2. 婚約と王宮魔術師
(ばれてしまった……? いや、そもそも私が魔力持ちだということを知らないのかしら。まさか急に触れたことが不敬だと罰せられるとか……!?)
すっかり動転したシルヴィアをヴェントゥスはしばらく見つめていたが、それが手をつかんでいるせいだと勘違いしたのか慌てて離す。
「急にすまない。君と話した途端に疲れが取れたから、驚いてしまったんだ」
気恥ずかしそうにそう言うヴェントゥスにシルヴィアは拍子抜けしてしまいそうだった。
遊び人とか悪い人かもとか公の場に出ることが少ない分噂も立つものでシルヴィアのイメージ内ではすっかり怖い人になってしまっていたのだ。
(まああれだけの霊が憑いていたんですもの。疲れるはずだわ)
ヴェントゥスは心なしか怠そうに見えた。しかし一刻も早くここから去りたいシルヴィアは優雅に一礼をする。
「しばらく安静になさってください。そしたらきっと疲れもとれますわ。では」
「待って、君名前は?」
引き止められてシルヴィアは顔が歪みそうになるのを必死で堪える。令嬢たちの視線が痛いが、答えないわけにはいかない。
「シルヴィア・セレスタイトと申します」
「シルヴィア嬢か……もう少し話したいのだがいいかな?」
シルヴィアは目を瞬かせる。第3王子がわざわざ何の用があるというのだろう、と首を傾げる。
「ここは人が多いから向こうで」
ヴェントゥスはシルヴィアの手を引いて歩き出す。
「魔術を使って誘惑したのね」とか「殿下危険ですわ」など令嬢たちが叫ぶのを心苦しく思いながら会場を後にした。
人気のない庭園まで歩いてくるとヴェントゥスは立ち止まった。美しい庭園に見惚れていたシルヴィアも歩みを止める。
「先程、ご令嬢方が言っていたのを聞いて思い出したよ。君は魔術師の家系の一人娘だろう?」
突然振り返って真剣な眼差しを向けるヴェントゥスにシルヴィアは一瞬たじろぐ。それから小さく頷いた。ヴェントゥスは続けて言う。
「悪いようにはしない。僕に先程何があったのか教えてくれないか」
シルヴィアは口をつぐむ。
(話してもいいのかしら……でも悪いようにはしないと言っているし……)
シルヴィアはそんな風に考えながら勘ぐるようにヴェントゥスを見る。
「……私は霊や妖精などが見えるのですが、先程まで殿下には大きな霊がついていました」
おずおずと言い出す。ヴェントゥスは目を丸くしたが頷きながらシルヴィアの話に耳を傾ける。
「なるほど。では僕が疲れていたのは霊に取り憑かれていたからで、僕は君に助けられたということだね」
「あの感じだと、おそらく今までにもこういうことがあったのではないかと思うのですが……」
シルヴィアは口ごもりながらヴェントゥスの表情を窺う。ヴェントゥスは考え事をしているようで、長いまつ毛に思わず見入ってしまう。
「君、婚約者は?」
「え、いませんが……」
「じゃあよかった」
何がいいのだろうかと思っていると、ヴェントゥスはシルヴィアの手を取った。
「シルヴィア嬢、僕の婚約者にならないか?」
「…………はい?」
突然飛び出した婚約の申し出にシルヴィアは頭が真っ白になる。そんなシルヴィアに対しヴェントゥスはいたって冷静だ。
「正しく言うと、婚約者のフリなのだけどね」
「…………はい?」
今度こそシルヴィアの頭はパンク寸前だ。
(何を言ってるの? フリってどういうこと? やはり変わった方なのかしら、それともお遊び?)
ぐるぐると回転する思考に戸惑いシルヴィアは思わず尋ねる。
「あの、フリとはどういうことですか?」
「ああ、僕はね、婚約する気はないんだよ。面倒だし、僕は王位につく気もないから」
ヴェントゥスは淡々と告げる。微笑んではいるのだが、本心までは分からないというような表情だ。
(でも、私も両親のためには婚約をしなければと思っていたけれど……でもこういうのはどうなのかしら……)
シルヴィアとて1人の女性としての幸せを願っているのだ。もう16になり令嬢は婚約者とそろそろ結婚の準備にとりかからなければならないのだ。優しい両親はあまり婚約については言わないのでシルヴィアはそれに甘えてしまっていた。
そこまで考えて承諾しようとしたとき、はっと閃いた。
そして、シルヴィアはそれをそのまま口にする。
「でしたら、私からもお願いがあります」
ヴェントゥスは続きを言うように促す。シルヴィアはしっかりヴェントゥスの目を見つめた。
「私を王宮魔術師にしていただけませんか」
王宮魔術師は、ウィスタリア王国の魔術師の中で1番権力を持つ。セレスタイト家は王宮魔術師になることを夢見てきたのだ。
婚約者のフリで夢が叶うなら、とシルヴィアは思ったのだ。
ヴェントゥスは目を瞬かせてからふふっと笑う。
「分かった。でも王宮魔術師はとても重要な仕事だからね。それなりの条件を達成してもらわないと」
「なんでもこなしてみせますわ」
シルヴィアは決意のこもった眼差しでヴェントゥスを見つめる。
先程から突然の事ばかりでシルヴィアは逆に開き直っていた。もうここまできたら何がなんでも王宮魔術師になろうと燃え上がっているのだ。
「そうだね………僕はどうやら取り憑かれやすいのだろう? だから僕を完全に霊から守りきることができたら王宮魔術師にしてあげよう」
ヴェントゥスは含みのある笑みを見せて手を差し出す。
(私が殿下を霊や妖精たちから守ればいいのね。そんなことでいいなら……)
「では私は殿下の婚約者のフリをしながら殿下を守ればいいのですね」
「その通りだよ。もちろん君のことは婚約者として扱うし、もし必要であればどんなものでも準備しよう」
確認するように尋ね、シルヴィアは手をゆっくりヴェントゥスに重ねた。
「じゃあ決まりだね。これから僕たちは婚約者、だね」
シルヴィアは王宮魔術師になるため、ヴェントゥスは面倒な婚約から免れ、霊による疲れから逃れるため……2人は見つめあったままそれぞれの目的を思い浮かべていた。