悪役は一人でいい! ~悪役令嬢、ペットが欲しい~
「悪役成分が足りませんわね」
寮内の自室にて、イーリス・エル・カッツェは悩んでいた。
イーリス・エル・カッツェは、転生者にして悪役令嬢である。前世が稀代の悪役好きであった彼女は、今生でも悪役令嬢を目指して邁進している。世間が、そして世界が覇王勇者として認めていようと、本人は悪役令嬢のつもりであり、世界で最高の悪役を目指して日々迷走し続けている。
「悪役令嬢として、悪役成分が足りませんわ。ワタクシは悪役令嬢。いずれ断罪される世界一の悪役として、もっと悪役成分を高めなければなりませんわ」
イーリスは想像する。
王城の玉座にて、高笑いする自らの姿を。その足元に跪く、アリス・イル・ワンドとカイル・エル・バハームドの姿を。
「……いいですわね」
見事な悪役っぷりである。そこで悪の三段笑いを披露すれば、さぞかし絵になることだろう。自らのその姿を想像して、イーリスの顔には笑みが溢れる。
悪役令嬢ではなく完全に悪の組織のボスであるが、イーリスには関係ない。世界一の悪役令嬢であるならば、国を裏から牛耳ることも朝飯前のはずなのだ。
しかし、何かが足りない。その場面を彩る何かが、決定的に欠けている。
悪役には何が必要だろうか。孤高の悪役が心を許しているのは……そう考え、イーリスの脳内に閃くものがあった。
「ペットですわ!」
そう、ペットである。
猫か、犬か、豹か、それとももっと獰猛な獣か。いや、獰猛な獣がいい。
足を組んで座っている玉座の足元に、立派な猛獣が控えているのだ。それを優雅に撫ででもしたら、何ということだ、立派な悪役ではないか。
「これですわああああぁぁぁぁ!」
我天啓を得たりと言わんばかりに窓から外に向かって叫ぶイーリス。夜寝る前だというのに、元気なことである。
なお、今はまだ深夜ではないが、眠っている生徒も多い時間帯だ。そんな生徒の心地よい眠りを妨げるイーリスは、やはり稀代の悪役なのだろう。
ちなみに、イーリスのベッドの下に忍び込んでいたアリスは、イーリスの叫びを聞いて心配のあまりベッドの下から飛び出してしまった。その瞬間、阿修羅の如き移動から一瞬千撃な超必殺技を食らったのは、些細な出来事である。
◆
神の楽園エルドラド。世界の端にあるそこは、神々が創り出したと言われている世界最高の秘境である。
地上には豊かな美しい森が広がり、見上げれば天を突き破るような鋭く険しい山々がそそり立っている。そして、天と地の間には巨大な結晶が無数に漂っており、光を反射して神秘的な景色を作り出している。
漂っている結晶には無色透明なものもあり、それに立てばまるで宙に立っているような気分を味わえることだろう。この結晶については様々な研究者が調べているが、わかっていることは少ない。少なくとも、現時点では人間に作り出すことはできないだろうという結論が出ている。
世界最高の秘境にして、世界最高の不思議が眠っているエルドラド。まさにここは神の楽園と呼べるだろう。
「オーホッホッホッホ! オーッホッホッホッホ!」
そんな楽園に、謎の悪役令嬢の高笑いが響く。いや、こんな場所に来ている時点で、その悪役令嬢が誰かは想像がつくだろう。
覇王勇者イーリス・エル・カッツェである。
結晶の上に立っているイーリスの姿はまさしく威風堂々。神をも恐れぬ大胆不敵な仁王立ちは、覇王に相応しき覇気を纏っている。
イーリスの覇気に触発されたのか、エルドラドのそこかしこで威圧的な遠吠えが聞こえたり、巨大なドラゴンがイーリスとは逆方向に飛んでいったりしている。覇王勇者は、人間以外にも迷惑な存在なのだ。
やはりイーリスは稀代の悪役である。
「イーリス様、素敵ですねぇ」
「ああ、絵になるな」
そんな傍迷惑なイーリスを感動した様子で見ているのは、イーリスの後ろに控えているアリス・イル・ワンドと、カイル・エル・バハームドだ。イーリス自身も忘れかけているゲーム「今日の天気は晴れのち恋」のヒーローとヒロインは、今日も悪役令嬢に心酔している。
見事な節穴EYEである。
「アリスさん、カイルさん。今日は呼んでもいないのにありがとうございます。ワタクシの悪役令嬢への道を手伝ってくれると聞いて、ワタクシとても嬉しく思っていますわ」
「いえ、イーリス様の助けになれるなら、いつでも飛んできます!」
「そうですの。ところで、アリスさんは大丈夫ですの? 昨日の夜に確実に致命の一撃を入れたはずなのですけれど」
「問題ありません! 愛があれば耐えられます!」
「そう、愛……ワタクシの知らない境地ですのね。それはまさしく正義の境地……やはり、ワタクシを断罪するのはアリスさんしかいませんわ!」
「すいません! 断罪するには証拠が足りないんです!」
「なら仕方ないですわね……もう少し調査を続けてくださいますか?」
「わかりました!」
見事なポンコツっぷりを見せている二人だが、問題ない。こいつらはいつもこの調子である。カイルが混ざってもこの調子である。むしろカイルもこれである。
「ところでイーリス様。犬が欲しいと聞きましたが、どんな犬が欲しいんですか? むしろ犬が欲しいんですか? 犬じゃなければ駄目なんですか?」
「そうですわね。やはり悪役に相応しい猛獣がほしいですわね。犬に限らず、虎、ドラゴン、豹、全てワタクシにぴったりなペットだと思いますわ」
「獣ですか……」
残念そうなアリスはさておき、イーリスが求めているのは悪役に相応しいペットである。つまりそれ相応の強さや品格を求めているのであって、チワワのような愛玩動物は求めていないのだ。もちろん人型のペットも求めていない。
いそいそと犬耳をしまっているアリスを無視して、イーリスは水晶の上から楽園を見渡す。
ほぼ全ての動物、魔物、魔獣などがイーリスから離れようとしているが、問題ない。イーリスならば一足飛びで狙った獲物を仕留められる。それに、逃げ出すような腰抜けだけでなく、立ち向かってくる勇気ある誇り高い魔獣もいるようだ。
何という誇り高さ。自らを犠牲にしようというのか、それとも皆を守るべく立ち向かおうというのか。その気高い精神にイーリスの気分も高揚し、自然に花開くような美しい笑みを浮かべていた。
「いいですわ、素晴らしいですわ、それこそワタクシのペットに相応しいですわ”」
思わず神剣アラストールを取り出してしまったイーリスは、その場で素振りを始めた。ブオンブオンと空気を裂く音が響き、生じた真空の刃は結晶や山、森などを容赦なく切断する。アリスやカイルの方にも真空の刃は飛んでいったが、アリスは全くの無防備で、カイルは素手で受け流すことで刃を防いだ。
「あら、申し訳ありませんわ。ワタクシ、つい興奮してしまって……」
「問題ありません!」
「君についていくなら、この程度の攻撃は避けられないとね」
恐ろしい状況で和やかな会話をしている間に、その魔獣はついにたどり着いた。
真空の刃を必死に避けてきたのだろう。所々に切り傷が目立つ。だが、見たところ深い傷はない。戦意も十分。今にも襲い掛かってきそうである。
それは、神殺しの牙として知られている魔獣であった。その体躯は軽く人の数倍はあるだろう。唸りとともに見せている鋭い牙には必殺の概念が宿っており、牙がかすっただけであらゆる命を滅ぼす力を持っている。神でも抗うことのできないその牙で、魔獣は多くの神々を抹殺してきたのだ。
故に、神殺しの牙。数多の世界で知られているその存在は、この世界でも名をフェンリルといった。
フェンリルが鋭く三人を睨む。フェンリルの瞳に特別な力はないが、視線に乗せた殺気だけで強者は竦み、弱者は死ぬだろう。神を殺すフェンリルは、あらゆる命に対して死を振りまく。
当然フェンリルはこの場にいる三人に対しても死を振りまくが、ここにいるのはただの人間ではない。イーリスを筆頭に色々とおかしいことになっている三人である。
「涼しい殺気ですわね」
「なんかチクチクしますね」
「君達は凄いね、僕は足の震えが止まらな……すまない、止まったみたいだ」
だから、そんなフェンリルの殺気も三人には通用しなかった。唯一効果があったカイルも、数秒で慣れたようだ。哀れである。
ならばとフェンリルが飛びかかる。音を置き去りにし、唯一の非戦闘員であろうアリスに向かって、その牙を突き立てた。
アリスの体に食い込むフェンリルの牙。必殺という概念が命を滅ぼす毒となり、アリスの体を、魂を、精神を、存在を、時間を必要とせずに滅ぼ……滅ぼ……滅ぼ……滅ぼせない。
疑問に思ったフェンリルが魔力を込め、力を強化し、奥へ奥へと牙を刺すも、アリスが死ぬ様子はない。何が起こっているのかわからない様子で、きょとんとイーリスを、カイルを、そしてフェンリルを見ているだけだ。
そして、数秒の拮抗の後――。
フェンリルの牙は、無残に砕け散った。
「さすがイーリスの攻撃に耐えるだけのことはある」
「世界最高の盾は伊達ではありませんわ」
「え? いえ、結構柔らかいですよ、この牙」
わりとひどいことを言っている三人だったが、フェンリルにその言葉は聞こえていない。
自慢の牙だったのだ。その牙が粉々に砕かれた。ショックを覚えつつも、フェンリルは考える。
フェンリルがこの世界に来て千年以上が経つ。この世界に来て数年後、異世界の神々がこの世界に攻め込んできたことがあった。
その時も、フェンリルは自らの牙で神を殺し尽くしてきた。神に匹敵する大悪魔も、山のような巨体のドラゴンも、この牙で殺してきたのだ。
それに耐えるこの小娘は何なのだ! 驚愕とともに湧き上がるのは畏怖の念だ。フェンリルの牙をへし折ったアリスへの賞賛だ。
ここに来て、フェンリルは認識を変えた。ただの愚かな人間でなく、自らを滅ぼすことのできる強敵であると。
いつ以来だろうか。ここ数百年、フェンリルは強敵と出会うことはなかった。殺されるかもしれないという死闘を味わうことはなかった。数百年の安寧は、フェンリルの魂を腐らせ始めていた。
腐り落ちるよりは、自ら死を。そう思っていたところに表れた、三人の強敵。もしかしたら、最期の花を咲かせてくれるかもしれない愛しき御敵だ。
非戦闘員のアリスがフェンリルの牙を砕いたのだ。フェンリルは期待を込めて、砕けた牙を再生させながらカイルを見た。
見られたカイルは無警戒だ。感心した表情でアリスを見ている。フェンリルにしてみればそれは間抜け面以外になく、駄目かもしれないと失望を抱く原因になった。
しかし、それは覆される。
先程よりも速く、瞬間で移動したように見せたフェンリルの牙を、カイルは素手で受け流した。迫るフェンリルをその両の目でしっかりと見据え、フェンリルの頬に触れ、最低限の力で流れを変えたのだ。
あまりにも鮮やか。あまりにも自然。フェンリルにしてみれば、頬を触れられたと思ったら、勝手に自ら攻撃を外していたという状況である。カイルは避けることすらしていないと、フェンリルは認識していた。
外したと思うと同時に、距離を取り体勢を立て直す。この男も面白い。フェンリルの顔が獰猛に歪む。ならば最後の女はとフェンリルがイーリスを見て――動きを止めた。
「試す必要はありませんわ」
何だ、その剣は?
「少しだけ、見せてあげますわ」
イーリスが呼び出したのは神剣アラストール。遙か古代より受け継がれてきた、神の力を込めた神剣である。
フェンリルもそれを見て理解できた。込められているのは確かに神の力だ。それはわかる。神の力を感じたから、フェンリル以外の魔物や魔獣は逃げたのだ。
だが、と、フェンリルは思う。
だが、だが、だが……。
その剣に込められているのは一体何だ?
聖剣なのか? 魔剣なのか? どちらかの属性に偏っているのではなく、どちらの属性も等しく持っている。
そんな剣は見たことがない。聖剣であり、魔剣でもあるなど、そんなふざけた存在が許されるものか。相反するものだ。許されない属性だ。それを持っているということは、すなわち全てを持っているに他ならない。
それは、あのお方だけに許された……。
「殺しはしませんわ」
イーリスの声に、フェンリルの意識が戻ってきた。戦闘中に考え事など言語道断。敵がそれを待ってくれるはずがない。
フェンリルが気がついたときには既に遅かった。イーリスが神剣を振ると、神剣から放たれた光がフェンリルを襲った。
避けられない。いや、避けることが許されていない。本能で、フェンリルは察した。フェンリルは全てを受け入れてその光に身を晒した。アリスは喜々としてその光に身を晒した。
フェンリルが感じたのは、安堵だった。まるで母の胎内にいる感覚だ。全てを生み出した偉大なる原初の母に包まれているような暖かさだった。
それを感じさせる光に、フェンリルは始まりを見た。原初を見た。創世を見た。ああ、そうか。これこそが……。
理解し、納得し、そしてフェンリルは敵わぬと負けを認めた。
「どうやらこの剣の本質に気がついたようですわね。結構、それでこそワタクシのペットに相応しいですわ」
イーリスが神剣をしまう。その瞬間、エルドラドを支配していた神気も霧散し、エルドラドには元の空気が戻ってきた。アリスはどこかに消えてしまった。カイルは涙を流しながら敬礼していた。
そしてフェンリルがようやく気がついたイーリスの覇気。世界すら包み込むであろう圧倒的な覇王を幻視して、フェンリルははじめてイーリスが神剣を持っている理由を知った。
世界を背負えずに、あの神剣を持つことができるわけがない。
「今回は少し解放しましたが、この剣は力がありすぎます。聖剣として使うだけで十分ですわ」
イーリスが優しくフェンリルの頭を撫で、フェンリルもそれを受け入れた。既にフェンリルに戦意はない。フェンリルは、イーリスに従属することを受け入れたのだ。
◆
「これでペットを手に入れたわけですが、名前を決める必要がありますわね」
「イーリス様、私にいい考えがあります!」
「ボクにも一つ案がある」
「あら、皆さんありますのね。結構、ならば同時に発表して、一番いい名前をつけるとしますわ。後、いつの間にアリスさんは戻ってきたんですの?」
「神様に会ってきたのでイーリス様の素晴らしさを力説して返してもらいました」
「そうですか。ご苦労様ですわ」
「ありがとうございます」
アリスが戻ってきたことをサラリと流して、フェンリルの命名会議がはじまる。と言っても、既に考えている名前を発表するだけなので、会議も何もないのだが。
フェンリルにしてみれば期待の瞬間だろう。新たな主人は一体自分にどう名付けてくれるのか。緊張しつつも、どこか楽しみといったところか。
そして、ついにフェンリルの名前が決まる時が来た。
一体、三人はどんな名前を考えていたのか? 緊張の一瞬である。
「それじゃあ、いきますわよ? せーの」
「ポチ!」
「田吾作!」
「アーラスヴォルド・デ・イレインクホイップ ~悲しみを添えて~」
どれもひどかった。
それぞれイーリス、アリス、カイルの案である。どれもひどいが、カイルのものは特にひどい。もはや名前ではない。
このままでは生き恥をさらすことになる。そう思ったフェンリルの必死の抗議の末、現時点で名前を決めるのは保留ということになった。だが、変な名前がつけられる可能性がなくなったわけではない。イーリスと愉快な仲間達による命名会議は、これからも開かれるのだ。
まともな名前をつけられるための、フェンリルの戦いはまだまだ続く!
なお、それから数時間、三人はたっぷりとフェンリルを可愛がった。全身を撫で、餌をやり、フェンリルに乗って駆け回った。
駆け回った時の、風と一体になったような感覚を三人は忘れられそうになかった。一人一匹フェンリルを手に入れようという話になった時は、フェンリルはアリスとカイルに捕獲される哀れな同族のことを思い、幸福を祈った
そして、フェンリルは気がついてしまった。
同族がペットになる度に、地獄のような命名戦争をくぐる抜ける必要があるということを。
その未来は避けられない。その未来は変えられない。それに気がついたフェンリルには、絶望の感情しか残っていなかった。
そして、絶望の中でフェンリルは、悲しく哭くことしかできなかった。