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古市家の妖怪事情  作者: 岩月クロ
第四章 こんこんさまを、差し上げ候
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7.迷子の功名と称するか

「次は、……どこだ?」

 まず、今いるここが、どこだ。

 方向音痴を遺憾なく発揮し、私は地図アプリ上に表示されている現在地と目的地のピン、それから周囲の風景を交互に眺めた。ふむ、北はどっちだ。


 いつもなら社用車のナビに目的地を入れて走るので、一人でも然程の苦労は無い。精々、曲がる場所を二、三度間違えるくらいだ。しかし、今日の行き先は全て近場だから、と徒歩で出歩いたのが間違いだった。

 言い訳をすると、……土地勘もあるし大丈夫だと思ったのだ。自分の方向音痴を甘く見ていた。

 考えてみれば、これまでに何度か徒歩で巡った時には、尊臣が一緒だった。車の時と違い、自然と彼についていっていたので、道案内をしてもらっていることすら無自覚だった。



 ――ひとまず、事務所まで戻ろう。



 戻りさえすれば、こっちのもんだ。社用車を使える。……問題は、その、戻る、という部分なのだが。

 歩き始めてそう時間は経っていないので、まだ事務所付近のはずである。近道をしようと路地に入った判断が悪かった。……それ以前の問題ではないのか、という現実には目を瞑る。

 行き当たりばったりで歩いていると、運良く大通りに出た。見覚えがある、気がする。

 腰に手を当て、右へ、左へ視線を動かしていると、少し離れたところから、何やら騒々しい声がする。あまり良い印象を受けない騒がしさに、眉を(ひそ)める。


 すうっと目を細め、声のする方へ視線をずらす。今いる大通りから、一本奥まった路地に、女性が一人。それを取り囲むように男性が三人。昼間だというのに、あるいは、昼間だからこそ、なのだろうか。やに堂々としている。

「見て見ぬ振り、……は、後味が悪いな」

 はあ、と嘆息。110番……も、止めておこう。“何か”を起こした時に、目撃者は少なければ少ない方が、こちらとしては好都合だ。

 ただの人間相手なら、最悪どうにでもなる、と当たりをつけ、私は四人に素早く近付いた。


「――失礼、その行為は同意の上かな」

「あ? なんだよ」


 男に腕を掴まれた、まだうら若い女性――私と同年代か、あるいはもう少し年下か――は、怯えで強張った顔を私に向け、微かに首を横に振った。

 “いいところ”を邪魔された三人組は、こちらを見るなり、三人でにやにやと笑いながら目配せをし始めた。大方、鴨が一人増えた、とでも判断したのだろう。

「なぁに、おねーさんも混ざりたかったの~?」

 媚びるような、そうでなければ小馬鹿にするような口調で、大した警戒心も抱かずに大股で距離を詰めてくる男の横っ面を、思い切り引っ叩く。

「てめぇ!!」

 いきり立つ声には反応せず、私は一気に距離を詰めて女の子を掴む手を捩じり上げた。痛みで緩んだ隙に、彼女に耳打ちする。


「早く行って。大通りに行けば、いくつか店があるから」


 足が竦んでいる彼女の背中を無理やり押し出した。初めこそたたらを踏んだような足取りだったが、やがてそれも落ち着き、ぱたぱたと走り出す。視界の端でそれを見送りながら、腕を掴んだ男がでたらめに振るってくる拳を、上半身を反らすことで避け、バックステップで距離を取った。

 さて、これで気を遣うべき目撃者はいない。最初に一撃をお見舞いした男も立ち上がってきており、全員で三人。私の使う狐火は虚仮威し程度な上、広範囲は不得手だが、一人を脅せば、状況は変わるだろう。指先に力を入れる。

 ぼっ、と着火させる直前(・・)、――目の前で、男が宙を舞った。



「…………は?」



 驚愕する私の前で、男に跳び蹴りをかました青年が、見事に着地した。


「大丈夫ですか、葉月先輩!?」

「――尊臣? きみ、なんでここに?」


 私は、迷子の自分の状況を棚に上げて、目を瞬かせる。全力疾走で駆け付けたのか、大きく肩で息をする尊臣は、額の汗を拭いながら、目を白黒さている。驚いているのは、あちらも同じらしい。


「や、遠くで、見つけて、びっくりして、――ふう。えーと、それで、これ、なんかいろいろ確認してる場合じゃないなって思った時には……足が出てました」

「相変わらずだな、きみは」

 誰だっただろうか、足癖の悪さが私の直伝だとか言った輩は。生憎、私はここまでじゃない。

「いやー、足と頭が連携を上手く取れてないみたいで。頭は至って理性的なのに、この足ときたら、困ったもんですよねえ」

「どんな言い訳だ、それは」


 ぽんぽん、と自分の足を咎めるように叩く彼の言動に、そんな状況でもないというのに、笑みが溢れる。知らず、張っていた気が緩んだ。

 しかし、それも一瞬のことで、彼の背後で、ふらついた足取りで立ち上がる男の姿に、再び緊張感が戻る。私の視線を追い、尊臣もまた、その身を反転させる。

「ってめ、急に何しやが――」



「――黙れよ」



 低く唸るような、これまで聞いたことのない冷たい声が、尊臣の口から発せられた。

 彼の放つ異様なまでの重圧感に、背筋がぞくりと粟立つ。これは――これは、人間が出せるものではない。

「自分が今、()を相手にしてるかわからないくらい、馬鹿なのか、あんたら」

「ヒ……ッ」

 効果は絶大だった。三人組は、まるでこの世で見てはいけないものを見てしまったかのように恐怖に顔を引き攣らせ、転がるように遁走した。


「……で、俺より、なんで先輩がここに――」


 身を翻した尊臣の姿に、僅かに息を呑む。その双眸は、――赤く光っていた。

「きみ、その目は」

「あ、やば」

 尊臣が慌てて目許を押さえる。



「――っと見つけた!!」



 第二の乱入者もまた、肩で息をしていた。ただ、すぐに回復した尊臣と違い、本当に苦しそうだ。……歳の差か?

「もー、急に車を停めさせたと思ったら、走り出して……俺の体力を気遣ってくれる!?」

「すみません、根津埼さん。貧弱ですね」

「最後の、ただの悪口として受け取るからな」

 顔を上げた根津埼に、特段いつもと違った反応は無い。再び尊臣を見やる。目の色は……赤くない。あれは見間違いだったのだろうか。いや、そんなことはない。あの時に発した威圧感は、妖怪に属するものだ。

 それに、私はあの瞳を知っている。


「――ところで、何があった? なんで尾崎がここに?」

「あっ、と、葉月先輩が、よくわからないけど、なんか男に絡まれてて」

「正確には、私が絡まれてたわけではなく、他の子が絡まれてた。その子は逃がした」

「なるほど。まず警察呼べよ、誰か一人くらい」


 ずばっと切り捨てられ、私は尊臣と顔を見合わせた。正論なので、何も言い返せない。


「で、尾崎がここにいる理由は? 外回りは?」

「徒歩で回れる距離だったから。決して迷ったわけではない」

「迷子だな」

「迷子ですね」

「ぐぅ」


 断言された。二人に。なけなしの虚勢まで張ったのに。しかし、ここで言い募ったところで、認識が覆るわけでもない。……実際、その通りなので、猶更だ。

 それでも諦め悪く、口の中でもごもご言っていると、「さては、事務所まで戻れなくなってるな」と根津埼が的確な診断を下した。再び口籠る。


「ふむ……。よし。俺は駐禁切符を切られたくない。というわけで、古市くん、尾崎のナビ役よろしく。今日はそのまま彼女について回って」

「……了解です」

 尊臣は複雑そうな顔をしている。

「俺から言い出そうと思ってたのに……」

 年相応、不服そうな呟きに、自然に頬が緩む。すすす、とすり寄ってきた根津埼が、にやりと笑った。



「な、どかっと来たろ?」



「……私よりも先に私のことを考察するの、やめてくれないかな」

「え、なんですか? 根津埼さん、セクハラですか? 警察呼びます?」

「待て待て待て、携帯をしまえ、本気で呼ぼうとするな。ただでさえ今は駐禁違反中だから」


 尊臣の目が据わっている。根津埼は大慌てで私から距離を取った。

「とにかく、まあ、そういうことだから……頑張れよ!」

 何をだ。引き止めるより早く、根津埼はさっさととんずらした。

 取り残された私たちは、その早業に呆気に取られ――そこでようやく、ここ最近は諸事情により世間話すらまともにできていない、というお互いの現状に思い当たったのである。

 頑張れって、そういう意味か、根津埼。




※よい子は、通報しましょう。無茶はNGです。

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