1.俺の部屋にJKが来た
社会人歴、八年。一人暮らし歴も同じ期間。
時々実家に顔を出したり、弟の家にお邪魔したりもするけれど、基本的には悠々自適、自由気儘に暮らしている。家事全般は今になってもやはり面倒だが、八年目ともなればさすがに自分の生活サイクルに極自然に組み込まれている。
「んで、一兄はいつまで独り身を貫くのさ」
末の弟である尊臣の、警戒心丸出しの顔を思い出す。さっさと自分の相手を見つけてしまえ。その顔は、真剣にそう訴えていた。
彼はつい先月式を挙げたばかりだ。つまり未婚なのは、四兄弟のうちで俺だけということになる。
こちらとて、貫きたくて貫いているわけでもない。
「残念ながら相手がいない。出逢いも無い」
真顔で返すと、尊臣は無言で妻の腹を見た。まだ膨らんではいない。しかしそこには、確かに命が宿っているはずだ。
彼の二人の兄――要は俺にとっての二人の弟になるのだが――の子供は、伯父にべったりである。この子もそうなるかもしれない、と危惧しているに違いなかった。
ただ言わせてもらえばそれは、弟たちにもいささか問題があるように思う。二人とも子供と遊ぶには、なんというか、……真面目過ぎるのだ。色々と。で、もうちょっと緩い伯父のところに逃げ込んできている。尊臣は不真面目なのだが、反面、気に入った子をいじめるという特性があるので、少々心配だ。
――そんな会話をしたすぐ後のことである。
自宅の居間に置いてある丸テーブルで、俺は何故か女子高生と向き合っていた。ちょこんと行儀良く正座している彼女は、つい今しがた、割と行儀悪く俺の砦に侵入したのだった。
三十路――正確には、まだ二十九歳だ。あと数日でさして有り難くもない誕生日を迎えるが――にもなって女子高生と知り合う機会など無い。甥っ子と姪っ子はまだこんなにでかくない。つまりは赤の他人のはずで、だから面識だって無い。そのはずだ。しかし彼女は「ある」と言い張る。だから家に置いてくれ、と。
家に上がらせてくれ、ではない。無論、それだとしても驚きだけれど。彼女の要求は、その更に上をいくものだった。家に置いてくれ、つまりは住まわせてくれと言ったのだ。
んな無茶苦茶な話があるか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そもそも、彼女と俺との出逢いの経緯を説明しよう。
珍しくも残業が無く極めてスムーズに帰路に着いた水曜日――今思えば、それが悪夢の始まりだった。なんだって、今日だけ残作業が無かったのか。早く帰らなければ、自分は今こんな問題に巻き込まれていないはずなのだから――。意気揚々として帰った俺は、空いた時間を有効活用すべく、冷蔵庫で冷やしておいたビールとつまみで晩酌をするところだった。缶ビールのプルトップに指を掛け、さあ開くぞ、というまさにその時。無常にもチャイムが鳴った。
居留守を使えば良かったのに、俺は何を思ったか律儀に手を止め、玄関を勢い良く開け放った――おそらく気が大きくなっていたのだと思う。ノー残業が幸運過ぎて、今なら他の全ても同じように上手くいくのではないかと思っていたのだ。当然、人生はそんなに甘くない――。
ドアを開けた先にいたのは、胸元の紺色のリボンと、膝上丈のチェック柄のスカートを風で揺らめかせている女子高生だった。この近辺にある高校の制服だ。何故高校まで特定できるのかって? 話は簡単だ。何を隠そう、俺がそこの卒業生だからだ。
艶やかな黒髪は、肩甲骨あたりまで真っ直ぐに伸びている。ヘーゼル色の瞳は、見るもの全てに強い好奇心を抱いているかの如く忙しなく動き、キラキラと輝いていた。その動きをぴたりと止め、俺の顔を視界に収めると、彼女の目は嬉しそうに細まった――いや、それはさすがに希望的観測か――。
そして飛び出る、爆弾発言。
「こんばんは! 今日からここに住まわせてもらいます! よろしくお願いしまーす!」
「……………………………………は?」
たっぷり十数秒は間を空けて、俺の口から惚けた声が漏れ落ちた。
呆然としている俺の脇をひょいと通り抜け、「お邪魔しまーす。あ、今日から『ただいま』か!」とドタドタ足音を立てながら騒がしく廊下を歩いていく。
「ま、……待て、待て待て待て!?」
ようやく我に返ると、ふんふんふーん、と陽気な音符を振り撒きながら突き進んでいる彼女の腕を掴む。話はまったく見えないが、ここでこの少女を家に上げるのは何かが違うということはわかる。
ぐいと腕を引くと、少女の驚きに染まった瞳とかち合う。……いや、その反応はおかしいだろ? 驚いてんのは、間違いなくこっちだ。
「なんで見ず知らずのあんたを家に、……い、家に住まわせる!? あり得ないだろ!」
思わず声を荒げた。ぱちぱちと目を瞬かせている彼女のあどけない様子に、口を閉ざす。落ち着け、俺。大人だぞ、俺は。
「……だ、大体、あんた親は? 家出なら、さっさと帰った方が良い。何を思って俺をカモに選んだのか知らないけど、そういう話に興味は無いから」
言いながら、眉を寄せた。世にいる男の中には『可愛い女子高生との同居生活』に無条件に喜ぶやつもいるんだろうが、生憎と俺は違う。犯罪スレスレどころか、これは犯罪の範疇だ。最近テレビで流れていた、家出少女を家に匿ってナントカっていう罪で捕まった男のニュースを思い出す。仮に無罪放免で外に出たとしよう。それでもそれ以降の人生、彼は周囲から変態のレッテルを貼られて生きていくのだ。ブルリと震えた。
「親には、了承を貰ってるよ」
少女の言葉に、現実に引き戻される。
「……は?」
訳がわからず、あんぐりと口を開けた後に、こういう方便かもしれない、と疑う。しかし俺がそう指摘する前に、「嘘だと思うなら、電話していいよ?」と彼女は可愛らしく笑った。
「電話、って」
戸惑う俺をスルーして、彼女は鞄から素早く携帯を取り出し、片手で操作し始めた。いち、に、さん。
「ハイ、どーぞ!」
彼女はずずいと携帯を突き出した。リンと音が鳴る。彼女の携帯にぶら下がっている鈴だ。軽やかな音と今の俺の心境が大きく乖離している。混乱の最中、反射的に携帯の画面を見た。電話の呼び出し画面だった。表示されている名前は『お母さん』だ。え、ちょ、と焦っている間に、電話が繋がり、『ハアーイ?』と少しばかり外国訛りが混じった女性の高い声が聞こえた。
「も、もしもし?」
『アラ?』
不思議そうな女性の声。すかさず、少女が叫んだ。
「お母さん、マヤだよ! 今ね、一兄のとこに着いたの!」
『アラ! そうなのね〜。無事に着いて良かったわあ。貴一サンに失礼のないようにね?』
「うん、もちろん!」
いろいろと突っ込みどころが多過ぎて、思考が追い付かない。まずどうして、俺の名前を、そして呼び名を知っているんだ。一兄なんて、弟でなければ呼ばない。
一言、二言会話をした親子(おそらく。まだ断定はできない。全てが嘘かもしれない)は通話を終えたらしく、マヤというらしい少女は「これで納得した?」とばかりにフンと胸を張った。
納得?――するわけがない。しかしあまりにも自信満々な彼女に、いったいどこから攻めれば良いのか、さっぱりわからない。どうしてこちらが追い詰められている心境になるのだ。泣きたくなってくる。
立ち尽くす俺に、マヤは片眉を上げた。
「これでもまだ、駄目? なら、一兄もママに連絡してみればいいよ」
「ま、……まま?」
「一兄のおかーさん」
「……は」
そんな馬鹿な。真っ白の思考回路は言葉をそのまま受信し、行動に移す。ビールとつまみがそのまま置き去りになっている部屋の机まで戻ると、無造作に放られている携帯を引っ掴み、短縮登録されている実家へ発信する。
ややあって、母親が電話口に出た。
「あの、あのさ」信じられない、の気持ちがそのまま言葉になる。「今、マヤって子がうちに来てるんだけど、知らないよね?」
知るわけないじゃない、の言葉を期待した。
しかし、それを打ち崩すように母はあっけらかんと笑った。
『知ってるわよー。そういえば今日だったわね』
「……何が?」
『マヤちゃんが貴方の家に行く日よ』
「俺の家に? なんで?」
質問ばっかりね。母は可笑しそうだ。いや質問ばかりにもなるだろう。どういう状況だ、これは。俺がおかしいのか? そんなはずはない。明らかに、俺だけが正常だ。そうだろ?