表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
古市家の妖怪事情  作者: 岩月クロ
第二章 約束を破ってもらえない雪女
7/35

1.酒を飲んで、飲まれる

 私は思う。『雪女』というのは、損だ。基本的に損な種族だ。変な慣習が多過ぎる。

 中でも変なのは、雪山に迷い込んだ男を騙して伴侶となり、秘密を口にさせ、「約束を破ったわね」と三行半を突きつける。これを一通りこなさなければ、雪女として一人前とは認められない、というこのルール。訳がわからない。悪くもない人間を騙して、昔の出来事を話すように誘惑・誘導し、結果自分も相手もバツイチにならなきゃいけない。そんなルール、必要? 何の為に? いったい誰が得するっていうの。

 けれど私は一介の雪女に過ぎない。長年にわたり、伝統のように扱われていたモノを「おかしい!」と声高々には言えない。仮に言えたとしても、『全敗。モテない。未熟者』と嗤われる私がいくらそう主張したところで、負け犬の遠吠えだ、と断じられて終わる。


 ――だから。


 びゅうびゅうと雪が吹き荒れる山の中、私は素足で、じゃくり、と雪を踏み付けた。冷たいとは思うけれど、それはおそらく人間の感じ方ではない。心地よくすら感じる。小さな足跡はすぐに雪に埋もれ、見えなくなっていく。大雪だ。今朝は降る気配も無かったのに、不思議なものだ。

 はー、と息を吐いた。こんな雪山にもし人間がいたとして、それってただの命知らずか、ひたすら運が悪い人じゃないの。

 やっぱりやめよう。踵を返そうとしたが、寸でのところで留まる。

 ――あーら今日も誰も捕まえられなかったのね〜、と笑う、同じく雪女の悪友・ルリカの顔が脳裏に浮かんだからだ。


「んにゃろぉ〜う……」


 ぐ、と握り拳を固め、鼻息荒く歩き出す。先程までの遠慮深い歩き方ではない、大股でずんずんと進む。

 やがて灯りが見えた。山小屋だ。あそこに行こう。ドアの目の前に立つと、勢いに任せて開け放った。


 中には、男が二人いた。この内のどちらかと一時的に伴侶になるのが、私に課せられた使命。ちっとも寒くなどないはずなのに、寒気が背筋を走った。

 一人は厚い防寒具に毛布を着込み、目を瞑っている。もう一人も同じような状態だったが、壁に背中を預けた格好から、薄らと目を開けた。ゴーグルの奥から、鋭い眼光が私を貫く。まるで私の馬鹿げた目論見を見透かしたように。


 多少色を失った唇が、震える。

「……きみも?」

 主語の抜けた言葉。けれど、問われたことはわかる。

「や、あの……」

 しばらく口籠っていると、違うな、と彼が掠れた声で呟く。何が違うのか。人間ではないとバレなくてはいけないはずなのに、バレることが怖い。

「そんな軽装で平気なのか」

「……平気なんですよ、私は」

 言葉に卑屈な気持ちがこもった。その事実に蓋をするように、視線を彼から外す。

「その人、大丈夫ですか」

「ああ、……多分」

「災難ですね」

 大雪に巻き込まれたことも、雪女に目を付けられたことも。どちらも。当然、彼は前者の意味でしか、私の言葉を捉えられないだろうが。少しの間だけ無言を保った彼は、軽く首を傾げる。

「どうだろう。なかなか無い経験だから」

 死ぬかもしれないのに、あまりに呑気だ。とんだ根性だ。そのノリで私との疑似恋愛も取り組んでくれないかな。……なーんて。

 無理か。はあ。


 項垂れる私の頬に、彼の指先が無造作に触れた。

「――っ!?」

「冷たい。きみこそ温まった方が良い」

 異性に触れられたことなんて無いのに、不意打ちなんてひどい。この人、きっとモテ男だ、手慣れてるんだ! でなければこんな簡単に手を伸ばしたりする? 途端に動揺した私は、手が離れたことでようやく我に返った。

「やっ」ぶんぶんぶん、と首を振る。「溶けちゃうので!」

 ふ、と自分の手を見る。指先から、たらりと透明な水が垂れ出した。早速溶けている。だというのに彼の視線は、変わらず鋭いままだ。目の前で人が溶けているというのに。

(ていうか)顔が引き攣った。(この程度で溶け始めるって、私どんだけ耐性無いのー!)


「…………溶ける?」

「は、はい。見ての通り」

「溶けてるの、これ」

 気付いていなかったのか。言い返す前に、人の手をむんずと掴んで、しげしげと観察を始める彼。ぎゃっ、と上がりかけた悲鳴を堪える。いちいち心臓に悪い。ああ、今ので小指が半分なくなってる!

 普通の人間の手より冷たいはずだが、それでも私より温かい手。

「本当だ。溶けてる」

 然程の驚きを感じない声。人外を目の前にしているというのに、なんと奇特な。化け物呼ばわりされて斬られたり刺されたり殴られたりするよりマシか。あれ、痛いんだよ。雪山にいれば、いくら怪我をしても大丈夫だけど、痛いものは痛いの。

 何事もなく解放された手から落ちる雫を無視する。どうせ外に出れば元通りだ。それよりも。

 うほん、と咳払いをひとつ。気を取り直して……


「なんと私、雪女なんです!」

「へえ、そうなんだ」


 ……へ、『へえ、そうなんだ』?

 驚いていないようには感じていたけれど、この反応はあんまりにあんまりではないか。せめてもう少し驚いたフリをしてくれないと、腰に手を当て胸を張った私が恥ずかしい。

 出鼻を挫かれ、言葉を詰まらせた私に、「で?」と彼は続きを催促する。

「つ、つづ、き……」あれ、この人、ハズレじゃない? 私、初心者なのに難易度高い人を当てたんじゃない? これ、また失敗して終わるんじゃない?……ああ、泣きたい。ぐす、と鼻を鳴らしながら、お望みの続きを捻り出す。「わ、私と会ったことを、誰にも言わないでください、ね?」

 彼は間髪入れず、頷いた。

「わかった」

 望み通りの言葉。これまでは、ここまで到達することすらできなかった。だから、これは進歩だ。偉大なる一歩。そのはずなのに、なんだろう、この違和感と敗北感は。

 むくむくと心の底から湧き上がる困惑に蓋をしながら、「じゃあ」と口にしたところで、はたと気付く。


 じゃあ…………どうするん、だっけ?


 教科書に載っているご先祖の成功例では、そのまま別れ、後に男の前に人間として姿を現した。でもそれは昔だからできたことだ。今は新幹線も飛行機もある。遠くから遊びに来ている可能性も高い。日本全国で、顔も碌に分からない人間を探し当てる? 何その無理ゲー! かといってSNS等で連絡先を交換したら――そんなの、全然秘密じゃない。

 考えに考え、駄目元で訊ねる。

「めっ……名刺とか! 持ってません、よね?」

「会社にはあるけど」

「ですよねー!」

 みんな、どうやっているんだろう。スマートに相手の素性を探っているのか? 私にはそんな話術は間違いなく無い。

(あ、もしかして……)雪山に赴く前に悪友に渡された代物の存在を思い出す。(今こそ、アレを使う時!)

 着物――雰囲気を出す為には、白い着物が良いと聞いた――の帯からエイヤッと取り出した。四角い瓶を。中身がたぷんと揺れる。


 要は、酒だ。


「この際です、飲んでいろいろ話しましょう! いろいろと! お住まいとかも!」

「いや」彼は無表情のまま、首を横に振った。右手の掌を私の方に向け、ストップ、と唱える。「遭難してる時に酒はちょっと。下手したら、死ぬから」

「え……」

 ぱちり、と瞬き。

「そう、なんですか?」

 ああ、と頷かれる。それに明日大雪が鎮まれば下山を……と続いている言葉などちっとも頭に入ってこない。

 え、待って。だってルリカが、


『酔わせちゃえばコッチのモンよ〜?』


 ……って。確かに言っていたのに。

 かちんこちんに固まった私に追い打ちを掛けるように、蘇る記憶。

『ま、貴方には無理でしょうケド〜?』

 頭のてっぺんから足元まで、舐めるように動く視線。特にぺたんこの胸の辺りで長く止まっている。対抗するように睨み――相手のご立派な胸に目がいく。両腕で寄せると更に蠢く谷間。

(ど……どうせ私はナイよ畜生っ!)

 騙された! と騒げば、その程度常識でしょ騙される方が悪いのよ準備不足の勉強不足ねおバカさんそんなんだから全敗なのよーああ可哀想、と何倍にもなって返ってきそうだ。


 酒のラベルに悪友の姿を重ね、これでもかというくらい睨み付けた。

 斯くなる上は。


 きゅぽん、と酒瓶の蓋を開け放つ。


「飲むの?」

「これが飲まずにやっていられますか!」

 それに飲んでしまえば、酒なんて最初からなかったことになる。証拠隠滅も兼ねた、非常に効率の良い作戦だ。

「死なない? 大丈夫か?」

「はっ、ご心配には及びませんよ。私、雪女ですから」

 最悪外に放り出しておいて頂ければ元通りです。間違っても温めないでください。真顔で念押ししてから、瓶を傾けた。

「う……っ」

 何これ、アルコール強い。いーっ、と口を横に伸ばした。そもそも私、ジュースみたいなお酒しか飲めないのに。でも悪友なら平然として、あるいは適度に酔ったフリをして『やぁだ〜このお酒、つよお〜い』とか言いながら、しなだれかかるのだろう。ま、負けたくない……!

 私だって、しなだれかかるくらい、楽勝、らくしょ……ど、どうやってやるの?

 ぐるぐる考えていたら、余計にぐるぐるしてきた。ぐるぐる、ぐるぐる。あれ、心なし、視界も歪んでる……?


 くらくらする。「ほら。駄目じゃないか」右手に持っていた酒瓶を、取り上げられた。あ、と間の抜けた声が口から漏れる。取り返そうと手を伸ばすが、覚束ない。距離感が掴めないのだ。

「やめといた方が良い。雪女だとしても。きみ、酒、弱いだろう」

「ううう。らって、正気じゃやっていりゃれないんれすも〜ん」

 呂律が回らない。いや、案外回っているのかも? どっち? 判断ができない。ああ、考えるの、面倒。だってくらくらするんだもの。ふわふわもする。くらくらして、その上ふわふわもするんだから、もう何も考えなくてもいいはずだ。

 ふきゅう、と鳴いて小屋の床で丸くなる。もういいや。なんだっていいや。だってどうせ連絡先聞けないし。今回も連敗記録更新! え? 連敗記録って何かって? 結婚まで行き着けなかった回数ですよー。ああ、眠い。もう良いでしょ? もう良いよね。ね〜?






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ