4. 王様は昼は緑に夜は赤く輝く
ヴェントゥスの部屋の扉をシルヴィアは見つめていた。
愛は無いとはいえ、婚約者だ。部屋に入るのはやはり緊張してしまうのだ。
深く息を吸ってからコンコンと慎重にノックする。
「どうぞ」と声が聞こえてきてシルヴィアはノブをひねる。
「殿下失礼しま……え!?」
優雅に一礼したはいいものの、見上げて目に飛び込んできた光景にシルヴィアは目を丸くする。
(ど、どうして……こんなに霊やら妖精やらが憑いているのかしらー!?)
執務机に向きっているヴェントゥスの後ろにまたもや異形の霊。それに加えて肩には妖精たちがくつろいでおり、オーブみたいなのもふよふよしている。
「どうかした?」
そしてヴェントゥスはこの冷静さである。シルヴィアはあまりにも凄まじい光景と取り憑かれている第3王子の寒暖差にふらつく。
「殿下……この数時間の間何をされていたのですか?」
シルヴィアはうげぇともう一度様子を確認してから尋ねた。一緒に城を見回っていた時はいなかったのに、シルヴィアが小屋の改装に勤しんでいたらこの有様である。
「ええと、確か少し剣術の訓練を、それからはお茶をしていたかな。あとは今のように仕事を」
「それでどうしてこんなに取り憑かれてしまうんですか……」
いたって普通の行動内容にシルヴィアは困り果てたように呟いた。
(どうやら想像以上に殿下は引き寄せやすい方なのね……これは早めに手を打つべきね)
「殿下、明日お時間ありますか?」
「明日は何もなかったはず……」
「では1日私に付き合ってください! お願いします!」
ヴェントゥスはキョトンとしたまま頷く。シルヴィアはぶつぶつと何かを喋っており、明日何をする気なのかは尋ねられそうもなかった。
「よし、準備は良さそうですわね!」
馬車の前でシルヴィアはお出掛け用の装い……というよりかは変わった格好でヴェントゥスを待っていた。
「その格好は……?」
すっかりデートだと思い込んでいたヴェントゥスはそれなりのよそ行きの格好をしていたのだが、シルヴィアはそれを真っ向から打ち壊してきた。
思わず尋ねずにはいられない黒いローブに白髪に映える金細工の髪飾り。
「ああ、これはですね、セレスタイト家の礼服ですわ。少し流行遅れのデザインですけれど、私は気に入っていますのよ」
シルヴィアはなんだか上機嫌だ。しかも結構饒舌になるようで、「本当は殿下にも黒い服をと思っておりましたが」などと馬車の中でも言い続けた。
「着きましたよ」
「え、あ、うん……って何もないじゃないか」
「まあ見ててください」
馬車に揺られてうとうとしていたヴェントゥスを揺すってシルヴィアは得意げだ。
ヴェントゥスの言う通り、そこは何もない更地でわざわざ礼服で尋ねる場所では無さそうだった。
するとシルヴィアは急にぶつぶつと何かを呟き出した。
すると。
「建物が現れた……!?」
更地だったところに突如現れたアンティーク風なこじんまりとした建物にヴェントゥスは目を丸くした。
「目眩しですわ。基礎中の基礎の魔術ですわね」
シルヴィアはどやさ! と効果音がつきそうな勢いでそう言う。「ちなみに私もできますわ」とさらに得意げになる。
「さあさあ、入りましょ」
ヴェントゥスは訝しげに建物を見つめるがシルヴィアは楽しそうに扉をノックする。
「合言葉」
中から低い男の声が聞こえてきた。
「王様は昼は緑に夜は赤く輝く」
シルヴィアは謎の言葉をすらすらと述べる。ヴェントゥスは頭にはてなマークを浮かべている。
するとガチャリと鍵が開いた音がしてまもなく扉も開いた。
建物内に入ったはいいものの、誰もおらず見渡す限りガラクタが転がっているようにしか見えない。ヴェントゥスは首を傾げながら尋ねた。
「たくさん質問があるけれど……今のはどういう意味?」
「ああ、今のはですね……本当は内緒なのですけれど、特別に教えますわね。殿下は宝石に興味はおありで?」
ヴェントゥスは「ああ」と頷いてみせる。シルヴィアは「では話は早いですわ」と続けた。
「アレキサンドライトという宝石をご存知で?」
「ああ、昼夜で色が変わるという……」
ヴェントゥスはそこまで言って納得したような顔をする。
「そうです。アレキサンドライトは昼は美しい緑色ですが、夜明かりに照らすと赤く輝くのです。それにアレキサンドライトの別名は『宝石の王様』ですわ」
アレキサンドライトはウィスタリア王国では魔術道具としてよく使われている。希少な分、魔力も高いのだ。
「そのとぉーーり!!」
耳を貫くようなハイテンションな声。
ヴェントゥスは飛び上がったが、シルヴィアは笑顔になる。
「ゲルさん! お久しぶりですね!」
「シルヴィアちゃんも元気で何よりだよー!」
ヴェントゥスはまた首を傾げた。それもそうで、ヴェントゥスの目にはシルヴィアしか映っていないのだ。
「ああ、そこのリトルガイには見えないのかあ」
聞こえてきたからかうような声にヴェントゥスは一瞬腹を立てたが、見えないのは事実なので黙り込む。
すると、パチンっと指を鳴らす音が聞こえてシルヴィアの目の前に長身の男が現れた。
変わった柄の服に身を包み、カラフルなマント。ずいぶん変わり者の男のようだ。
「ハアーイ! 私めはここの店主、ゲルと申しまーす! 以後お見知りおきを!」
ハイテンション店主のゲルはそう名乗り、うやうやしくヴェントゥスに一礼する。
「ゲルさんのお店は品揃えがすごいのですわ!」
「ふふふー、セレスタイト家にはお世話になってるからねえ。まさかシルヴィアちゃんが王子様とご婚約だとは驚きさー!」
シルヴィアは一瞬苦い笑みを見せる。もちろんそれはこれが条件付きの婚約だからであり、ほんのひと時のものだからであるからだが、ゲルはそんなこと知る由もない。
いや、これだけ変わった人なのだ。もしかしたら気付いているのかもしれないが。
「ううーん、せっかくだし、王子様にも気に入ってもらえるモノがあればいいんだけどねえ」
そう言いながらゲルはヴェントゥスを舐め回すように見てからゴソゴソと後ろの棚を漁りだす。
何だろうと深くは考えずヴェントゥスはそれを見ているのだが、シルヴィアは何を思ったのか少し距離を置く。
「そんなところで何やって……」
ドーン!
シルヴィアを呼びかけていたヴェントゥスは鼻先すれすれに飛んできた大きな物体を見つめる。
「これは、パンドラの箱……ならぬ魔獣の箱! それにこれは猛毒いっぱいの瓶だー!」
ゲルはわははと豪快に笑って、ぽいぽいと軽快に物を投げていく。棚から出てくるサイズでは明らかにないのだが……彼の店でツッコミは無意味なのだ。
「シルヴィア、これ……どうにかできないか?」
完全に客としてロックオンされているヴェントゥスにシルヴィアは首を横に振る。
「こうなったらゲルさんは長いので……ご愁傷様です」
シルヴィアは目を瞑って祈るようなポーズをする。
その後、店には第3王子の悲鳴が響き渡ったとか……