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光のもとでⅠ 第十四章 三叉路  作者: 葉野りるは
本編
7/110

07話

 テラスを歩くと一、二年棟に着くまでに何度か声をかけられた。

 顔と名前が一致する人は少なく、見たことがあるかも、という人が少し。それでも、紅葉祭前と比べたらだいぶ見知った顔が増えたように思う。

 どの人も手を振って「バイバイ」という程度のものだからとくに困ることはなく、私は軽く会釈をしてその場を通り過ぎた。

 靴に履き替えると、教職員用の駐車場へ向けて歩きだす。

 けれど、どうしても前に踏み出しづらく、一歩一歩の歩幅がひどく狭い。

 私は仕方なしに時計を見ることにした。

 こういうとき、時間の無常さは色んな意味で有効。

 病院に間に合わなくなるから――そう自分に言い聞かせ、駐車場へと急いだ。

 秋斗さんはエンジンをかけた車を背に立っていた。

 私に気づくと、すぐ助手席側に回ってドアを開けてくれる。

 ――思い出す。私はいつだってこのドアを秋斗さんに開けてもらっていた。

「どうかした?」

「いえ、お邪魔します……」

 互いが車に乗ると、

「さて、ほかに訊きたいことは?」

 秋斗さんはギアを変えながら私の顔を覗き込む。

「あ……」

 話を元に戻されて心臓が慌てて動き始める。

 秋斗さんはそんな私を見てクスリと笑い、緩やかに車を発進させた。

 訊きたいことはたくさんある。でも、一番気になることはひとつだけ。

「あの――」

「ん?」

「秋斗さん、今は――今は、みんなと仲良しですか?」

「え……?」

「っ……ごめんなさいっ、なんでもないです」

「……翠葉ちゃん?」

「訊きたいこと」をそのまま口にしたら、脈絡のない質問になってしまった。

「それはつまり……俺と誰が仲良しってことかな?」

 秋斗さんは何もなかったことにはせず、話を続けるための質問を返してきた。

 私はどう説明したらいいのか、と必死で頭を働かせる。

「……記憶の話をしてくれたとき――あのとき、秋斗さんは今の自分を信じてくれる人は少ないからって言ってましたよね? だから……今はどうなのか気になって」

「翠葉ちゃん。……何か思い出した?」

「っ……いえっ――」

「……そう? その話からだと、さっきの『みんな』が指すものは俺の身内、かな? あとは蒼樹や唯?」

 私は答えを聞くのが怖くて、かばんを握る手から視線をずらせないでいた。

「仲はいいと思うよ。ただ、信用が回復しているかは不明。蒼樹や唯は正面切って信用してるって言ってくれたけど、普通、こういうことは面と向かって話さないでしょう?」

 その言葉に、私は返す言葉を持っていなかった。

 表面的な部分だけを見るなら仲良く見える。でも、湊先生や栞さん、静さんや司はどう思っているのだろう。

「翠葉ちゃん、病院に着いたよ」

 はっとして顔を上げると、車は病院の正面玄関に停まっていた。

 秋斗さんは私のシートベルトを外すと、

「これは俺の問題だから翠葉ちゃんが気にする必要はないよ。だから、そんな顔しないで?」

 秋斗さんの笑顔に胸がぎゅっとなる。

 涙が零れそうになるのを必死で堪え、唇を強く噛みしめた。

 表情のほとんどはマスクが隠してくれている。

「……どうしたのかな? 何かつらいことでもある?」

「な、い……です」

「君は、嘘をつくのが本当に下手だね」

 視界にハンカチを握る秋斗さんの手が見えた。

 それを私の手に握らせると、

「必要なら使って?」

「私っ、泣いてなんて――」

「うん。まだ涙は零れてないけど、今にも零れそうだよ」

「っ……」

「それに、これがあればまた翠葉ちゃんに会う口実ができるでしょ?」

 私は逃げるように車を降り、お礼を言うことも秋斗さんを見送ることもせずに院内へ入った。

 受付を済ませると、唯兄に言われた手順を踏んで九階へ上がる。

 九階に着くと、真っ直ぐに伸びる廊下を走った。

「走るな」と怒られるかもしれない。けれど、ほんの三十メートルほどだから許してほしい。

 足音を聞きつけたのか、ナースセンターから出てきた相馬先生に駆け寄り縋りつく。

「おまえ何走って――」

「先生っ――泣きたくないっ、私、泣きたくないっっっ」

「は? なんのこった……」

 会うなり脈絡のないことを言っている自覚はある。

 先生は何があったのか訊いてくれたけど、私は何ひとつ話すことはできなかった。

 そんな私を先生はすっぽりと抱きしめ、

「とりあえず、俺の心音でも聞いてろ」

 と、片手でずっと頭を撫でてくれていた。


 どのくらい経ったのかわからない。

 でも、力を入れて目を瞑らなくても涙が零れないような気がしたから目を開けた。

「落ち着いたか?」

「はい……」

「じゃ、まずは脈診だ」

 いつもと変わらない調子で私の両手首を取る。

「肺の脈はまだ強いな。風邪には十分注意しろ。そのほかの臓器関連はさほど悪かないが、薬を使ったせいだな。肝臓と胃腸に負担がかかってる。あとストレス。睡眠も微妙」

「夜は日付が変わる前に寝てます」

「寝てても深い睡眠は取れてないんじゃないのか?」

 それには反論することができない。

「つまりはそういうこった」

 先生はそれ以上は何も言わずに診察台がある病室へと移動し治療を始めた。

 治療には一時間ちょっとかかったけれど、その間、先生は治療に関すること以外は口にしなかった。

 けれど、帰る間際に言われる。

「俺は一度訊いたからな? 訊いたけど言わなかったのはスイハだ」

 私はその言葉を噛みしめる。

 先生は、暗に「二度目はない」と言っているのだ。

 先生は私を甘やかすことはしない。

 受け止めて向き合ってはくれるけど、甘やかすことはしない。そういう人――。

 私の周りにいる人だとツカサと同じくらいに厳しい人だと思う。

 今の私には、その厳しさのほうが都合が良かった。

 優しくされると困る。甘やかされると困る。

 今、優しい言葉をかけられると泣きたくなるから、だめ――。


 迎えに来てくれたお母さんにも何かあったのかと訊かれたけれど、

「久しぶりの学校に疲れただけ」

 嘘をつくことを戸惑わなくなった自分に気づく。

 そんな自分を嫌だとは思うのに、結局は記憶が戻ったことを知られたくないという気持ちを優先させると「嘘」が必要になる。

 そんな過ち、すぐに気づけそうなものなのに、このときの私は全く気づけなかった。

 秋斗さんのことを考えている振りをして、本当は自分のことしか考えていなかったのだと思う。


 家に帰れば逃げるようにお風呂に入り、夕飯の席では食べることに専念する。

 食べ終わると、勉強を理由に部屋に篭った。

 知りたいことはたくさんある。訊きたいこともたくさんある。

 でも、それを尋ねることは私の記憶が戻ったことを意味してしまうから、訊くに訊けない。

 今日、秋斗さんに訊いてしまったのは失敗だったと思う。

 記憶が戻ったと気づかれていたらどうしようか、と気が気ではない。

 怖い――。

 何を考えるよりも、その感情が先に立つ。

「翠葉?」

 部屋の外から蒼兄の声がした。

「はい」

 私は咄嗟に英語のノートを広げる。

 蒼兄が入ってくると、

「勉強、大丈夫か?」

「うん、時間かければ理解できそう」

「そっか……あ、英語なら見れるけど?」

「でも、蒼兄も大学のレポートがあるんじゃないの?」

「あるけど、時間が全く取れないわけでもないし」

「……えと、どうしてもわからないところがあったら訊きにいく。そしたら教えて?」

「わかった。じゃ、無理はしない程度にがんばれよ」

 最後は少し笑いを交えた会話をして蒼兄は部屋を出ていった。

「私、また人を遠ざけてる……?」

 自己防衛のために人を遠ざけて、また大切な人たちを傷つけるの?

 また、同じことを繰り返すの?

 ――いいわけがない。そんなことをしていいわけがない。

 わかっているけど――どうしたらいいのかがわからない。

 記憶は戻った。でも、膨大すぎる記憶は今の私の気持ちをなぎ倒すくらいの威力があった。

 自分がどう行動するべきなのか、何が大切なことなのかすら見失うほどに――。

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