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古市家の妖怪事情  作者: 岩月クロ
第二章 約束を破ってもらえない雪女
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3.予期せぬ感情に戸惑う

 古市(ふるいち)(ぜん)

 結婚が決まってから、彼の名を知った。「そっちは?」と訊かれ、「松雪千佳(ちか)」と名乗った。向こうも十中八九、この時に私の名前を知った。

 趣味も、癖も、仕事も、家族構成も、何もかも。結婚が決まってから知っていった。


 古市家は男ばかりの四人兄弟らしく、善さんは三男だそうだ。今時四人兄弟とは、珍しい。私の周りでは、一人っ子か二人兄弟が多い。ちなみに私は一人っ子だ。

 へえ、へえ、と返事をするだけの人形と化していた私に向かって、善さんは「ひとつ上の兄はもう結婚している。俺は二番目」と淡々とした口調で語った。へええ。

「ご、ご趣味は……?」

 恐る恐る訊ねると、少し悩んでからネットゲームと返答。

 インドア派だ。じゃあ何故あんな過酷な雪山にいたんだ。それとも本当に別人なのかもしれない。何しろ見たのは目だけだ。しかも一度きり。何故か「この人だ!」と思ってしまったけれど、今更ながら自信が揺らいでくる。

 仕事は同じ会社のシステム課。同僚、ということになる。実年齢は一つ上だけれど、勤続年数は、短大卒の私の方が一つ上。先輩でありながら、後輩というビミョーな位置づけ。とはいえ、顔も知らなかったけれど――私が特別社内の人間に疎いわけではない。基本的に課が違って関わりが無いと、まるで顔も合わせないのだ――。


 なお、このような初歩の初歩たる自己紹介をしているのは、善さんのご両親へ挨拶に伺う、その道中である。やっぱりいろいろ間違っている気がする。

「順番、ちぐはぐ」

 つい口から零れる。隣に私と同じ当事者がいることを思い出し、慌てて口を両手で覆う。ちらり、と様子を窺うと、彼はくすくすと笑っていた。

「おもしろいから、良いんじゃない」

 初めて見た笑顔は甘かった。ドキリと胸が高鳴ったことが、気のせいだったら良かったのに。でなければ不毛だ。



 両親への顔合わせ。会社への報告。新居や結婚式、新婚旅行の準備。

 慌ただしく走り回りながらも、半ば現実逃避気味の呆然とした心持ちでいる間にあれよあれよと全てが済んでいた。結婚式も、だ。

 呆然としていて良かったかもしれない。まともな思考回路のまま臨んだら、途中で溶けていたかもしれないから。



 2LDKのマンションに移り住み、早半年の月日が流れようとしていた。季節は夏真っ只中。雪女には極めて過ごしにくい季節だ。

 夫婦と呼ぶにも、恋人と呼ぶにも、ましてや友人と呼ぶにも曖昧な関係性は未だに継続したまま。ただ、お互いのことを知るには、十分な期間だった。

 そうして知ったからこそ、思う。


 ――どうしてオッケーしたんだろう、この人。


 結婚、しておいて今更なのだけど。

 遊び人というわけでもなく。かといって結婚願望が強いわけでもなさそうだ。以前に彼の兄弟(末っ子)の尊臣(たかおみ)くんが会った時に零していた。

「善兄が二番手とか、意外。これまでそういうこと、興味無さそうだったのにさ。最後か三番目だと思ってたよ。もしくは一生独身! 俺より早いとかショック~!……あ、ちなみに善兄と最終争いする相手は、一兄ね?」

「は、なんでだよ!?」

「えー、見たまんま? あ、でも詐欺師に騙されて気付いたら籍入れてた……って展開はありそう!」

「尊臣、お前なあ……っ!?」

 四兄弟の中でも一際大柄で、長兄である貴一(きいち)さんが、尊臣くんを羽交い絞めにした。ギブギブ! 上がる悲鳴に、思わずふふっと笑ってしまう。


(ほんと、仲良し兄弟だな~)


 普段はあまり表情筋が動かない善さんが、その時ばかりは無邪気な兄弟のやり取りに、微笑んでいた。隣に立っていた次男のお兄さん・(じん)さんは四歳になる息子さんを抱き上げながら、「いい歳こいて何してんだ……」と呆れ果てていたけれど。



「ただいま」



 玄関のドアが開く音と同時に、低く落ち着いた声がした。

「おかえりなさい」

 ソファから立ち上がろうとするが、それよりも早くドサリと彼が腰を下ろす。

「……疲れた」

 弱音を吐くなんて珍しい。

「仕事詰まってました? 今日遅かったですね」

「ん」

 僅かに顎を引く。いつもよりもぼんやりとした目。そのままぽすりと彼の頭が、私の肩に降ってきた。

「わっ」バランスを崩しかけるも、なんとか立て直す。「ぜ、善さーん?」

 髪が首を擽り、身を捩る。擦り寄ってくる彼の顔を覗き込むと、ほとんど目が開いていなかった。もごもごとした声が唇の間から零れてくる。

「……すぐ起きるから。ちょっとだけ」

 初めての甘えたモードに困惑する。決して、ちょっと可愛いなー、なんて思ってない。うん。どうしようかな、と迷ってから、恐る恐る髪に触れる。ぎこちなく指を動かして頭を撫でると、彼は安心した様子で目を閉じた。カッと体温が上がる。錯覚ではない。現に私の指先からは水が滴っていた。



 お互いのことを知って。その信頼が、強くなればなるほどに、私の心は痛んでいく。

 彼は、まだ秘密を口にしない。いや、そもそも本当に、雪山の時の彼なのかどうかすら、実際はわからないのだ。

 破られない約束が、辛かった。

 今更だ。今更。本当に今更。

 結婚しておいて、今更のように恋をするだなんて、馬鹿げている。



 どこにも続かないのに。いずれ途切れるレールを歩いているに過ぎないのに。



「結婚したのが、千佳で良かった」

 お願いだから無防備な声で、そんなことを言わないで欲しい。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「松雪さん、ですよね」

「あ、はい」

 呼び止められて、振り向く。仕事関連では旧姓のまま通している。その方が不必要な混乱や、不躾な好奇を招かずに済むからだ。……いずれバツがつくだろうし、という裏事情もある。

 振り向いた先にいた人に、見覚えは無かった。甘いグレーのスーツに、白いシフォンブラウス。気の強そうな吊り目。細身の体躯も相まって、いかにもやり手のキャリアウーマン、という印象を受ける。

 こちらに向けられる瞳の奥に、敵愾心のようなものが見て取れ、少々臆する。初対面の人に、こんな風に好戦的な態度を取られることはそうそう無い。素早く下から上までチェックしてから、首からぶら下がったカードホルダーに目をやる。紐は青。来客者だ。黄色ではないから、VIPではない。私にわかるのはその程度。カードホルダーには名刺が入っているが、この距離ではじっくり読めなかった。

 村岡さんが、自分が担当する取引先に私の名前を出したのかな。それにしても、名刺に描かれたロゴに見覚えが無いのだけど。

 少なくとも社内の人間ではない、ということだけはハッキリしている。私は失礼に当たらないように、改めて向き直って「何かご用でしょうか?」と訊ねた。


「どんな手を使ったんですか?」

「……え?」

「スピード婚、だったんですよねえ」


 笑顔が引き攣る。引き攣る程度で抑えた自分を、褒めてやりたい。

 何が言いたいの、この人。スピード婚、という言葉で連想するのは、当然、自分自身の結婚だ。……となると、こうまで敵愾心を向けてくるのは、善さん絡み?


「脅しでもしたんですか?」

「お、おどす……?」

 本気で意味がわからない。たじたじな私を見て、フッとどこか勝ち誇った余裕のある顔で笑う彼女。弱者と強者。食われる者と食らう者。まるでその構図だ。



「――勝木(かつぎ)さん」耳慣れた声が、彼女に放たれる。「勝手に社内を出歩かれては困ります」

 固まる私の前で、彼女が完璧な笑みを浮かべる。

「失礼しました。古市さんの奥様をお見掛けしたものですから、つい」

「妻は貴方とは関係ないと思いますが」

「あら、そうですか?」

 ちらりとこちらを一瞥した彼女は、何やら含みを持たせるように口角を持ち上げた。


「……そろそろ打合せの時間です。こちらへ」

 尖った声に、あれ、と首を傾げる。善さんの声に、怒りの感情が漏れ出ている。曲がりなりにも客人を相手に、こういう態度は滅多に取りはしない。ましてや、平素から感情の起伏が乏しい善さんなら、なおのこと。

 そもそも、システム課の彼が、直接顧客対応をするなんて。

 ゼロではないが、非常に珍しいケースだ。

 事務的な案内をする彼の後ろを、彼女は優雅な足取りで続いた。やがてその姿が見えなくなると、安堵と不安感が同時に襲い掛かってくる。

 自分の前から消えたあの女性は今、善さんと一緒にいる。



『脅しでもしたんですか?』



 脅してなんか、いない。

 けれど、自分でも何故オーケーをしてもらえたのかが、わからない。それに――



 ――騙す行為は、している。



 そっと目を伏せる。あれだけ露骨に見せつけられたら、嫌でもわかる。彼女は、善さんのことが気に入っているのだろう。急に妻の座についた女を憎たらしく思う程度には。

 正々堂々と受けて立つ度胸が、私には無かった。その資格が自分にあると、胸を張って言えなかった。





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