第四話 コミュ障、拳で語る
前回までのあらすじ!
せっかく魔王を倒せたというのに、なぜか生き返らせしまっていたぞ!
何やってんだ、コミュ障!?
聞き間違い? 魔族の王サマって魔王? いま魔王っつった?
リンドウは少女をガン見する。癖なのか、少女は自分の横髪を指先にくるくると巻き付けていた。
いくら魔力に優れていて、身体能力も生半可な魔族以上のものだとしても、この重度コミュ障たる自身に勝るとも劣らぬ気の弱さ。
これが、人間族の領地を脅かしている魔王? うっそだぁ~!
いまの自分よりは年上だろうけれど、見かけが華奢な美少女であることも相まって、どうにも信じられない。複数属性持ちであることから、高位の魔族であることだけは間違いないとは思いつつ。
いや、しかし。でも。う~ん。
パチ、パチ、炎の爆ぜる音が響き、炎色の光が森の闇をぼんやりと照らす。
少女がティアードスカートの膝を抱えてうつむいた。
【でもね、わたし、他の魔王のヒトたちとは違って、ほんとは人間さんたちと戦争するなんて嫌なのよね】
魔王確定だわ~……。どうしよう……。暗殺どころか生き返らせちゃったよ……。
かといっていまから戦っても勝てなさそうだ……。複数属性持ちのすんごい魔法使いだし、身体能力もボクと同等かそれ以上はありそうだし……。
【怪我したら痛いし、死んじゃうかもしんないし、配下のヒトたちや領民が殺されちゃうのだって怖いし】
「……」
そこは同感だ。戦うのはやめよう。戦いはよくない。平和が一番。
【だから配下のヒトたちには話し合いで決着をつけたいって言いたいんだけど、魔族と人間さんたちは言語が違うから、そもそも話が通じないし……配下のヒトたちは、もう殺る気満々になってるし……】
「……」
怖っ! めっちゃ通じてるんですが! 『万能言語』のおかげで!
でも言えない! 女の子と喋るなんて、恥ずかしくって! 前世なんて同性の友人さえ一人もいなかったんだぞ!
【わたしもわたしで押しに弱くて、配下のやる気にダメって言えず、ずるずる引きずられちゃって、こんなところまできちゃってるし。ああああもう、なんでNOって言えないの、わたしってやつはぁぁぁ! 見栄っ張りで、怖がりで……もう魔王なんて辞めたいのに、それさえ言い出せない……。……ぅぅ……ぐすん……】
あわわわわ、勝手に話して勝手に泣いちゃった……!
NOと言えない気持ちは、なんとなくわかる。きっと同じように迫られたら、自身もまた拒絶することはできないだろう。ただ自身は、そこにさえ立てずに前段階で躓いている重度コミュ障であるというだけの話で。
ある意味ではこの少女魔王もまた、コミュニケーション障害を患っている仲間なのかもしれない。そう考えると、ちょっと嬉しくなる。
【あ、ごめんね。こんな小さな子の前で泣くなんて。おねーさんらしくないよね】
三十にして死亡した前世からの記憶を引きずっている分、十代前半であってもリンドウの精神年齢はすでに四十路のおっさんであることを、少女は知らない。
むしろ慰める側の人間であるべきなのだ――が、もちろんできるわけがない。コミュ障なのだから。こうして言葉が通じないフリをするだけで精一杯だ。
【えへへ。すぐ泣き止むから待ってね】
少女がドレスの袖で涙を拭った。
【あら? 君、顔ちょっと赤いよ。大丈夫? 火に近づき過ぎてない?】
「……」
リンドウは腰を下ろしていた石を後方に転がして、火から距離を取った。ふと気づくと、少女の視線が訝しげなものになっている。
【……もしかして君、わたしの言ってること理解できてる?】
「……!?」
はい、などと言おうものなら会話のキャッチボールを強要されかねない。そんなことをするくらいなら潔く戦って散った方がマシだ。
答えは、沈黙だ。我、黙して語らず。
【偶然か。そりゃそうよね。熱かったら言われるまでもなく下がるもんね。こんな簡単に二種族間の通訳が見つかったら、戦争みたいな苦労なんてしないわよね。はぁ~……】
リンドウが引き攣った笑みで、勢いよく何度もうなずいた。
そうそう。まったくその通りだ。と言わんばかりに。
途端に少女の視線がまた訝しげなものに変化する。
しまったぁぁぁ! はあぁぁぁ、魔王に嘘ぶっこいたとかバレたら殺される!
【……やっぱ通じてない?】
「【めめ、めっそーもない!】」
反射的に首を左右に振ってしまった。
あ、しまった。そう思った瞬間にはもう、炎の向こう側で少女が凄まじい形相で立ち上がっていた。そのまま左手を右腕にのせて、二本の指先を少年へと向ける。
まずい……! 『万能言語』の肉体強化を使うだけの暇も……!
【伏せて!】
言われるまでもなく、リンドウは両手で頭を抱えて反射的に地面に伏せていた。
その背中すれすれに、少女魔王の指先から放たれた不可視の刃が、リンドウの背後の樹木を寸断し、その近くにまで迫っていた怪物の鼻面を浅く裂いて散った。
【風の刃が散らされた!? なんて堅さ――】
――ゴアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーッ!!
咆哮。森が音波でビリビリと震える。反射的に耳を塞ぎ、身体をくの字に折った。
「【う、嘘だろ……!? ボクを追ってきてたのっ!?】」
まるで気づかなかった。
そっと足音を忍ばせて、あの巨大猪が再び迫ってきていたことに。
【君、やっぱ言葉……!】
しまった! 『万能言語』は自分の口から出る言葉まで自動で翻訳してしまうのか! いや、ボクはいま人間族の言語で喋ったはずだ! このチート能力は会話対象者の意識にまで作用してるってこと?
「【ああああ! う、うう……。い、いまはそんなこと言ってる場合じゃ……】」
【そ、そうね。とりあえず起きて。あいつ、ちょっとヤバいかも】
リンドウが地面を叩いて跳ね起きる。すでに『万能言語』による肉体強化は付与済みだ。
少女魔王が顔をしかめてつぶやく。
【なんでこんなところに精霊王がいるのよ……】
「【精霊……? えっと……魔王……さん、あれ、知ってるの?】」
【君こそ、あれが何か知らないの!? あれ、大地の精霊王よ!】
「【精霊……王?】」
【ベヒーモス!】
べ!?
精霊王、その名の通り精霊族の王。魔族で言えば魔王級の力を持つ存在ということだ。ましてやベヒーモスなど、前世の時点からゲームや物語などで識っていたくらい有名な精霊の名である。つまりは異世界まで名が轟くほどの存在ということでもある。
「【道理で振り切れないわけだ……。あ、あの、ま、魔王さん……念のために尋ねるんだけど、精霊族って言語は……ある?】」
【あるわけないでしょ! 精霊族はあくまでも自然が具現化した姿でしかないの! あれは意志を持った自然現象! 災害みたいなものなの!】
終わった……。一縷の望みもない……。
当然のように、災害に説得は通じない。台風に「こないでくださぁ~い」と言ってみたところで、意味がないのと同じだ。そもそも通じるようなら、最初からあんなに追われちゃいなかったはずなのだ。
【というか、何で追われてたの!? 君、精霊族に何かしたの!?】
「【し、してないよぉ~】」
――ゴアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーッ!!
「ひぇ……!」
【ひゃん……っ】
リンドウは顔を両腕で覆って、少女はスカートを抑えた。
轟く咆哮の音波だけで、すでに吹っ飛ばされそうだ。事実、森の木々からは大量の葉が千切れて舞い上がっている。
「【ちょ、ちょ、ちょ、どうしよ!? どうしたらいいの!?】」
【一度目をつけられたら、どうせ絶対に逃げ切れない! 大地の精霊は大地で繋がってる限り、どこまでも追ってくるの!】
「【はぁ~っ!?】」
空はもちろん、海の上まで逃げるのも難しそうだ。
【こ、怖いけど、ここでやっつけるしかない……!】
ええええぇぇぇぇ~~~……。
大地が激しく振動した。鋭い牙を持つベヒーモスが、鼻面を地面にこすりつけながら木々を張り倒して迫る。
「うわっ、うわああああっ!」
【君、ちょっと引きつけて! なるべく直線方向に逃げて!】
少女がベヒーモスの進行方向からふっと姿を消した。
逃げた!? ボクを囮にして!?
接触まで数歩の距離で、ベヒーモスが巨大な鼻面を振り上げる。牙によって掘り起こされた巨大な無数の岩石が、まるで礫のようにリンドウへと高速で迫った。
「うっひゃあっ!?」
跳躍する。高く、高く。森の木々よりもなお高く。
吹っ飛ばされた岩石の礫は弾丸のような速度で森の木々を次々と薙ぎ倒し、その景色を一変させる。
まるで大災害が通過したあとのように。否、災害の具現化だから、そのまんまである。
リンドウは大樹の枝に跳び乗ると、走り、その幹をさらに蹴って飛んだ。直後、大樹が根元からへし折られる。
「わあ、わああああっ!!」
着地と同時に走る。逃げ切れなくとも逃げるしかない。
ベヒーモスが鼻息を荒げて彼を直線で追った――直後、ベヒーモスの横っ腹で巨大な炎が爆ぜた。
――ゴアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーッ!?
怪物が悲鳴を上げて、四肢で側方によろける。分厚い毛皮が焦げ付いて、灼けた肉が小さな炎をいくつか宿していた。
だが、倒れない。魔王の攻撃を受けてすら。
【くっ、足りない……!? だったら今度はゼロ距離から……ッ!】
少女がベヒーモスの側方から姿を現し、勢いそのままに傷口へと、炎に包まれた拳を叩きつける。
【こンのぉぉぉーーーーッ!!】
闇夜に炎が爆散した。
ベヒーモスの脇腹が再び爆発し、怪物がさらに側方によろけた。灼けた肉が奥深くまで裂けて、炭化した内臓らしきものが見えている。
「すっご……」
リンドウは唖然とする。少女が拳の炎を消して、音もなく着地した。
もはや疑うべくもない。彼女は間違いなく、魔族の領地を統べる魔王のうちの一体なのであると。あんなことができる人間族はいないし、凄腕の魔術師であってもあのように連続して炎を召喚するのは不可能だ。
――ゴ、ガ……ガ……。
ベヒーモスの四肢が折れる――直前、獰猛な眼球が真っ赤に染まった。一息ついた少女魔王を、首を振って巨大な牙で攫うように跳ね飛ばす。
「……あっ!?」
魔王の肉体が数十歩の距離を吹っ飛ばされて転がり、大樹の幹に背中を撲って停止する。
人間であれば即死。並の魔族であっても即死だ。肉体の形状を留めているだけでも奇跡。
【ぅ……ぅあ……】
うめく少女に、脇腹を抉られたベヒーモスが走って迫る。傷口からバシャバシャと何かを零し、その肉に未だ消えぬ魔王の炎を宿しながら。
鋭い牙の先を、ぐったりとしている少女魔王に向けて。
「とどめを刺す気か!?」
けれど、ああ、けれども。
追いつける。少女魔王の魔法体術によって弱った、いまのベヒーモスが相手なのであれば、『万能言語』によって強化された少年の足は。
意識を向けるよりも先に、少年はすでに走り始めていた。
少女魔王にとどめを刺さんとするベヒーモスに追いすがり、力一杯、背中まで引き絞った右の拳を固めて併走し。
不思議と、敵であるはずの彼女を救いたいと思った。
いや、不思議でもなんでもない。たとえわずかな刻であったとしても、神村竜胆にとってもリンドウ・マグダウェルにとっても、彼女ほどともに過ごせた他人は他にはいないのだから。
「やらせない!」
それがたとえ敵性種族、それも魔王であったとしても。
未だ、名前すら識らない。それでも。
「できる! 絶対できる! ボクならやれる! やる!」
暗示強化。己の拳は硬く、鋭く。伝説の鉱石で作られた槍のように。
ベヒーモスの顔まで追いついた瞬間、少年は真っ赤に染まった眼球へと拳を放った。
さらに暗示強化。肉体強化を重ねる。
速く、もっと疾く、さらに鋭く――!
「うおおおおおっ!!」
チート能力『万能言語』による暗示は、自らを信じた分だけ強化される。想像の及ぶ分だけ強くなる。自らの力に対し、ほんの少しの疑いさえも排除することができたならば、可能性は無限である。
それゆえの万能。ゆえに暗示は、“貫け”ではない。
“貫く”――!
まるでそうなることがあたりまえであるかのように。貫く。
牙の先端が少女の胸へ突き刺さる寸前、少年の拳はベヒーモスの眼球を槍のように貫通し、巨大な猪の首を強引にねじ曲げるだけではなく、その全身をも横倒しにしていた。
轟音、そして断末魔の悲鳴が響く――。
コミュ障、精霊王を狩る。
言葉が出ぬなら拳で語れィ!