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光のもとでⅠ 第十四章 三叉路  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
91/110

30~45 Side Tsukasa 12話

 放課後の桜香苑は、大学敷地内にある梅香館へ向かう通り以外に人影はない。

 決してひっそりとしているわけではないが、音という音は自分が歩く音くらい。

 舗装された通りから外れると、足音が変わった。

 乾いた葉を踏めばカサリ、まだ水分を多く含む葉を踏むとぎゅむ、と音を立てる。

 どちらにせよ音が鳴る。

 池に近づくにつれ、少しずつペースを落とし慎重に歩みを進めたが、完全に足音を消すことはできなかった。

 風にさざめく木々の音。

 それに紛れて歩を稼ぎ、ビデオカメラに録画している武明さんの背後についた。

 この位置からだと、池を背に立っている越谷の顔を見ることはできるが、こちらに背を向けている翠の表情はうかがえない。

 しかし、その後ろ姿から、翠がどのくらい急いでここへ来たのかは想像することができた。

 コートは着ておらず、かばんを持つ手にぞんざいに抱えられている。

 華奢な肩が上下に動いていることから、息が上がった状態なのが見て取れた。

 まだ十一月とはいえ、もう十二月目前だ。

 五時を回った今はすっかり陽も陰り、急激に気温が下がり始めている。

 ましてや水辺ともなれば寒くないわけがない。

 コートを着ている越谷ですら、時折吹く強い風には身を震わせる。

 翠は寒さなどものともせず、「携帯を返してほしい」と訴えていた。

「これ? 私、拾ったのよ? 感謝してほしいわ」

 拾ったというそれに、翠は間接的に反論する。

「……落としてはいないと思います」

「あらやだ……では、どうして私が持っているのかしら? まさか、私が盗ったなんて仰らないわよね?」

 似ている――雅さんの雰囲気に。

 表情の作り方がそっくりだと思った。

 だが、それだけでは判断できない。

「あなた、どういうつもりなのかしら」

「何がですか?」

「何が? ずいぶんととぼけていらっしゃるのね」

「携帯を返してください」

 翠は越谷の言うことに耳は貸さず、とにかく携帯を返してほしいと口にする。

「拾ったら、誰のものか調べなくてはいけないでしょう? それで少し中を見せていただいたの。そしたら、指が滑ってしまって着信履歴が表示されたわ」

 越谷がクスリと笑った。

「驚いたわ。ロックもかけていないなんて。そんな携帯に、藤宮の方々の番号がこんなにたくさん入っているだなんて」

「返してくださいっ」

 苛立ち、焦り、怒り――そのどれともわからない翠の声があたりに響く。

「あら、何を今さら慌てていらっしゃるの? ずいぶんと遅いのではなくて? 私がこの携帯を手にしてからどのくらい時間が経っていると思っているのかしら」

 そんなことを翠が知るはずもない。

 携帯がないことに気づいたのは今少し前なのだから。

 越谷の笑みの作り方は雅さんそのもの。

 完璧としか言いようがなかった。

「データなんて数分もあればコピーできるのよ? それに、いくつかの操作でこの携帯を初期化することもできるのだけど、ご存知? ――噂は本当なのね。機械には疎いって……」

 それは否めない。が、おまえも唯さんに相当遊ばれているけどな……。

 赤外線通信とメモリカードの書き込みができなかったことは本人もわかっているだろう。

 それでも強気でいられるのは、パソコンへ転送したときにはエラーメッセージが表示されなかったから。

 それらすべてが唯さんの目論見どおり。


 ――「法律ってさー、結構色々と面倒なんだよね。別に携帯を見たくらいじゃ何も処罰なんて与えられない。プライバシーの侵害って言うけれど、言われるだけ。処罰できる刑法が存在しないんだから仕方ないんだけどさ。たとえ、リィが携帯にロックをかけていたとしても、それを解除したくらいじゃ罪には問われない。もっと突っ込んで言うなら受信済みのメールを見たとしてもなんの問題もない。問題になるのは他人が手にしているときに受信したものを見ちゃった場合。未開封のメールを見ると信書開封罪が適用されるけど、ほかのものに関しては該当しない。不正アクセス禁止法に触れるにはサーバにアクセスすることが前提だし……。そうだなぁ、リィの携帯を一時的に持ち出して、どこかにメールを送ったとしても、そのあと携帯を元あった場所に戻せば窃盗罪にもならない。あぁ、この場合は元の場所に戻しても通信した時点で使用窃盗っていう罪にはなるんだけど」。


 唯さんが世間話でもする要領で垂れ流していたこと。

 ほかにもこんなことを言っていた。


 ――「情報漏洩を防ぐ目的であれこれプラグラミングしちゃった時点で相手を陥れる罪状も減っちゃったよね。パソコンには転送できるようにしてあるけど、結果的には情報じゃなくてウイルスが転送されるわけだから、携帯内部の情報を目的とする窃盗罪も未遂に終わる。使用窃盗で自分がウイルスをパソコンに転送しているんだから、ウイルスの件に関してもこっちの罪にはならない。そんなわけで、携帯を持ち出して返すか返さないかで物理的に窃盗罪を成立させるか、携帯を使ったことによる使用窃盗罪くらいしか落としどころはない」。


 つまり、唯さんがプログラミングを施した今、越谷が盗めるものは携帯本体しかないということ。

 ならば、俺がほかに狙うものはあとひとつ――器物損害罪。

「私、この中身、全部見てしまったの。そしたら、なぁに? あなた、秋斗様ともずいぶんと親しくていらっしゃるのね? 藤宮一族でもなく、内進生でもないのにどうしてかしら」。

「っ……それは、兄が秋斗さんの後輩だからです」

 前にも訊かれたことがあるのか、兄つながりの知り合いと答えるまでに時間はかからなかった。

「ふぅん……それにしては、秋斗様からのメールが熱烈ですこと。それなのに、司様にも色目を使って……」

「違うっ」

「あら、何が違うのかしら? 藤宮の殿方をふたりも手玉に取っている方の言葉とは思えないわ。……これ、篠塚さんの作品よね?」

 翠は何も答えない。もっとも、秋兄が話していないのなら知らなくても無理はない。

 幼稚部から藤宮学園の人間なら篠塚宝飾店を知らない人間はいないだろう。

 雅さんが関わる関わらない関係なしに、知識としてあってもおかしくはない。

 篠塚宝飾店はうちのお抱え宝飾店であり、学園シンボルマーク、そして校章を一手に担う会社でもある。

 知名度はそれなり。

 そして、篠塚誠という人間は篠塚宝飾店の跡取りであり、「Art Jewelry Shinozuka」の社長兼デザイナーとして活躍している人間でもある。

「ジュエリー篠塚の篠塚誠さんは、藤宮お抱えの宝飾デザイナー。これはその方の手によるものよ。葉は十八金、このハートとチェーンはプラチナ。こんな粗雑なとんぼ玉と安っぽい鍵を一緒に通すなんて神経を疑うわ」

 越谷は嫌悪感を隠さない。

 声の発し方や笑みの作り方、仕草においては指の先まで雅さんとかぶる。

 まるで、そこに雅さんが立っているような気がするくらいに。

 だが、決定的に違うものがあった。

 それは言動。

 言葉に切れを感じない。

「怖い顔……」

 越谷は眉をひそめて見せるも、声は愉悦に満ちていた。

「このストラップをあなたに渡したのは秋斗様? それとも、司様? そういえば……あなた、藤宮の次期会長ともお知り合いなのね?」

 翠は黙秘を通していた。

 けれども、少し肩を震わせている。

 それは見るものによっては動揺と解釈される。

「答えてくださらないとつまらないわ」

「……携帯を返してください」

 翠は口を開けばそれしか口にしなかった。

「あら、携帯だけでいいの? このストラップ、私がいただいてもいいかしら?」

 ビクリ――翠の身体が大きく揺れる。

「あなた何も知らないのね? 落し物を拾った人は報労金がいただけるのよ?」

 ――疑惑は晴れた。

 越谷まりあは雅さんとつながらない。

 雅さんならもっと違う言葉を選ぶ。

 もっと効果的に、精神的に翠を追い詰めるような言葉を。

 言葉のみで翠の心をズタズタにできる、そういう人だ。

 翠は、報労金は落し物現物でなくても構わないはず、と冷静に答えていた。

 冷静を装っているだけだったかもしれない。

 ここからは翠の表情が見えないため、声音から判断するしかなかった。

「そうね……。それなら私、落し物なんて拾わなかったことにしようかしら」

「え……?」

 越谷は笑みを深め、さらに池へと近づいた。

 俺は越谷とは別の意味で口端を上げる。

 そうだ、そのまま携帯を池に落とせ……。

「私、面白くないことになっているの。それも全部、あなたが司様と秋斗様に好かれているからいけないのよ? あなた、どんな手を使ったの? 教えていただけない? なぜこんなにも藤宮の方々と親しくできるのか。……そう思っているのは私だけではないわ。あなたさえいなければ――あなたさえいなければっっっ」

 鬼の形相――。

 越谷のそれは嫉妬に狂った女のものだった。

「司様、よろしいのですか?」

 武明さんに小声で訊かれる。

「かまわない」

 あのまま落としてくれたほうが好都合だ。

 それに、俺が出ていくと翠が嫌がる。

 それは今までの経験から嫌というほどに学んでいた。

「ですが、あのままでは――」

「携帯はダミーだ。オリジナルは保護してある」

 武明さんはそこで黙った。

「幸い、あなたはこれがとても大切なようだし……。そうよね、このストラップをなくしたとあれば、プレゼントしてくださった方にお話しないわけにはいかないものね?」

 越谷の手は池へと伸ばされる。

「やめてっっっ」

 翠が叫ぶと同時、携帯は緩い弧を描いて池に落ちた。

 短く水音が響き、桜香苑はすぐに静寂を取り戻す。

 今は水面に波紋が残るのみ。

「携帯がなければ私がやったという証拠も残らないわ」

 越谷は愉快そうに笑った。

 高笑いは脳に響き、神経を逆撫でする。

 俺は一歩を踏み出した。

 わざと足音が立つように。

「さぁ、それはどうだろう? 目撃者がいれば別だと思うけど? 目撃者はふたり。そして、証拠の動画。これだけ揃っていれば申し開きはできないと思うけど」

 実際、この場には俺と武明さんのほかにもふたりの警備員がいる。

 姿を現したのが俺と武明さんというだけのこと。

「司様っ――」

 越谷は口元を手で覆うが、悲愴そうな顔をしてももう遅い。

「翠には手を出すな。そう牽制してきたつもりだったが、そんなこともわからなかったのか?」

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