12. 限界
かちゃりとティーカップを置くとシルヴィアは大きく伸びをした。患者さんたちの容体も落ち着いてきており、4日目となるここでの生活にも慣れてきていた。
休憩中はこうしてカルマとお茶を飲むことが増えてきたのだが。
「王子が婚約者……ねえ?」
ヴェントゥスの話をした途端、カルマは先ほどからため息をついてはこのセリフを繰り返しているのである。
カルマは、もともとは孤児なのだと話してくれた。この村の人々に助けられて今がある、だから恩を返したいのだと言うカルマは年下とは思えないほどしっかりしているように思えた。
「婚約者と言っても、私は全然すごくないのよ。今までずーっと避けられて過ごしてきたものだから、魔術を使えて嬉しいけれどね」
ふふふと嬉しそうに笑うシルヴィアをカルマはどこか拗ねたような顔で見つめていた。
のほほんとすぎていく昼下がり、それは突然起きた。
休憩しているところへシェルジュ付きの医者が転がり込んできたのだ。
その慌てた様子にシルヴィアとカルマは顔を見合わせて、急いで駆けつけた。
「これは……刻印が体全体に広がっている……?」
紫の魔女の刻印は、全体に広がってシェルジュの体を蝕んでいるように思えた。
シルヴィアはその姿を見てはっとすると多くの患者が寝ている部屋へ駆け込んだ。
……シルヴィア予想どおり、そこにはシェルジュと同じ症状の患者たちがパニックに陥っていた。
「みなさん落ち着いて! 私がきっとなんとかしてみせます!」
そう叫んで回りながらシルヴィアは刻印を観察する。
(古の魔女の呪い……確かいつもの魔術書に手掛かりがあったはず……でもはっきりとは思い出せないわ)
シルヴィアは己の未熟さを恨めしく思いながらとにかくそれに対抗する術を考えるべく、先程の部屋へと駆け込んだ。
そしてとにかくそれらしい材料を掻き集めるとすぐに調合を始める。
本でかすった程度では手順が合ってるのかも分からず、アレキサンドライトがないため強い魔術薬を作り出すことは不可能。
そんな絶体絶命状態だったが、シルヴィアは取り乱すことなく冷静だった。
ここで慌てて失敗することの方がよっぽど苦しい。それがシルヴィアを突き動かしている理由だ。
アレキサンドライトがないなら次に強いラピスラズリを使えばいい。本当は飲み薬だった気がするが患者は大勢、そんな悠長なことはできない。
そうしてできた即席魔術薬とありったけの札、魔術書を抱えてシルヴィアは患者の元へと走る。シェルジュにもカルマに手伝ってもらい近くへ来てもらった。
これは一回しかできないから。
シルヴィアは前髪をかき上げると、後ろ髪と一緒に結い上げた。それから魔術薬――粉状にしたものを振りまいた。それから札を高く振り上げて、シルヴィアは深呼吸する。
すると、部屋全体が黄色いバリアのようなものに覆われた。
これは、シルヴィアの魔術。
病の進行のみがゆっくりになる魔術だ。しかし、それに伴うリスクはとても大きく長時間使うのは危険だ。
(少しでも長く……少しでも進行を遅らせるのよ)
「カルマ! キース様を……王宮魔術師様を呼んできて……! 半日くらいなら、耐えられるから……!」
「でも、あんた、それは危険なんじゃ……! すごく苦しそうだし……!」
「いいから! 行って!」
カルマの心配を振り払うように叫ぶと、カルマは戸惑いながらも頷いて部屋から飛び出していく。
カルマを見届けた後、シルヴィアは苦しさで顔を歪めた。
本当は、半日なんて到底無理だ。でも自分に大勢の人の命がかかっていると思うと、この場から逃げるという選択肢は全くない。
1時間、2時間、3時間……4時間が経過した。
シルヴィアの体力はもう限界だった。意識も朦朧とし始め、もう立っていられない。
(もうダメ、だわ……ごめんなさい……)
床にへたり込む。まぶたが落ちてくる。
「もう大丈夫」
不意に後ろから優しい声がした。頑張って目を見開くと白いローブとピンク色の絹のような髪の毛が映った。
そして、次の瞬間――空間はピンク色のふわふわしたもので包まれた。その後に「刻印が消えた」と喜ぶ声。
(この人が、やってくれたのかしら……よかった)
シルヴィアはそのまま倒れ込んで気絶してしまった。
シルヴィアがゆっくり目を開けると、ピンク色の髪の可愛らしい女性が映った。
「ああ、よかったー! 目覚めたのね! 具合はどう?」
「大丈夫……ありがとう。あなたがきてくれなかったら、どうなっていたか……」
シルヴィアが申し訳なさそうに俯くと、その女性はうふふと嬉しそうに微笑む。
「でも、あなたが病の進行を遅らせてくれていたからみんな助かったの」
「そうだわ、みんなは!?」
パッと見れば、キースや復活しているシェルジュが村の人たちの看病をしてくれていた。
「まだ全快しているわけじゃないから、しばらくは安静にってところ」
「そうなのね……って、キース様、無事到着されたのね。カルマにお礼を言わなくちゃ」
そう言って、ベッドから体を起こすと。
勢いよく部屋の扉が開け放たれた。そこには息を荒くするヴェントゥスと「まだ安静にしてろって言われてんですよ!」とヴェントゥスを押さえ込むカルマ。
「シルヴィア!」
ヴェントゥスはカルマを振り払うようにしてシルヴィアの元へ駆け寄ってくる。そしてその勢いのままシルヴィアを抱きしめた。
「よかった、無事で……カルマから話は聞いているよ。ごめん、すぐに助けに来れなくて……」
言うごとにシルヴィアを抱きしめる力が強くなっていく。シルヴィアは「見てます、みんな見てますよ」と慌てるのだが、ヴェントゥスは離す気はないらしい。
行き場を失ったシルヴィアの手は、ゆっくりヴェントゥスの背に回された。
「私、頑張ったんですよ……みんないい人たちで、本当は私が助けられたらよかったのだけれど……私は全然ダメで……」
そこまで言うと、ヴェントゥスはガバッと体を離してシルヴィアの目を見つめた。
「そんなことない! こんな大勢の人たちをシルヴィアは最後まで守り切ろうとした。それはとってもすごいことだから」
まっすぐに見つめてくる透き通った紫の瞳はどこまでも真剣だった。シルヴィアは照れるように微笑んだ。
ヴェントゥスがここにたどり着いたのは走っていくカルマを見かけたかららしかった。赤髪の少年はシルヴィアを攫った犯人として扱われていたから。一回とっ捕まえてシルヴィアが大変な状況にある話を聞くと王宮にすぐさま戻ってキースを連れてきたのだという。
そこまでニコニコと話を聞いていた可憐な女性があっと声を上げた。
「私、自己紹介がまだでしたね。私はレイナ・シェーンハートといいます」
改めて見る彼女はまるで聖女のような雰囲気を纏っていた。潤んだ水色の瞳が、守りたくなる。
「改めて礼を言う。僕はウィスタリア王国第3王子のヴェントゥス・ウィスタリア。こちらは僕の婚約者のシルヴィア・セレスタイトだ」
「レイナ様、本当にありがとうございました」
ヴェントゥスとシルヴィアはそう言い優雅に一礼した。
「そんな、顔を上げてください……みなさんが無事で本当によかったです」
レイナは優しく微笑む。シルヴィアは疑問に思っていたことを投げかけた。
「ここを訪れたのはたまたま……ですか?」
見た限り人里はここ以外周りには無いようだったし、こんな可愛らしい女性が通るような道ではない。
「私は、魔力を感知できるのです。今回は特に危険で強い黒魔女のものでしたので……」
「……なるほど。すごいですわ」
魔力は誰にでも感知できるわけではない。それにあんなすごい魔力を持っているとなると、レイナが只者ではないことが窺えた。
「おお、シルちゃんお目覚めだねえ」
キースが駆け寄ってくるのを見てシルヴィアは「おかげさまで」と微笑んだ。ヴェントゥスは「シルちゃんって呼ぶのやめろ」とキースを睨め付ける。
キースはレイナに目線を移すと面白そうに笑った。
「それにしても久しいね。隣国の聖女様に会うのはいつぶりかなあ、ね、レイナ」
レイナは「久しぶりですね」と笑うがシルヴィアたちは目をパチクリする。
「…………聖女?」
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