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TONKATSUが尽きたら、俺は死ぬ  作者: 茶碗蒸し
トンカツはどこにある。
7/9

噂のTONKATSU

翌朝の王城は、妙に静かだった。


夜の騒ぎが嘘みたいに、廊下の足音が吸い込まれていく。石の壁って、静かになると怖い。

俺は窓の外を見た。城下は動いてる。人はいる。旗も揺れてる。


でも――空気が薄い。


昨日の路地で感じた無臭の冷たさが、まだ残っている気がした。


(東の村……)


俺は机の上の皿を見た。朝に用意された揚げパンみたいなやつと、塩っぽい肉の切れ端。

口に入れた瞬間、油の匂いが広がる。


ピッ、ピッ……


耳の奥の音が戻る。

それだけで、俺は安心してしまう。嫌な安心だ。味がないと死ぬって、頭で分かってるのに、体が条件反射で楽になる。


リヴはベッドの端に座って、まだ眠そうな目で俺を見ていた。


「……食べた?」


「食った。お前も食え」


俺が皿を差し出すと、リヴは小さく首を振った。


「こうたが先」


「いや、俺だけじゃ意味ない」


「……意味ある」


リヴがぽつりと言う。声が小さい。けど、いつもより硬い。


俺は皿を置いて、リヴの前に肉を小さくちぎって置いた。


「食え」


リヴは少し迷ってから、ちびっと口に入れた。


ピッ、ピッ……


音が詰まる。

リヴの瞳の奥に、ほんの少し光が戻る。


(やっぱりだ)


俺が眉を寄せると、リヴは視線をそらした。


「……つながってるって、言ったでしょ」


「理由言わねぇのも、言ったな」


「……最後に、わかる」


最後。

その言い方が、胃の底に石を落とす。


俺が余計なことを考える前に、扉が勢いよく開いた。


「ロース様!」


役人が飛び込んできた。顔が疲れてるのに、目だけが輝いてる。

後ろには衛兵が数人。


「今日、城下を通られると聞きまして! 市民が……その……」


「なんだよ」


役人が胸を張って言った。


「《TONKATSU》を見たいと!」


「は?」


脳が理解する前に声が出た。


「え……? トンカツ?」


「はい! 《TONKATSU》!」


役人が何か当然のことみたいに頷く。衛兵まで真剣な顔をしてる。


「昨夜から噂です! ロース様がトンカツの秘術で結界を張った、と!」


「誰が言った!」


「兵たちです! 結界が出た瞬間、揚げ油の匂いが走ったと!」


俺は反射でポケットに手を入れた。油染みナプキンの感触。

(あれか……俺がナプキン舐めたとき……?)


「そんなもん出してねぇ」


俺が吐き捨てると、役人は目を丸くした。


「では……無意識に!? 天啓……!」


「天啓じゃねぇ!」


俺が声を荒げると、リヴが袖をつまんだ。


「……外、行く?」


「行く。行かないと進まない」


俺は溜息をついて立ち上がった。役人が嬉しそうに道を空ける。


「さあ! ロース様! 市民が待っています!」


(最悪の盛り上がり方してるな)



---


城下は、祭りみたいになっていた。


屋台が増えてる。旗が増えてる。昨日より人が多い。

しかも俺を見つけると、一斉に声が上がる。


「ロース様ぁぁ!」


「《TONKATSU》を!」


「揚げてくれぇぇ!」


(揚げてくれって何だよ)


俺は眩暈がした。

護衛が必死に押し返す。


「近づくな! ロース様の神気に触れるな!」


(神気って言うな)


俺は鼻を動かした。揚げ油の匂いがいくつも混ざってる。

屋台の匂いはありがたい。ありがたいけど――この匂いに依存してる自分が気持ち悪い。


ピッ……ピッ……


音は安定してる。今は、まだ。


リヴは俺の半歩後ろを歩く。街の喧騒が怖いのか、少しだけ肩がすぼんでる。


「だいじょぶか」


俺が小声で聞くと、リヴは頷いた。


「……うるさいだけ」


「それだけならいい」


そのとき、群衆の奥から怒鳴り声がした。


「どけ! どけって言ってんだろ!」


人の輪が割れる。

鎧じゃない。粗い布の服を着た男が三人、ふらつくように出てきた。


顔色が悪い。目の焦点が合ってない。

なのに、笑ってる。


「ロース様だぁ? ふざけんな」


男の一人が俺を指差して、へらへら笑った。


「どうせ城が作ったハリボテだろ。戦に勝てるって? じゃあよ――俺らの村、返せよ」


周りがざわつく。役人が慌てて前に出る。


「無礼だ! ロース様に――」


「黙れ」


男が吐き捨てる。

その瞬間、空気が――また薄くなった。


匂いが消える。

屋台の油の匂いが、一気に遠くなる。音が吸われる。人の声が、布越しになる。


俺の耳の奥で、音が一回鳴った。


ピッ………………


間が伸びる。


(来た)


俺は喉が鳴るのを感じた。

目の前の男たちの焦点の合ってない目。それが怖い。さっき料理人が言った薄くなった村の話が、目の前で形になってる。


男が笑いながら言う。


「……俺ら、東から逃げてきたんだよ。村? もうねぇよ。家も、豚も、声も、全部、薄くなった」


群衆が息を呑む。


男は一歩、俺に近づいた。


「ロース様。救世主。ならさ――助けてみろよ」


その一歩で、俺の視界が白く滲んだ。


天井。

白い天井。

モニターの光。

誰かの手が俺の手を握って――


ピッ………………


現実の音が、耳の奥と重なる。


(やめろ)


俺は膝が崩れそうになった。

味が切れる。匂いが消えてる。

さっき食べた揚げパンの油が、もう薄い。


(今、何か……食わないと)


でも屋台の匂いが消えてる。味が届かない。

口の中が乾いていく。


男が、俺の目の前まで来た。


「……結界? やってみろよ」


その瞬間――男の背後に、影が立った。


誰も気づかない。

でも俺は分かった。


影じゃない。影のないもの。


昨日の路地の子供みたいに、そこには影が存在しない。

なのに確かに形はある。


人の形をしてる。

でも顔が見えない。輪郭がぼやけてる。

見つめるだけで、目の奥が冷たくなる。


リヴが俺の袖をぎゅっと掴んだ。必死な力じゃない。弱い。でも震えてる。


「……見ないで」


俺は見てしまった。

見た瞬間、頭の中の何かが折れそうになった。


ピッ………………


音が止まりそうになる。


(死ぬ)


そのとき、俺の手が勝手に動いた。


ポケットの中の油染みナプキン。

指先がそれを握り潰した。


ぐしゃっ。


油の匂いが――ほんの一瞬、立った。

記憶みたいに、揚げ油の熱が脳を叩く。


サクッ……。


音がした気がした。

衣の音。トンカツの音。


俺の喉から、言葉が漏れた。


「……トンカツ……!」


その瞬間。


空気が、ジュワッと鳴った。


本物の油の音じゃない。

でも確かに、熱を帯びた揚げ音が街全体を走った。


匂いが戻る。

屋台の匂いじゃない。もっと強い、もっと真っ直ぐな揚げ物の匂い。

一瞬だけ、世界が黄金色に見えた。


ピッ、ピッ、ピッ……!


耳の奥の音が、一気に詰まった。


俺の掌から、透明な膜が広がる。

でも、今までの薄膜と違う。


膜が――層になってる。


薄い膜が、何枚も重なって、衣みたいな粒が走る。

光を弾くように、パリパリと面が重なっていく。


男が目を見開いた。


「……な、何だ――」


次の瞬間、男の背後の影のないものが、膜に触れた。


触れた、というより――

膜が、その存在を弾いた。


バンッ!


音がした。鐘みたいな硬い音。

聖なる衣の噂が頭をよぎる。


影のないものが、ふわっと後ろへ押し戻される。

輪郭がさらにぼやけて、街の闇へ溶けていく。


群衆が一斉に息を吐いた。


「……今の……」


「揚げ音……?」


「匂いが……!」


役人が叫ぶ。


「ロース様の秘術! 《TONKATSU》だぁぁぁ!」


(うるせぇ!)


俺は叫び返したかった。

でも――次の瞬間、膝が崩れた。


結界が消えるのと同時に、匂いが一気に抜けた。

口の中の油の記憶が、急に空っぽになる。


ピッ………………


間が伸びる。


胸が冷える。視界が暗くなる。


(やばい、これ……)


俺は地面に手をついた。手が震える。

さっきの《TONKATSU》が、俺の中の味を根こそぎ削った感覚があった。


強い。

でも、代償がでかい。


リヴが俺の前にしゃがみ込んだ。


「……こうた」


声が小さい。

いつもよりずっと小さい。


俺はリヴの顔を見て、息が止まった。


リヴの目の光が、さっきより薄い。

《TONKATSU》で助かったはずなのに、リヴまで削れてる。


(俺が使ったせいだ)


俺は喉の奥が熱くなるのを感じた。怖さと後悔が混ざる。


そのとき、誰かが俺の口元に何かを押し付けた。


揚げ魚。

屋台のおっさんが、震える手で差し出している。


「ロース様! これを!」


俺はそれを掴んで、反射で噛んだ。


サク。油。塩。


ピッ、ピッ……


音が戻る。

同時にリヴが小さく息を吐いた。


(……戻る。少しだけ)


群衆は熱狂していた。


「《TONKATSU》だ!」


「救いの揚げ音だ!」


「ロース様ぁぁ!」


俺は口の中で揚げ魚を噛みながら、心の底で思った。


――これは武器じゃない。

これは、俺の命を削って出す最後の手段だ。


そして、見えた。


さっき弾いた影のないものが、街の屋根の上に立っている。


振り返らない。

でも、確かにこっちを見ている。


影がないのに、視線だけが刺さる。


リヴが俺の袖を掴んで、震える声で言った。


「……東へ行こ」


俺は頷いた。


「行く」


揚げ魚の味が薄れないうちに。

リヴが薄くなりきる前に。


そして何より――


さっきの影のないものが、次に来る前に。

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