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古市家の妖怪事情  作者: 岩月クロ
第三章 目立ちたくない座敷童
20/35

2.それでも気になる理由



 ――しゃかしゃかしゃか、しゃか! しゃかしゃか!!



 次の休み時間、鈴子は必死になって飛び跳ねながら、黒板消しを左右に振り回していた。ついでに彼女の長く艶やかな黒髪も一緒にふわんふわんと動いている。動きだけはやけに洗練されているように見えるが、肝心の文字が消せていない。なるほど、『徒労』という言葉は、このような場面のために生まれたのだろう。仁は妙に納得した。


 チョークの粉が舞い、黒い髪に散らばる。それに気付いた彼女は、犬のようにぷるぷると頭を振って、粉を払い落とそうと躍起になっている。

 クラスメイトは誰ひとりとして見向きもしない。はっきり言って、第三者視点からしたら、これはイジメだ、と断じられてもおかしくない。しかし実際は違う。本当に誰も、『鈴木鈴子』を認識できていないのだ。

(やっぱり幽霊……いや、そんなはず。そもそも、仮に彼女が幽霊だとしても、今彼女が動かしている諸々の道具はどう説明するんだ。ポルターガイストか?)

 まさか、と自分で自分を嗤う。我ながら、馬鹿らしいことを考えたものだ。そんなはずはない。幽霊なんているものか。しかし……本当に?


 思考を邪魔するように、しゃかしゃか音が響いている。

 それまでの自分が信じて疑わなかったものが、崩れ去っていくようで恐ろしかった。ならば、彼女のことなど気にかけなければいいのだが、……どうしてだろう。どうも、それも上手くいかない。

 なんでだろうなあ、と仁は首を傾ける。答えは出ない。出ないから、そもそも考える行為を放棄した。それよりもまず、目の前のことだ。『鈴木鈴子』は困っている。仁はそれを助ける。至ってシンプルな図だ。


 今度は驚かさないよう、声を掛けずにそっと手伝うことにした。もうひとつの黒板消しを手に取り、さっさと上へ手を伸ばす。ちら、と横目で様子を窺うと、鈴子もちょうどこちらを見たところだった。真っ直ぐ切り揃えられた前髪が一瞬ふわりと浮き上がり、隠されていた真ん丸い目が見えた。その目は、いつもよりもさらに丸い。半開きになった口と相俟って、があん、と顔全体でショックの気持ちを表しているように感じなくもない。

 つくづく、人の親切を素直に受け取らない子だ。

「……鈴木、今日日直だっけ?」

 そうです、だから頑張ります。とでも言うかのように、鈴子はぎゅっと握り拳をつくりながら、こくこく、と頷く。

「もう一人は?」

 少しの間をとり、鈴子は、こんこん、と咳をするポーズをとった。あくまでも喋らないスタンスを貫くらしい。

「……ああ、風邪で休みか」

 もう一人の日直も、鈴木だった。男子の。彼は今日、休みだった。そういえば。



 あらかた消し終えたところで、黒板消しを置く。

 ふと横を見ると、またも彼女の姿は無かった。

「あれ、古市って今日、日直だっけ?」

「違うけど、本人が休みだから手伝ってる」

 星崎は、ああなるほど鈴木が休みだもんな、と納得をしてみせた。もう一人は誰だっけ、とはならないらしい。ところで、消えた鈴子はどこにいったのか。

(やっぱり幽霊……いや、いやいや)

 仁は軽く頭を振って、自分の考えを否定することにしばし必死になった。




 ――しかし、気になるものは、気になる。

 一度頭をもたげた疑念は、なかなか消えてはくれなかった。

 こんな馬鹿馬鹿しいことを他人に訊ねるなんて、と思いつつも、自分以外の人間の意見が聞きたくなったのも本音だ。

 よって。



「幽霊っていると思うか?」



 食卓の場で、家族に意見を求めることにした。

 仁がそう口にした直後、両親と兄弟三人の全員が一瞬、ぴたりと動きを止めた気がした。なるほど、空気が凍る、とはこういうことか。仁はなんとなく納得した。元より仁は、幽霊、などという非現実的な現象を語るタイプではない。それは自身でも自覚しているところであるし、他人からもそう思われていることは理解している。

「いや、いるわけない」

 そんな中、真っ先に口を開いたのは、貴一(きいち)――仁たち兄弟は一兄(いちにい)と呼んでいる――だった。だがしかしその表情は、「いるわけない」と信じているというよりかは、「いてたまるか」と否定を試みている表情だった。

 兄弟で一番ガタイの良い長兄であるが、その実、怖いものは苦手で、ついでに付け加えると、兄弟で一番泣き虫だ。二十歳まであと一年ばかりという歳であるが、そのあたりは変わりないらしい。とはいえ、一番上、というプライドがあるのか、大声で泣いたりはしない。ただ、よく涙目になっているだけで。――唯一、兄弟がいるところで大泣きしたのは、四年前。飼っていたうさぎのムゥが死んだ時だ――。


 閑話休題。何が言いたいかというと、ことこういう時の貴一はあてにならない、ということだ。


「どうかなあ。いると思うよ、僕は」

 末弟(ばってい)である尊臣(たかおみ)が、長兄を揶揄ってにやにやと笑った。それに対して、貴一は頑なな態度を崩さなかった。

「いない。絶対いない」

「証拠は?」

「い、いるっていう証拠だってないだろ!」

「あるよ。心霊写真とかホラー話とかたくさんあるじゃん」

「あんなのは全部捏造だって」

「えー。でもこれとかホンモノっぽいよ。ほら!」

 尊臣は携帯を素早く操作すると、画面を貴一へと突き出した。

「ばっ……見せるな!」

「一兄、顔が青いよ~。やっぱ怖いんだ~」


 というか尊臣はどうして、彼曰く『ホンモノ』の心霊写真をあんなにも早く取り出せるのだろうか。普段から探しているのか? 弟の変わった趣味に、正直、引いた。


「……ていうか、なんでそんなのがすぐに出てくるんだよ!」

 遅れて貴一も、仁と同じところに引っ掛かったようである。

「たまたま見つけただけで~す」

「嘘吐け。フォルダ名『心霊』になってんじゃねぇか。何がたまたまだ。今すぐ消せ!」

「やだよ! せっかくのコレクションなのに!」

「んなもん集めんでいいわ!」

「ええ~」

 貴一と尊臣、この二人の歳の差は五歳なのだが、兄弟の中でも一番仲が良い。というよりも、尊臣的には、いちいち大袈裟なまでに反応する貴一が、最も揶揄いやすいのだろう。仁は大抵、話に乗らないし、三男の(ぜん)もぼんやりした反応しか示さないことが多いからだ。


 きゃいきゃいわーわーと騒いでいる二人からは、これ以上意見を引き出せそうもない。仁は肩を竦めて、二人から視線を外した。

「善は?」

 ズズズ、と味噌汁を啜るひとつ下の弟に話し掛けると、彼は兄を一瞥してから、口を開いた。

「いても、いいんじゃない」

 答えになっていない。

 幽霊はいない派の長男。いる派の四男。いてもいい派(別名、どうでもいい派)の三男。

 見事に意見がバラバラである。これでは多数決さえ取れない。


 かくなる上は、と仁はじいっと両親を見た。父は相変わらず仏頂面のまま、黙々と食事を口に運んでいる。母はといえば、子どもたちが戯れているのが嬉しいのか、柔らかく微笑んでいた。しばらく見ていると、母は仁の熱心な視線に気付いてにこっと笑った。

「お母さんは、いると思えばいるし、いないと思えばいないと思うわ」

「テツガク的だね」

 尊臣が胸を張った。妙にカタコトだ。最近覚えた言葉を使いたかったのだろう。

「仁くんは、いて欲しいの?」

「……別に」

 逡巡の末に、僅かに眉を寄せる。いて欲しい、わけではない。幽霊には(・・・・)

(ただ俺は――……)

 仁が言葉に迷っている間に、箸を置いた父がまとめに入った。


「幽霊なんざ、いてもいなくても変わらん」


 ――いや、さすがに変わるだろ。

 と、四兄弟は思った。だがしかし、実際に口にすることはできなかった。何故なら父は、言い終わるなりさっさと、空になった皿を手に台所へ向かってしまったからだ。




 結局、もやもやが晴れる要素すら手に入らなかった。

 投票数でいうなら、父と善の「どうでもいい派」が勝利、なのだが。

 ……どうでもいい、で済ませていいものか。

 中庭を竹ぼうきで掃きながら、頭を悩ませる。ちなみに今日は、鈴子の救助回数はゼロである。昨日の出動要請の多さは、彼女が日直(しかも相方が休み)だったからなのだろう。昨日休んだ方の男子の鈴木は、本日、体調が戻ったようで、無事に復活した。

 集めた落ち葉をチリトリに入れ、ごみ袋にザザーッ、と流し込む。


「燃えるゴミ、これで全部か? 全部なら、持ってく」

「大丈夫でーす」

「よろしく~」

「ありがと!」


 そこらかしこから返事が聞こえた。制止はひとつもない。仁はごみ袋の口をきつく縛って、ごみ収集場へと向かった。掃除の終了時間間際だからだろう、同じようにごみ袋を片手に歩いている者が多い。その中で彼女の姿を見つけてしまったのは、どういうわけか。

 彼女は見るからに重そうな袋を両手で掴んで、運んでいた。首筋を、汗が伝っている。相当重いようだ。動くたびにカランカランと金属音が鳴っていることから予想するに、中身はビンカンだろう。あれは少量でも、見た目以上に重い。

 ビンカンのごみ収集場所と、可燃ごみの収集場所は違う。

 ちら、と近くにある学校の時計台を見上げた。掃除終了までもう幾ばくも無い。掃除が終わったら、帰りのHRのために早急に教室に戻らなくてはいけない。今の時間から二種類のごみを捨てに行って、無事に間に合うかは微妙なところだ。

 だが……。数歩前に進む度に、ふうふう、と肩で息をしている鈴子を見やる。


(……ギリギリ、なんとかなるだろう)

 仁はそう判断すると、足早に鈴子へ近付いた。


「手伝う」

 半ば地面に摺りかけていたごみ袋を掴んで持ち上げる。例によって、びくう、と肩を震わせた鈴子は、しかし困ったような表情でしきりに首を横に振った。ごみ袋を掴んだ手を決して離そうとしない。

 その結果、ひとつのごみ袋を二人で両側から掴んだまま移動する、という不思議な事態に発展した。

 普通なら周囲から二度見されるようなものだが、これも彼女のなんらかの特性なのか、誰からも視線を向けられることはなかったし、誰とも目が合わなかった。

 確かに、揶揄われることはないけれど。

 ふ、と短く息を吐く。



 ――この世界(・・・・)は、いささか寂しい。



 ビンカンを指定の場所へ運び、その場にいた教師に手渡す。

 ごみ袋を挟んで少し近くなっていた距離が、いつもの距離に戻る。

「じゃあ、俺はこれを捨ててくるから。鈴木は教室に戻った方がいい」

 返事などは期待していなかった。ただただ一方的なコンタクト。それを知っている仁は、だから返事を待たずに踵を返した。ぼんやりしている時間的余裕は無い状態だったから、という事情もある。

「――ぁ」

 くん、と服の裾を引っ張られた。

「あ、の」

 初めて聞いた鈴子の声は――名は体を表す、とでも言うべきか――鈴のような澄んだものだった。細く、高く、それでいて不思議と耳に残る。

 心臓が、どきんと跳ねた。

「……? んん……?」

 ばくばく高鳴る胸を片手で押さえ、眉を寄せる。なんだ、これ。

「ありがとう、ございます。でも」

 彼女は意を決したように、仁を見上げる。



「――もう、私を助けたりしないでください」






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