げていた髪をほどく女性の姿が見える。

 秋の夜風が気持ちいいからか、窓まで開けて無防備にぐうっと伸びなんかしてる若い女性。


 本堂菜穂子。

 二十七歳、独身。

 職業、高校の化学教師。


 もっと言えば俺の通う高校の化学教師で、俺のいる三年七組の化学を担当してるひと。

 そして俺の想い人。


 趣味はまだ、聞けないでいる。 

 でも好きな色は、たぶんピンクとか暖色系。

 淡いピンクの部屋着を片手にうろつく姿が見えて、俺は慌てて机に視線を戻す。

 

「……はあ。化学の予習しとこ」


 今年の春に赴任してきた本堂先生は、きつめの顔立ちときっちり結い上げたポニーテールに黒のパンツスーツと汚れひとつない白衣を装備した、近寄りがたいひとだった。

 近寄りがたいひとだと、思ってたんだ。


 だけどある日、俺の自室から見える向かいのマンションに見つけたその姿は、ひどく気が抜けていた。

 よれたジャージに寝ぐせのついた髪の毛をピンクのヘアバンドで適当にかきあげた格好で。そろそろ昼飯の時間、というころにふらふらカーテンを引く姿が見えたんだ。


(いくら日曜の昼間でも、寝すぎだろ)


 そう思う気持ちは、日ごろとのギャップに完全に吹き飛ばされていた。

 休日の本堂先生は別人かと思うほどに腑抜けていて、それがまるでくたびれた猫のぬいぐるみのようでかわいいと思ってしまったのだ。


 それからというもの、日暮れごろには自室に戻って先生の帰宅待ちついでに勉強をする日々。

 おかげで成績がぐんぐん上がって、親や担任には「三年生になってお前も変わったなあ」なって褒められる始末。

 クラスの奴らには「塾にもいかずになんでそんなに成績が良くなるんだ!」と裏切者扱いされているけれど。


 自室にいられなくなるのが俺にとって一番の死活問題なんだ。そりゃ必死にもなるだろう。

 

 ここひと月ほどはいよいよ思いあまってラブレターをしたためて、けれど渡す勇気はなく。

 もしかして紙飛行機にして投げれば届くんじゃないか、なんて思考回路まで桃色に染まってきた気がする。


 じわりとにじむ想いをかき消すように、ノートに暗記事項を羅列していく。


 告白、したとして。

 俺は高校生、あっちは先生。


 世間体を考えれば、断られる。

 学校でのお堅い本堂先生なら、ぜったいに断るだろう。


 だから、告白するなら卒業してから。

 その日まで、想いの丈は紙飛行機にして部屋のなかで飛ばすしかない。


 卒業式までは、あと半年。

 

 今はほんの短い飛行距離で練習を積んでおく。

 いつか彼女のもとに届けられる日のために、丁寧に書いて、折り、積み重ねていこう。


 いつか、届ける日のために。

 今は、まだ記録三センチのままで。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 甘酸っぱい青春や……紙飛行機が届く日が来るといいなあ!
[良い点] ちゃんと卒業まで待ちそうなこと。 長くて短く甘酸っぱい半年になりそうですね。
[一言] 爽やかに青春のもだもだが描かれているっ! 少年よ、願わくば犯罪はおこさず。清く正しく三センチメートルの飛行距離を延ばしていきたまへ。そうすればきっと、光輝く桃色な未来が開ける。……はず。ぱ…
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