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光のもとでⅠ 第十四章 三叉路  作者: 葉野りるは
本編
31/110

31話

 病院に着くと、私が来ることを事前に知っていたであろう警備員さんがエレベーター脇に立っていた。

 私がエレベーターに乗ると、自然な動作で同乗する。

 十月から意識して警備員さんを見てきて気づいたこと。

 エレベーターに同乗する人はいつも決まった人だった。

 決まった人はふたりいて、そのふたり以外の警備員さんが同乗することはない。

 本当に、いたるところで私は守られていた。

 手術フロアに着くと、私は警備員さんに会釈してエレベーターを降りた。

 手術室付近の廊下はすべてクリーンエリアになっているため、自動ドアの手前にあるロッカールームで術着に着替え、靴は除菌済みのサンダルに履き替える。

 そうして中に入ると看護師さんに出迎えられ、私は廊下の一角にあるストレッチャーへ案内される。

 今日は昇さんかな。それとも久住先生かな……。

 そんなことを考えながら、目に飛び込むグリーンカラーを見つめていた。

 床の緑が白い壁と天井に反射して、空間全体を緑っぽく見せているのだ。

「待たせたな。治療始めるぞ」

 現れたのは昇さんで、その後ろから背筋がすっとした看護師さんがカートを押してきた。

「調子はどうだ?」

「痛みはあるけど薬でなんとかなる範囲です」

「そうか……」

 昇さんは何か言いたそうだけれど、その先を言わない。

「なんですか?」

「……こういうのは俺らしくないか」

「はい」

「即答だな、をぃ……」

「だって……」

「まぁ、いい。……翠葉ちゃんはさ、痛みに慣れすぎてるっていうか、我慢することに慣れすぎてるから、時々その言葉を信じていいのかに悩む」

 言いながら、昇さんは痛む場所を確認しながら消毒をしては注射を打ち始めた。

「そういや、紅葉祭が終わって早々にインフルで入院したってな? もう大丈夫なのか?」

「はい、大丈夫です」

 それがきっかけだったのだろうか……。

 インフルエンザで高熱を出していた数日間は意識が朦朧としていた。そして、マンションに帰ってきたら記憶が戻っていた。

 何がきっかけになったのかはわからない。でも、記憶は戻ったのだ。

「先生……」

「痛かったか?」

「ううん、違うの……。私、記憶が戻りました」

 昇さんは針を刺そうとしていた手を止めた。

 目を見開きながら、

「いつ……?」

「いつ思い出したのかはわかりません。でも、気づいたのは先日退院した日。ゲストルームに戻った日です」

「そうだったのか……」

「もっと早くに話せたのに、心配かけたままですみませんでした」

「いや、いいよ……。思い出してから混乱したことだってあるだろうし」

 昇さんは注射器をトレイに置くと、私と目線を合わせるために廊下にしゃがみこんだ。

「大丈夫か?」

「大丈夫です。マンションに帰ったら栞さんにも話さなくちゃ」

 私は湊先生に話したことと丸きり同じことを昇さんに尋ねた。

 すると昇さんは笑う。

「ほんっと律儀だな? そんなに秋斗のことが心配か?」

「……心配というか、私が記憶をなくしたのは秋斗さんのせいじゃないってわかってほしいだけです。だって、それで誤解されるのはひどく申し訳ないから」

「なんつーか、難儀な性格してんな? でも、翠葉ちゃんらしいよ。起きることひとつひとつ真正面から向き合うところがさ。……でも、それで潰れんなよ?」

 昇さんは真面目な顔つきになる。

「つまり、今回の出来事はさ、自分を追い詰めすぎたから記憶をなくしたってことだろ?」

「違いますっ。私は自分から逃げただけでっ――」

「そういう見方もできる。でもな、俺が言ったような見方だってできるんだよ。自分を追い詰めてもいいことないぞ? わかってると思うが、過ぎるストレスは心臓にいい影響を与えない。自分を追い詰めすぎると身体が悲鳴をあげる。そのことだけは肝に銘じておけ」

 昇さんは注射器を持ち直すと治療を再開した。

 施術が終わってから十五分ほど休み着替えを済ませると、私は九階へ上がった。

 今日はカイロや鍼の治療はない。でも、相馬先生にも会って伝えたかった。

 ポーン、と軽やかな音が鳴り扉が開く。

 いつもと変わることのない薄暗い廊下をナースセンターに向かって歩く。

 靴音が聞こえていたからか、先生はナースセンターから出てきてくれた。

「どうした?」

「先生、私、記憶が戻りました。そのことを伝えようと思って」

「……そうか」

 先生は私の近くまで来ると何も言わずに両手首を掴んだ。

 言われなくてもわかる。いつもの脈診だ。

「胃の状態が良くない。それからストレスの脈もマックスだ」

 先手を打たれたと思った。

 先生は私に大丈夫かどうかを訊く代わりに身体に訊いたのだ。

 私はそれには何も答えず、

「藤原さんにも伝えたいのだけど、どこへ行けば会えますか?」

 八月に退院してから藤原さんに会ったのは一度だけ。婦人科へかかったときだけだった。

「あぁ、あれは特殊なところにいるからな。藤原には俺から伝えておく」

「お願いします……。今日はそれを伝えに来ただけなので帰ります」

 ほかに何を訊かれるとは思っていない。でも、相馬先生の視線を受けるのは少し怖かった。

 だから、私は先生の返事を待たずに身体の方向を変えた。

「スイハ――潰れんなよ」

 私はその言葉を背中で受け止め、暗い廊下をコツコツと無機質な音をさせて歩いた。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫――。

 自分の気持ちさえぶれなければ大丈夫。


 唯兄が車で迎えに来てくれるから、マンションまでは十分とかからず帰れる。

 七時にはゲストルームに着くだろう。

 鼻歌を歌いながら運転する唯兄に、

「お母さんは?」

「まだ現場。明日には帰ってくるって言ってた」

「そっか……夜、電話しようかな」

「……報告?」

「うん……早くに知らせたほうがいいと思うから」

 唯兄はちらりと私を見て、すぐ前方へ視線を戻した。

「ここまでくるとさ、あまり急ぐ必要はないと思うよ」

「そうかな……」

「今日、会った人には話したの?」

「うん」

「みんななんて言ってた?」

「え……?」

「みんな、『大丈夫?』って言ってなかった?」

 私は話した人たちを思い出す。

「湊先生と昇さんには言われた。でも、ツカサと相馬先生には言われなかった」

「あのふたりらしいや……。でも、碧さんと零樹さんは大丈夫かどうか訊くと思う。記憶を取り戻して混乱してないか、リィが離れた場所にいれば離れている分だけ不安は助長するよ」

「そう、なのね……」

「碧さんが帰ってきてから話すほうが零樹さんも余計な不安を抱かなくて済むんじゃない?」

「そう、かな……」

 少し前までは知られることが怖くて隠していた。今、早く話してしまいたいと思うのは楽になりたいからかもしれない。

 人に話すという行為は、私の中で懺悔と関連づけられているのだろう。

 私は今、楽になりたくて話しているに過ぎないのだ。


 玄関のドアを開けると、夕飯の香りと一緒に栞さんが出迎えてくれた。

 このあと、手洗いうがいと着替えを済ませればダイニングで夕飯になる。

 ご飯は楽しく美味しく食べたい。だから、話すのは食後にしよう。

 夕飯は純和風なメニューだった。

 具沢山の筑前煮に肉厚な塩サバ。塩サバには軽く水切りした大根おろしが添えられている。

 あとはお豆腐となめこのお味噌汁にほうれん草の胡麻和え。

 色が少ない中に出し巻き卵の黄色が映える。それから、ただ切っただけのトマトも。

 栞さんが用意してくれる食卓はいつでも彩が豊かなものだった。

 栞さんがそこにいるだけで空気があたたかくなる。そんな人に誤解をさせてしまって申し訳ないと思った。

 夕飯が終わると、私は食器の片付けをしている栞さんの隣に並んだ。

 ちゃんと話したいと思うのに、腰を落ち着けて話す気にはなれなかったのだ。

「栞さん」

「なぁに?」

 穏やかな表情を返され、これから話すことでその表情がどれほど変わってしまうのか、と不安になる。

 それでも私は話すのだ。

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