第十話 コミュ障はいつも不安
前回までのあらすじ!
新居に引っ越した!
魔王の部屋――というか、魔王フロアはリンドウの予想した通り、魔王城大居館の最上階にあった。
フロアの入り口に立ち、リンドウはぼやく。
「【とんでもない広さだ……。アリステン領の実家なんて、このフロアだけで収まっちゃうよ……】」
マグダウェル家、つまり領主の館である。それなりの敷地面積を誇っている。だが比べものにならない。
フラウが少し呆れたようにつぶやいた。
【あたりまえ。マグダウェル家の統治するアリステンは、王国領の一つに過ぎないでしょ。ガリアベルは一国そのものなの。あなたたちは魔族をひとくくりにしてガリアベル領と呼んでいるけれど、こっちではガリアベル魔王国よ。だから比べるなら人類王のいるランドール王国の王城じゃないとね】
「【そっか……】」
てっきり魔族の一領主に収まったと思っていたけれど、人類とは違って魔族は統一王と呼ばれる者が存在していないのだった。つまりは小さくとも一国の王となってしまったということ。
ゆえに、魔王なのである。
「【う……】」
【わかる。重圧で吐きそうになるのわかるわ~。わたしだってすっごく嫌だったもの。でも大丈夫よ。君は一人じゃない。わたしがいるから、ね?】
「【う、うん……】」
だらりと下がった手を、フラウが握ってくれた。
【がんばろー!】
「【うん】」
少し前までなら考えるまでもなく、ほとんど反射的に振り払っていただろうけれど、なぜか不思議と……ああ、そう言えば。
「【なんかふつうに話せてるな……】」
【ん?】
この二日間、二人の間でとんでもないことが連続して起こりすぎたせいか、他人に対する遠慮や嫌悪のようなものを、フラウからは感じなくなりつつある。
これって、もうすでに友達というものではないだろうか。いや、しかし。まだ正式に友情契約というものを結んではいない。
契約? 友情の契約ってなんだ? 書面? 買収? んん? みんなどうやって友達作ってるの?
【甘えん坊のリンドウくんは、ずっと繋いでたいのかな?】
そう、繋がりたい。せっかく友達になれるのなら、ずっと繋がっていたい。前世と合わせてかれこれ五十年あまり、渇望してきた関係性なのだから。
【手】
「【んぇ? 手……】」
視線を下げると、小さなリンドウの指はまだ、フラウの手を強く握りしめていた。
「【うわっ!? ご、ごめっ】」
慌てて放そうとするも、今度はフラウの手が素早くリンドウの指をつかむ。
【いいっていいって。君はまだ子供なんだから。おねーさんに遠慮はいりません。色々背負わせちゃった負い目もあるしね。なんてったって妻でもありますし。このままフロアの案内しちゃうよ】
胸を張って得意げに言うフラウに、リンドウは赤面する。
いや、実はボク、中身だけもう立派なおっさ――立派? 立派じゃないけどおっさんなんだけど……。
女性に対して照れからくる赤面というよりは、自分の情けなさや不甲斐なさに対する羞恥である。初老、すなわち四十路にまで達したおっさんから見れば、このフラワリィ・フォスターこそ小娘なのだが。
言えないっ、恥ずかしくってっ!
ごめん、フラウ、いつか必ず話すから~……。
結局手を繋いだまま、フロアを案内してもらうことになった。
フロアの廊下を歩きながら、フラウが口を開く。
【大居館の上階、つまりこのフロアの階下は、ガリアベル魔王国を統治する高位魔族らの居住区になってるわ。側近の魔将軍や宰相たちが住んでいるけれど、基本的にこのフロアには立ち入らないから安心して】
一通り廻って知れたことは、このフロアは魔王の“部屋”というよりは、魔王の“館”だ。玄関広間に始まり、謁見室に客室、リビング、書斎、主寝室の順に完備されている。
【ただし、基本的に有事の際にだけ、宰相が謁見室にやってくるわ】
「【えっ!?】」
他人がボクの部屋にくるのっ!?
【大丈夫よ。謁見室から先には入ってこない。着替え中に入られて、きゃ~♥ってことにはならないから安心して】
「【でもそれじゃ、どうやって有事を伝えるのさ?】」
【謁見室から伝声管が主寝室にまで各部屋を経由して繋がっているの。聞かれたくない音を立てるときは伝声管の蓋を閉めとけばいいわ。じゃないと謁見室まで生活音が筒抜けになるわよ。ただし、閉じっぱなしはだめ。それは職務怠慢だからね】
伝声管ってたしか、電力も魔力もいらない金属管の単純な通話装置だっけ。
「【う、うん】」
【基本的に魔王の部屋に入室を許されているのは、魔王が特別に許可を与えた者と、炊事掃除洗濯なんかの世話役の女性魔族たちだけよ。みんな若くて綺麗な子ばかりだから、嬉しいでしょ~】
「【えっ!?】」
凄まじく迷惑そうな顔をしたリンドウに、フラウが呆れたようにつぶやく。
【それも嫌なの? ……ん~、だったら、できるだけわたしがやるけど……】
「【えっ!?】」
ムッとした表情で、フラウが両手を腰に当てた。
【何よ。できるわよ、それくらい。お料理上手なんだから。掃除は広すぎてちょっと手が行き届かないから、数日に一回は世話役に手伝ってもらわなきゃだけど】
そうじゃなくて……。
「【せ、洗濯くらい自分で……やる……よ……?】」
上目遣いでつぶやいたリンドウの脳天に、フラウの手刀が落とされた。
「【痛っ!】」
【子供が何遠慮してんのよ。君のパンツ洗うくらいへっちゃらなんだから。マセた心配してるんじゃないの。言っとくけど、世話役を入れるつもりがないなら、わたしができないときは君がわたしのまで洗うんだからねっ】
マセてるんだよ、実際に……。だっておっさんだもの……。小娘さん怖いよ……。
ん? ちょっと待って?
「【い、いま、なんて……?】」
【君が、わたしのまで、洗う】
「【そこじゃなくて! そこも問題だけど!】」
【はい?】
「【…………一緒に住むの……?】」
フラウの眉間に縦皺が寄った。
【あたりまえでしょ。どこに行けっていうのよ。わたしはもう、君の妻なんだからね。それも側室じゃなくって正室、正妻。寝食を共にする関係よ】
リンドウは引き攣った顔で床を指さす。
「【えっと、側近区画に移住……とか……?】」
【結婚初夜から不仲を疑われるでしょ!】
しょ、しょしょ初夜!
【たとえわたしが妻じゃなくても、大居館側近区画は魔将軍と宰相一族の専用よ。その下は魔族兵とその家族たち専用。で、宰相は頭よくないとだめだから違うけど、魔将軍になるには現魔将軍を下克上しなきゃならない】
またその発想……。ほんと修羅の国ぃ~……。
【わたしは嫌よ、そんなの。害を加えてきたわけでもないのに、突然張り倒して地位を乗っ取るなんて、かわいそうだもの。一応、元配下だったし。もちろん一般居館の方に移住してもいいんだけど、そうなると君の魔王業を手伝えなくなるからね】
「【う……】」
ムリだ。フラウの助けなしで魔王なんてやってられない。強制お見合いのときみたいに、また発狂して逃げてしまう未来が容易に思い浮かべられる。
フラウが両腕を組み、ため息をついた。
【もちろん君と同じ部屋に住むわけじゃないから。わたしはそれでも別にいいけど?】
「【ボ、ボクは客室のソファでいい……から、フラウは寝室のベッドを使って……。そ、その方が慣れてるでしょ……?】」
【だぁ~め。客室はわたしが使うから、リンドウが寝室を使って。魔王とその一族しか立ち入ってはならない聖域には、妻であっても偽装のわたしは住めない。線引きをあやふやにしたら、他者が平然と踏み込んでくるわよ】
それは困る。大いに困る。
少し考えるような素振りを見せたあと、フラウが少し意地悪そうな笑みでいった。
【それとも偽装なんかじゃなくって、わたしとほんとの家族になる? リンドウとなら、それもいいかもね~】
「【で……へ……ハッ!? そ……ッ!?】」
言葉がうまく出せなくて、奇しくも夕焼け色の瞳をじっと見つめてしまった。降って湧いたような気まずい沈黙がフロアを支配して、しばらく。
少女がリンドウから視線を逸らせて、一つ咳払いをした。
【ん、んんっ】
冗談よ、と表情を隠したままそうつぶやくと、フラウは先に立って歩き出す。
慌てて細い背中を追いかけながら、リンドウは思った。
小娘、怖い……。
いちいちびびる。




