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TONKATSUが尽きたら、俺は死ぬ  作者: 茶碗蒸し
トンカツはどこにある。
6/9

城下

「東の村が……薄くなりました」


役人の口から出たその言葉が、部屋の中の温度を一気に落とした。


薄くなる。

消えるじゃなくて、薄くなる。


たぶんそれが一番、怖い。


「……詳しく」


俺が言うと、役人は喉を鳴らして、言葉を絞り出した。


「家が……壁が……角から、ぼやけるように。人も……声も……。今朝までは確かにあったのに、夕方には“そういうものが最初から無かった”みたいに……」


俺の耳の奥で、音が一回鳴った。


ピッ………………


間が長い。


(やめろやめろ)


俺は反射で机の上の油染みナプキンを指で撫でた。意味はない。味もない。なのに、こういう時に限って、指先の感触が現実を繋いでくれる。


背後で、リヴが小さく息を吐いた。


「……来てる」


声が、さらに小さい。


俺は歯を食いしばった。

揚げ芋と揚げ魚で何とか繋いだだけだ。トンカツどころか、肉自体がない。匂いで延命してるみたいなもんだ。


「王に報告だ」


役人が震える手で扉の外に合図を送る。すぐに衛兵が走り出した。


その瞬間、俺の腹が鳴った。


ぐう。


最悪のタイミング。

でも、今の俺にとっては警報だった。


リヴの手が少し冷たくなる。俺は反射で、昼に残した揚げ魚の欠片を探した。部屋の隅の皿にある。油は冷めてる。でも匂いはまだある。


俺はその欠片を口に入れた。


パリ……。


硬い。冷たい。

でも塩気がある。


ピッ、ピッ……


音が戻る。

同時にリヴの肩がほんの少しだけ落ちた。


(……やっぱり繋がってる)


繋がってる理由は、まだ言葉にしたくない。言葉にした瞬間に、本当にそうなってしまいそうで。



---


その夜、王城の広間に呼ばれた。


扉を開けた瞬間、空気の重さが違う。

豪華な椅子が並び、鎧の衛兵が壁際に立ち、役人がずらっと並んでいる。真ん中には王――まだ若いが目が鋭い男が座っていた。


俺が入った途端、ざわっと声が広がる。


「ロース様だ……」


「救世のロース様……」


「今度こそ勝てる……」


(やめろ)


背中が痒い。

でも今はそんなことより――俺は王に向かって言った。


「肉がない」


広間が、しん…と静まった。


王が眉を動かす。


「……聞いた。家畜が消える、と」


「消えるの原因、東の村だろ」


役人たちがどよめく。王が手を上げて黙らせた。


「東の村は、すでに調査隊を――」


「調査じゃ遅い」


俺は口が勝手に動いた。


「俺は食わないと死ぬ」


一瞬、静寂。

次の瞬間、役人が「は?」って顔をする。衛兵が一斉に俺を見る。王は表情を崩さないまま言った。


「……今、何と言った」


(言っちゃった)


でも引っ込められない。俺は腹の底から吐き出した。


「トンカツがないと死ぬ。いや、トンカツじゃなくてもいい。肉と油と衣があればいい。味がいる。俺は……味が切れるとヤバい」


役人が「ロース様、それは比喩で――」と慌てる。


「比喩じゃねぇよ!」


俺が怒鳴ると、広間の空気がびくっとした。


リヴが俺の袖をつまんだ。小さな力。

落ち着けって言われてるみたいだった。


王はしばらく黙って、俺の目を見た。


「……ならば、逆に聞く。ロース。お前は東へ行けるか」


「行く」


即答した。


王が頷く。


「護衛をつける。だが条件がある。城下で一度、物資を揃えろ。お前が倒れれば終わる。……お前が必要だ」


必要。

その言葉が、妙に重く響いた。


俺は唾を飲み込んで頷いた。


「分かった。城下で揚げ物の匂いを探す」


役人たちは理解できない顔をしていたけど、王だけは少しだけ目を細めた。


「……油の匂いに、何がある?」


俺は答えなかった。答えられない。

代わりに言った。


「俺の命がある」


王はそれ以上追及せず、短く命じた。


「準備だ。今夜のうちに」



---


城下へ出ると、夜なのに人が多かった。


戦争が近い時ほど、街は妙に明るい。

誰もが不安で、だからこそ灯りを増やして、笑って、酒を飲んで、何かに縋ってる。


俺とリヴが通りに出た瞬間、空気が変わった。


「ロース様だ!」


「ロース様ぁぁ!」


「おい、トンカツの人だ!」


(トンカツの人って何だよ)


誰かが走ってくる。花みたいな布を押し付けてくる。子供が手を振る。

衛兵が必死に押し返す。


「近づくな! ロース様に触れるな!」


触れるなって言い方がもう宗教なんよ。


俺は胃がきゅっと縮むのを感じながら、鼻を動かした。


揚げ油の匂い。


あった。

屋台が並ぶ通りの奥、油の香りが確かに漂っている。


「……あっち」


俺が歩き出すと、護衛の衛兵が慌ててついてくる。リヴは俺の半歩後ろ。歩幅が小さい。でもついてくる。


屋台の前に辿り着くと、鍋で何かを揚げていた。細い魚、芋、パンみたいなもの。油の音が鳴ってる。


ジュワッ。


その音だけで、胸が少し楽になる。


ピッ、ピッ……


耳の奥の音が戻った。

リヴの指先が、ほんの少し温かくなる。


俺は屋台のおっさんに言った。


「一番匂いが強いやつくれ」


「ロ、ロース様!?」


おっさんが目を丸くする。周りの客がざわつく。

俺はもう慣れ始めてた。慣れたくないのに。


「いいから。揚げたて」


おっさんが震える手で、揚げた魚に塩を振って渡してくる。俺はすぐ口に入れた。


サク。

油。

塩。


ピッ、ピッ、ピッ……


(よし)


俺はリヴにも少し渡した。リヴが小さく噛む。目が少しだけ戻る。


その瞬間、背後から声がした。


「……ロース様、ですか」


低い声。落ち着いてる。

振り返ると、フードを被った商人が立っていた。目だけが妙に鋭い。周りの浮かれた空気と合ってない。


「何だよ」


商人は俺の手元――油で光る揚げ魚を見て、次にリヴを見た。

そして小声で言った。


「肉をお探しでしょう。……光の油の噂をご存じですか」


俺の胃が反応した。


「光の油?」


商人は頷く。


「東の方に、夜でも黄金色に揺れる油がある、と。普通の油より香りが強い。揚げれば、腹の底まで熱が落ちると」


「どこだ」


即答した。

商人は少しだけ口角を上げた。


「……東の村の、さらに先。今は誰も近づきません。薄くなりますから」


薄くなる。

またその言葉。俺の背中が冷える。


リヴが俺の袖を引いた。


「……それ」


声が小さい。だけど、いつもより鋭い。


商人が続けた。


「それと、もう一つ。白い豚」


「白い豚?」


「ええ。月明かりの下で、毛が光る豚です。肉に臭みがなく、脂が甘い。……見つけた者は、二度と普通の肉に戻れないと言う」


俺は喉を鳴らした。


(それだろ……)


商人はさらに言葉を重ねた。


「最後に、聖なる衣。衣です。粉ではなく、布のような。揚げた時に、音が違う。サクッではなく、……カンッ、と鳴ると」


「鳴る?」


「はい。まるで、鐘のように」


さっきの鐘が頭をよぎる。

嫌な繋がり方だ。


俺は揚げ魚をもう一口噛んだ。味が薄れるのが怖い。

商人の話が本当なら、俺は東へ行くしかない。


でも――


「なんで俺にそんな話する」


俺が言うと、商人は肩をすくめた。


「あなたが行けば、薄くなるのが止まるかもしれない。……それに」


商人は一瞬だけ、俺のポケットの端から覗く紙――レシートを見た気がした。


「持ってる人は、行ける」


「は?」


「いえ。独り言です」


商人はそれだけ言って、フードを深く被り直した。


「東へ行くなら、夜明け前がいい。薄くなる前に、匂いを追えますから」


そう言い残して、人混みに消えた。


(なんだ今の……)


背中に汗が出る。

リヴが俺の袖を引いて、じっと俺を見ていた。


「……こうた」


「ん」


リヴは夜の灯りを見ながら、ぽつりと言った。


「匂いは、道になる」


「……何それ」


「わたし、分かる。……分かる気がする」


その言い方が怖かった。

知ってるじゃない。分かる気がする。


俺は屋台の灯りから少し離れて、狭い路地に入った。人の声が遠くなる。油の匂いも薄くなる。


その瞬間、耳の奥の音が遠のいた。


ピッ………………


間が伸びる。


(やばい)


俺は慌てて揚げ魚の残りを噛んだ。

ピッ、ピッ……戻る。危ねぇ。


そのとき、リヴが急に足を止めた。


「……ここ」


「は?」


リヴは路地の壁に手を触れた。石の冷たさに指が吸い付くみたいに、じっと。


「ここ……知ってる気がする」


俺の背中が、ぞわっとした。


「前も言ってたろ、それ。東の村の時も」


リヴは首を振った。


「違う。……もっと、前」


もっと前。

その言葉の意味を考えた瞬間――


路地の奥、暗がりの中で、誰かがすっと通り過ぎた。


子供みたいな背丈。

なのに足音がしない。


そして、灯りがあるのに、その子には――影がなかった。


俺が息を呑んだ瞬間、耳の奥で音が鳴った。


ピッ…………


一回だけ。


長い間。


次の音が、来ないまま。


リヴが俺の袖をぎゅっと掴んだ。力が弱いのに必死だった。


「……見ないで」


俺は喉が乾いて、声が出なかった。


路地の奥の影のない子供は、振り返らない。

ただ、夜の闇へ溶けていった。


その背中を見送る間、俺の耳の奥は、沈黙したままだった。

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