第七話 コミュ障、渦中に飛び込む
前回までのあらすじ!
魔王のお仕事は超ホワイト!
朝日の差し込む森を、リンドウとフラウが駆ける。
フラウは何も持たず、リンドウはベヒーモスからもぎ取った己の身の丈以上もある巨大な牙を一本持ってだ。
【急いで、リンドウ!】
「【う、うん】」
ティアードスカートを翻し、大樹の枝から枝へと飛び移り、空を駆けるように疾走するフラウの背中を追って、リンドウもまたひたすら走る。
両者ともに、常人ではあり得ない速度で風を切って。
もういくらも経たないうちに人魔戦争が開戦される。
魔王であるフラウが不在であろうとも、彼女の魔王軍は人類領域であるアリステン領へと攻め込む手はずになっているのだ。
止めなければ――! 止めなければマグダウェル家のみんなが、そして、こっちはおまけだけどボクの安穏としたヒキコモリ生活ができなくなってしまう――!
魔王軍の数は目視で五千体以上。対するアリステン領を守護する兵の数はせいぜいが二千名といったところだ。加えて魔族と人間族による肉体性能・魔力総量が、さらにその戦力差を広げている。結果は火を見るより明らかだ。
ベヒーモスが樹木を破壊しながら進んで均された道を辿り、リンドウとフラウは森を抜け出した。
眼前に広がる光景は、いまにもぶつかり合わんとする両軍だ。
魔王軍には活気が漲っているが、アリステン兵の方には悲壮感が漂っていた。玉砕覚悟で領民を一人でも多く逃がすつもりなのだと、すぐにわかった。
魔王軍の先頭には一体の魔人が、アリステン兵の先頭にはマグダウェル家の次男にしてリンドウの兄であるアランが馬上にいる。
両者が片手を挙げた。
振り下ろされるときが、開戦の合図だ。
両軍ともに先陣の膝が軽く沈んだ。
だから――!
リンドウとフラウは同時に叫んでいた。
【魔王フラワリィ・フォスターの名において命じるッ!! その開戦、待ちなさいッ!!】
「ま、ま、待――っ!」
二人は駆ける速度そのままに、いままさにぶつかり合わんとしていた両軍の中央へと滑り込む。
砂煙を立てて走り込んできた少女と、そして幼い少年の姿に、両軍から引き絞られていた弓の弦が弛んだ。
マグダウェル家の次兄アランが、騎士ヘルムのバイザーを跳ね上げて叫ぶ。
「リンドウ!? 三日前に家を出たリンドウか!?」
「は、は、はひ……です……」
「その家族に対してすら辿々しく他人行儀な反応は、間違いなく我が愛する末弟リンドウ!」
その言い草たるや。リンドウは真顔で軽くへこんだ。
「おまえ、なんでよりによってこんなときに――というか、なんだ、その巨大な象牙のようなものは!? 重くないのか!?」
「あ、こ、これ、ベ、ベ、ベモスの、牙……」
「む?」
実兄とは言えど、前世の記憶を継いでいる以上は他人も同然。
それでも、今世前世でまるで関わりなく生きてきたような人々とは違って、多少なりとも話すことができる。今世の家族はみな、善き人々なのだ。
い、言わなくては……。で、でも……。
助けを求めようと振り返ると、フラウはすでに魔族を相手にこれまでの経緯を、魔族語で語り始めていた。
自身が少年リンドウに敗北し、そして魔王位を正式に譲位したこと。新魔王であるリンドウは、この開戦を望んではいないことをだ。
魔人が彼女に訝しげに問う。
【貴女が戦って敗れたですと? 魔人種の中でも最も優れた力を持つフラワリィ・フォスター様が、あのような人間の、それも幼子などに?】
【そう。その上、リンドウにはベヒーモスの襲撃から救ってももらったわ。ベヒーモスの襲撃自体はあなたも見たはずよ。リンドウとわたしが崖から落ちた直後に現れた、あの精霊王の姿を】
正確には、対岸に頭から突き刺さった巨大猪の下半身だ。
【それは……たしかに。しかし、あのような下位種族の人間の、それも子供がベヒーモスを屠ったというのは少々信じがたいものがあります。精霊王など、我ら魔族ですら手に余る。それこそ、フラウ様のように魔王になるだけの力でも持っていない限りは】
【ううん、わたしもベヒーモスには殺されかけたわ。彼に救ってもらった証拠だってあるわ。見なさい、リンドウの手に持たれているものを】
【牙……精霊王ベヒーモスの牙ですと!?】
フラウが一度咳払いをする。
【ええ。リンドウはわたしを倒し、精霊王からわたしを救ってくれたあとに、わたしに、その……壁ドンで、く、唇を奪ってから言ったわ。『オレはおまえを殺しも追放もしない。妻に迎え入れる』と】
フラウは自分の言葉に照れたらしく、赤面しながら視線を斜め下に逃がした。腰のあたりで後ろ手を組んで、恥ずかしそうにもじもじしている。
【ときめいちゃった……】
戦場に静寂が広がった。
聞き耳を立てていたリンドウは、我に返って白目を剥きながら心の中で叫んだ。
ちょちょちょちょっ、フラウウウゥゥゥゥ、何言ってんのぉぉぉぉぉッ!?
壁ドンしたのはベヒーモスだし、フラウにしたのは崖ドンだし、精霊王倒したのはそのあとだから順番違うし、口づけなんて前世から一度もしたことないし、そんなカッコイイ台詞は死んでも言えないコミュ障だし!
何一つッ、真実がッ、ない!
【先代魔王として、彼に敗れた敗者として、ケジメをつけるためにわたしはその条件を呑むことにしたの。ううん、違う。魔人フラワリィ・フォスターはこの瞬間、彼を……あ、あ、愛してしまった……の……。だから、彼の故郷アリステン領との戦争はしたくない】
魔王軍先陣でどよめきの声が上がった。その視線が一斉にリンドウへと向けられる。どよめきは後方待機の部隊にまで徐々に広がっていく。
【何という懐の深さか……。地位を奪いとった先代魔王を、奴隷ではなく妻として迎え入れ救うだなどと。本来であれば自らの命すら省みぬ危険な愚行……。魔王歴において、そのような魔王は現れた試しがない。……フラウ様、あの者、リンドウ殿はただの子供ではないのですな?】
【ええ。いまはもう、わたしの自慢の旦那様よ】
歓声、轟く。
リンドウは思った。
もうだめだ。完全に詰んだ。先に話の詳細を聞いておかなかった自分の失敗だ。まさか奴隷を回避するために妻を名乗られてしまうとは。
見事なまでの偽装結婚――!
事ここに至っては、フラウの話に乗るしかない。婚約者騒ぎのときのように大声を上げて泣きながら逃げだそうにも、すでに周囲をぐるっと魔王軍とアリステン兵らに囲まれてしまっている。退路ナシ。
まさかあれほど恐怖に思えていた社会システム、結婚なる災害が、自らの身に降りかかる日がこようとは思いもしなかった。
背中から変な汗が出てきた。
「う、うう……」
「どうしたというのだ、我が弟リンドウよ。心配するな。家族が逃げる間くらいは、このアラン兄が稼いでやるさ」
当然、フラウの言葉はアランには通じていない。たとえ聞こえていたところで、両種族の間では使用する言語が違うのだから理解できていないのだ。
ゆえに、リンドウは顔を真っ赤に染めて必死で訳そうとする――が、自身が知らぬ間に結婚したなどというふざけた報告を、うまく言葉すら吐けないコミュ障の身でどう説明すればいいというのか。
「ア、アラ、アララララ、アラララ、アラ兄さ……」
ラップのようになってしまった。
そんなリンドウを尻目に、アランが叫ぶ。
「さあ、早く館へ戻るのだ、リンドウ! そして父上母上と兄上を連れ、すぐさまアリステンから脱出しろ! もうすぐここは戦場に――!」
その瞬間、魔王軍から大きなどよめきが上がった。話が後方待機の部隊にまで行き届いたのだ。
魔族らの視線はすべて、リンドウ少年へと注がれている。否、彼が片腕に抱えている、あまりに巨大な牙にだ。
【せ、精霊王を討った、だと……?】
【あのような人間の子供が!】
【何という凄まじき膂力……】
【フラワリィ様を妻に迎えられた!?】
ベヒーモスの牙。精霊王を討ち取った証。
おまけにリンドウの全身は、精霊王から浴びた血液で赤黒く変色している。見ようによっては、恐ろしいほどの威圧を醸し出しているように見えなくもない。
魔族の様子の変化に、アラン以下、アリステン領の兵たちが動揺する。
「な、なんだ!? いったい魔王軍に何が起こっている!?」
やがてリンドウがアランに対して何も語らずとも、魔族らはその場に武器をすべて置いて、リンドウの下へとゆっくりと歩み寄り、片膝をつき始めた。
その行動は徐々に伝播し、五千体以上にも及ぶ魔族の大半が、戦場の中心に立つ少年へと向けて片膝をつく。
まるで、彼に服従を示すかのように、頭を垂れて。
【我らが王リンドウ・マグダウェル様】
【新たなる魔王よ、歴史に名を刻む大いなる存在よ】
【あなたの故郷を滅ぼさんとした愚かな我らを、どうぞお許しください】
屈強なる無数の魔族兵たちが、わずか十二の人間の少年に。
アランはただあんぐりと口を開けて、その様子を眺めていることしかできなかった。
色々と取り返しのつかない事態に。




