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古市家の妖怪事情  作者: 岩月クロ
第二章 約束を破ってもらえない雪女
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2.勢い任せのプロポーズ

 ――次に意識を取り戻した時、私はまだ山小屋の床に転がっていた。




 ズキン、と鈍く響くクセに鋭い、謎の痛みが頭を襲う。その痛みをなんとか押さえ込もうとこめかみに片手をあてがいながら、室内を見渡した。男が二人、変わらずにいる。昨晩と違うのは、どちらも寝ていることだ。自分と話していた男の隣には、酒瓶が転がっている。持つと、ちゃぷん、と音がした。そういえば、途中で没収されたのだったか。朧げに記憶がある。瓶の中身をもう一度傾ける気には到底ならなかった。

 ……中身、帰り道で捨てよう。

 心に決め、立ち上がる。あー、頭痛い。油断していると倒れ込みたくなる。くう、と呻きながら山小屋を出る。大雪は、まるで初めから何も無かったかのように、治まっていた。


「あーあ、今回もめでたく(・・・・)失敗だ!」


 山を降りながら、片手で携帯を取り出す。少し迷ってから、コールする。

『はい、119番です。救急ですか、消防ですか』

「あの、救急で。友人から大雪で山小屋に閉じ込められてるって連絡があったんです。××山のA地点です」

『人数は何名ですか?』

「二人です。二人とも男性です」

 その後いくつかのやり取りを経て、情報提供をする。何をしているんだか。必要無いだろうに。でも下手なことがあったら後味が悪い。あの人、割と良い人だったから。

 そんな風に、意識をよそにやっていたからだろうか。

『電話番号を教えて頂けますか』

「へ?」

 想定外の質問に、慌てる。

「だ、誰の、でしょう」

『貴方の電話番号と、ご友人の電話番号をお願いします』

「あ、えーと……それは、その、すみません、憶えていなくて。申し訳ないです」

 どうしていいか分からず、返事を待たずに電話を切った。……ああ、悪戯電話扱いされたら、どうしよう。本当なのに。

 本当に、余計なことをしただけかもしれない。冷めた空気の中で元通りになった指先を見つめ、がっくりと肩を落とした。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




『前々からおバカさんだと思っていたけど、やっぱりバカなのね~?』

 電話越し、開口一番にこれである。気だるげな悪友の声。別に今日が特別というわけではなく、いつもこんな調子だ。私には無い色気を惜しみなく振りまいている。捨てる程あるなら、くれたらいいのに。

『あんたが捨ててきたっていうあのお酒、あれ、高かったのよ~? 秘蔵品だったけど、あんたのために譲ってあげたのに。もっと大事にしなさいよ~』

「え、そうなの?」

 慌てて謝罪しようと口を開くと、『ま、嘘だけど』とやけにハッキリした声で切り捨てられた。一瞬信じかけちゃったじゃないの! む、と唇を尖らせる。

『あとね、自分で気付くまでは、オモシロイから黙っておこうと思ったんだけど、あんたが全敗してる理由――』急に言葉が途切れる。一拍置いて、彼女はまた口を開いた。『――あらやだ、休憩時間終わっちゃうわ。うふふ、じゃあまたね~』

 勿体ぶった挙句、ぶつりと一方的に通話が切れた。


(……え、私が全敗している理由? おもしろいから黙ってたけど、って、何を?)

 そこまで口にしたなら、最後まで教えてよ! 電話、は確実に出ないだろう。仕方なく、メールの作成画面を開く。今のどういうこと、と打っている最中に、十三時になった。私の休憩時間も終わる。

「やば……!」

 慌てて手元の弁当箱を片付け、片手でむんずと掴むと食堂を後にした。



 ――働かざる者、食うべからず。



 その言葉通り、いかに妖怪といえども、人間界で働かなくてはならない。なまじ姿かたちが人間と同じだけあって、野宿というわけにもいかず、生きていくには家が必要であり、家は購入するか賃貸を利用する他ない。ついでにいうと、お腹も空く。最低限冷たい水があればなんとかなるわけだけれど、人間の食事に慣れきった雪女(わたしたち)にとって、『食事』は習慣のひとつだ。当然裸でもいられないから、服も必要だ。お洒落をしたいなら、もっといろいろ必要になる。衣食住、全て必要。

 つまりは、『金がいる』。ここに集約される。

 金を稼ぐにはどうするか。難しく考えるまでもなく、答えは明白だ。働くしかない。以上。


 そういうわけで、今、私はシステム会社の営業事務として働いている。一般事務を希望して入ったはずが、何故か営業事務……詐欺だ! 詐称だ! と騒げない立場の弱さ。夏場に涼しい社内にいられるので、最低条件はクリアしているから、それで手を打とうではないか。そんなこんなで、かれこれ社会人四年目を迎えた。

 もちろん、人間が経営している会社だ。

 妖怪の中にはその見た目上、人間界に紛れ込むにはいささか無理のある種族もおり、『妖怪労働協会』は彼らの支援を優先的に行う。このため見た目が完全人型である私たちの支援は、割と後回しになりがちだ。要は、自分でなんとかできるでしょ、と。仕方がないとはいえ、差別じゃないかと不満に思う気持ちもある。いくら見た目が人間だからって、私たちは雪女だ。致命的なのは、暑いと溶けてしまうことだ。冬の忘年会シーズンなどは、「あったかい物食べようぜ、冬だし!」と手前勝手な理由で鍋に連れていかれるのだ。内心ひやひやしながら、必死に頬張るこっちの身にもなってよー!


松雪(まつゆき)さーん、これおねがーい、ってさっき村岡(むらおか)さんがー。とりあえず受け取るだけ受け取っときましたぁ」

「あ、はあい。そこ置いといてくださーい」


 了解、という声と共に、机の端に資料が重ねられる。村岡さんは、私が担当している営業さんだ。そういえば今日の昼にいったん戻るって言ってたな。パソコンを立ち上げスケジュールをチェックしながら、片手で渡された資料を掴む。束ねられたパンフレットと、先頭に殴り書きされたメモに目を通した。三日後の四時に予定入れるのが最短かな。既存システムから新システムへの導入を検討中の新規顧客だ。カスタマイズの必要あり、別途費用を見積もりで出していたはず。思い違いがあると困るので、以前の打合せを行った時の報告書を開いた。

 この段階になると、用意するプレゼン資料には具体案を盛り込まなくてはならない。村岡さんメモの新情報をチェック。必要事項を押さえつつ、相手のレベルに合わせて、資料の情報量を決めていく。今回の相手に関していえば、パソコンには強くない。費用、時期を重視し、内容に関しては大まかな変更点を纏め、進め方をこちらから提案する形が良いだろう。後で村岡さんに攻める方向性の認識合わせを行おう。大きくズレていることはないと思うけど。

 情報を纏め直し、確認の必要がある事項をリスト化。プレゼン資料の草案をある程度決めたところで、システム課に連絡し、相談の場を設けてもらう。

 そこまで行って、ふう、と一息。


 ……もう、一人前の雪女なんて、目指さなくていいんじゃないかな、私。

 こうやって社会に出て、ひとりで生きていけることですし。


 トントン、と資料を揃えながら、席を立つ。これとは別の案件絡みで、システム課に用事がある。第四会議室に十四時、だっけ。

 デスクの引き出しを開け、目的の案件のファイルを手にする。自分が以前に纏めた議題を最終チェックする。打合せの時間はきっかり三十分。それ以上は向こうもこちらも取れない。まさしく、時は金なり。


(そういえば、今朝のニュース見忘れた)


 例の出来事から、早一週間。毎日のようにニュースをチェックして雪山遭難事件を探しているけれど、今のところ該当無し。死人が出ていたら、ニュースになるよね? なら、あの二人は助かったということだろう。多分そう。

 顔写真とか、名前とか。公開してくれないかなー、という淡い期待もあったわけだけれど。遭難中や死亡事故ならともかく、何事もなく助かったことがわかった人間の情報をわざわざ発表しないか。逆に問題になりそうだ。最近は、個人情報の流出とか、世間の目は厳しい。

 あー、やめやめ。失敗した案件は、反省の上で忘れる! 前を向くべし、だ。

 気合いを入れ直し、宣言通り前を向き――



「…………………………え?」



 ――鋭い眼光を、見る。


 あの時、あの雪山で、ゴーグル越しに見たあの眼差し。

 息を呑み、反射的に足を止める。え、なんで?

 廊下の向こうからこちらに向かって歩いてくる男性が、本当にあの時の人であるのか、確証は無かった。なにせ、防寒具にゴーグルをつけていた。顔はおろか、体格もよくわからない。それ以前に途中から酔っ払っていたものだから。

 だというのに、私には確信があった。根拠の無い確信が。

 しっかりと目があったはずなのに、驚き固まる私から、スッと外された視線。彼はそのまま、私の横を通り抜けた。


「まっ……」どうして、呼び止めたのか。自分でも答えが出せない。「待って、ちょっと、ちょっとだけ待ってください!」

 廊下に他に人はいない。だからだろう、彼は私の呼び掛けに応え、肩越しに振り向く。何か、と響く無機質な声。決して好意的ではない声質にたじろぐ。何か、何か……って、なんだろ。

 なにしろ何も考えずに声を掛けてしまったのだ。次に続く言葉など、あるはずもなかった。彼は静かに瞬きを繰り返す。急かすわけでもなく、淡々と。自分の状況との対比に、更に焦る。焦れば焦るほど、頭の中は真っ白になっていく。単語だけが浮かんでは消える。


 雪山、慣習、雪女、悪友、一人前、騙す、約束、お酒、男の人――


「け……」

 どうかしていた、と後で思う。悶絶しながら、幾度となく思い返すことになる。

 そうだ。この時の私は、確実にどうかしていた。断言できる。



「け、け、――結婚してくださいっ!」



 ついでに言うと、相手もどうかしていたに違いない。



「いいよ」



 そうでもなければ、こんなこと言わない。絶対に。






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