表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
TONKATSUが尽きたら、俺は死ぬ  作者: 茶碗蒸し
トンカツはどこにある。
5/9

揚げられない夜

「……肉が、ない」


言った瞬間、厨房の空気が一段冷えた気がした。


料理人たちは気まずそうに目を逸らす。役人は「え、そんなことある?」みたいな顔で固まってる。

でも俺の中では、もっとデカいものが固まってた。


――詰み。


トンカツがない。

この世界でトンカツが作れない。

つまり、俺の命の残数が増えない。


耳の奥で、例の音が鳴った。


ピッ………………


一回だけ。

間が長い。


(やめろやめろやめろ)


俺は無意識に喉を鳴らした。干し肉の味はもう薄い。からしもソースもほぼ空。油染みナプキンなんて、いつまで味として通用するか分からない。


横を見ると、リヴが俺の袖を掴んだまま、立ってるのに少しだけ傾いていた。


「リヴ」


呼ぶと、リヴは笑おうとした。笑えないのに、口角だけ上げた。


「……だいじょぶ」


嘘だ。声が細い。


俺は厨房の床を蹴って、料理人の男に詰め寄った。


「肉、どこ行った」


「……戦が続きまして。家畜は徴発され、残ったものも、最近は……」


男は言葉を濁した。濁した瞬間が、一番怖い。


「最近は、なんだよ」


料理人は周りをちらっと見てから、小声になった。


「……消えるのです」


「は?」


「朝、厩にいたはずの豚が。牛が。……影だけ残して」


意味が分からない。影だけって何だ。

でも背中が冷える。


役人が慌てて割って入った。


「やめろ! 変な噂をロース様に――」


「噂じゃない」


料理人がかぶせた。目が真剣だった。


「血も残りません。鳴き声もありません。ただ、空気が……薄くなる」


その言葉に、俺の耳の奥が反応した。


ピッ……


短く鳴って、すぐ間が伸びる。


(同じだ)


俺は料理人を睨んだ。


「それ、いつから」


「数日前からです。東の村で先に起きて……次に、ここでも」


東の村。


この前逃げた道の先。あっちの方向。

リヴが「知ってる気がする」って言った場所。


リヴが俺の袖を引いた。


「……こうた」


「ん」


リヴは目を伏せたまま、言葉を探してるみたいに口を開いた。


「ここ、揚げられる?」


「揚げる?」


「……衣。油。匂い。……少しでも」


俺ははっとした。


トンカツじゃなくてもいい。今は味が要る。

油の匂いでも、揚げた熱でも、何か口に入れれば、心拍が戻るかもしれない。


俺は料理人に言った。


「油はあるな」


「油は……ございます。ですが、貴重で――」


「今、貴重とか言ってる場合じゃねぇ」


役人が「ロース様!」と焦ったが、俺はもう構ってられなかった。


「肉がないなら、肉以外でもいい。揚げられるもの出せ。芋でも草でも何でも」


「芋は……あります。あと、干し魚も少し」


「それでいい!」


料理人が驚きながらも頷いて、部下に指示を飛ばした。

誰かが芋を持ってくる。別の誰かが、瓶に入った濁った油を抱えてくる。


油の匂いが鼻に届いた瞬間、俺の胃がきゅっと鳴った。


(これだ)


耳の奥の音が少しだけ近づく。


ピッ……ピッ……


リヴの指が、俺の袖を掴む力がほんの少し戻った。


「……いい匂い」


その一言で、俺の胸がぎゅっとなった。

可哀想なことはしたくないって決めたのに、こういう静かな弱りは、容赦なく刺してくる。



---


料理人は手際がいい。

芋を切り、水でさらし、粉みたいなものをまぶし、油を熱する。


ジュワッ――。


油の音が鳴った瞬間、俺は息を止めた。


(この音だ)


世界が一瞬だけ現実になる音。


耳の奥で、心電図の音が揃う。


ピッ、ピッ、ピッ……


俺は思わず笑いそうになった。笑えないのに。


料理人が揚がった芋を皿に乗せ、塩を振る。

湯気が立つ。衣は薄いけど、ちゃんと“揚げ物”だ。


「どうぞ……」


俺は箸を取った。割り箸じゃない、ちゃんとした箸。

でも指先が震えて、箸先が皿に軽く当たった。


(落ち着け)


一切れ口に入れる。


サク。

ホク。

油。塩。


――生きてる味。


ピッ、ピッ、ピッ……


音が、明らかに詰まった。

胸の奥が温かくなる。肺がちゃんと膨らむ。視界の端がクリアになる。


隣でリヴが、小さく息を吐いた。


「……戻った」


声が少しだけ太い。


俺はすぐ、もう一切れを小さく割ってリヴに差し出した。


「食え」


「……うん」


リヴは遠慮しないで食べた。

ちびっと噛んで、目を閉じる。


その瞬間、リヴの頬にほんの少し血色が戻った気がした。


(よし)


俺は胸の奥で拳を握った。

トンカツじゃなくても、揚げ物ならいける。味があれば繋げる。


でも――


俺はすぐに気づいた。


この芋は、延命にはなる。

でも回復じゃない。


トンカツを食ったときみたいな、芯まで戻る感じがない。

音は詰まった。でも、どこか弱い。


ピッ…ピッ…ピッ…


少しだけ間が揺れる。


(これじゃ足りない。いつか追いつかれる)


俺が黙り込むと、料理人が様子をうかがうように言った。


「……お口に合いませんか」


「うまい。……でも、足りない」


料理人は意味が分からない顔をした。そりゃそうだ。


役人が得意げに言う。


「ロース様! 王城には他にも――」


「肉がないんだろ」


俺が睨むと、役人が口をつぐんだ。


料理人が小声で続けた。


「……豚は、以前はいました。王城の厩にも。ですが今は……」


「消えた、ってやつか」


料理人は頷いた。怖いほど静かに。


「……光を喰う獣の仕業だと」


その言葉で、厨房の空気がさらに冷えた。

誰かが手を止めた。油の音だけがやけに大きい。


(光を喰う獣)


俺はその言葉を口の中で転がした。


光?

油の熱?

命の気配?


耳の奥で、ピッ……が一回鳴って、間が伸びた。


(やめろ、今は食ってるだろ)


俺は焦って芋をもう一切れ食べた。

ピッ、ピッ……戻る。でも完全じゃない。


リヴが俺の袖を引く。


「……こうた」


「ん」


リヴは小さく首を振った。


「食べすぎると、減る」


「……当たり前だろ」


「……でも、今は……まだ」


まだ。

その言い方が妙に引っかかった。


まだ何だ。

まだ追いつかれてない?

まだ間に合う?


俺は考えるのをやめた。今は、今の味を確保する。


「料理人、他に揚げられるもん出せ。魚でもいい。匂いが強いの」


「……はい!」


料理人が干し魚を揚げ始めた。

匂いが立つ。油が鳴く。衣がはじける。


俺は息を吸っただけで、胸が少し楽になるのを感じた。


ピッ、ピッ、ピッ……


(……いける。まだいける)


その“まだ”が、逆に怖かった。



---


夜になった。


王城の一室に通された。豪華な寝台、分厚いカーテン、石の壁。

でも落ち着く暇なんてない。俺の頭の中は、ずっと同じことだけ。


肉。

油。

衣。

トンカツ。


そして――回数。


俺は椅子に座ったまま、ポケットの中身を机に並べた。


レシート。

ソースの空袋。

からしの空袋。

割り箸の袋。

油染みナプキン。


さっきの揚げ芋がなかったら、俺もリヴももっと危なかった。

でも、これからどうする。


リヴはベッドの端に座って、足を揃えていた。

背筋は伸びてる。でも目が少しぼんやりしてる。


「リヴ」


呼ぶと、リヴは目を上げた。


「……なに」


「今日、助けた」


「……うん」


「でも、これからどうする」


リヴは少し考えて、答えた。


「探す」


「何を」


「……ほんとの揚げ」


俺は息を吐いた。


「肉か」


リヴは頷いた。


「……うん。光のある肉」


光のある肉。

意味が分からないのに、なぜかそれが“正しい”気がした。


そのとき。


遠くで、鐘が鳴った。


カン……カン……。


城の中がざわつく音がする。走る足音。扉を叩く音。

俺は立ち上がった。


「何だ」


リヴがゆっくり立つ。

立つのが、少し遅い。


ドン、ドン。


扉が叩かれた。


「ロース様! 急報です!」


役人の声。妙に震えてる。


俺が扉を開けると、役人は青い顔で頭を下げた。


「東の村が……」


その言葉だけで、俺の背中が冷えた。


「東の村が、どうした」


役人の唇が震える。


「……薄くなりました」


「薄く?」


「人も、家畜も、声も……まるで最初から無かったように……」


俺の耳の奥で、音が一回鳴った。


ピッ………………


長い間。


次が来ない。


俺は反射で息を吸った。吸えない。肺が空回りする。


背後で、リヴが小さく言った。


「……近い」


その声が、いつもよりずっと小さくて。


俺は振り返って、リヴの顔を見て――


言葉を失った。


リヴの目の光が、さっきより薄い。


泣いてない。叫んでもない。

ただ、静かに、確実に――弱ってる。


俺は唇を噛んだ。


(間に合え)


そして初めて、心の底から思った。


トンカツが食いたいんじゃない。

トンカツで、まだ生きたい。


耳の奥で、ようやく次の音が来た。


ピッ…………


でも、その間は、さっきより長かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ