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光のもとでⅠ 第十四章 三叉路  作者: 葉野りるは
本編
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03話

 不思議と、教室のドアを怖いと思うことはなかった。

 あの、底知れない不安はどこにもない。

 桃華さんが一緒だからとかそういうことではなく、たぶん、私の中の何かが変わった。

 そんな気がした。

「翠葉……? 入らないの?」

「あ、ごめんっ」

 慌てて教室に足を踏み入れ席に着くと桃華さんに訊かれる。

「まだ怖い?」

「ううん、その逆。全然怖くなかったの」

 桃華さんは驚いた顔をしたけれど、次の瞬間には笑顔になった。

「良かったわ」

「ありがとう……みんなのおかげ」

「主に藤宮司の?」

 っ……!?

「うちのクラスからしたら、周りのことを考えずにスタンドプレーに走る迷惑極まりない人間でしかなかったけど、翠葉にはアレの荒治療が良かったのかしらね」

 ツカ、サ――。

「翠葉?」

「っ……あ、そうだ。私、マスクしなくちゃ。湊先生から風邪が流行る期間は気を抜かずにマスクして過ごしなさいって言われているの」

 前に向き直り、出かけにポケットへ入れてきたマスクを装着したら少しほっとした。

 マスクは顔の半分を隠してくれる。

 同じ分だけ表情も隠してくれるし、口を押さえている気もするから「嘘」や「余計なこと」を話さずにすむ気がした。


 五分もするとクラスは人で賑わい始め、

「久しぶり」

「復活おめでとう!」

「もう大丈夫なの?」

 みんなはいつもと変わらないあたたかい言葉をかけてくれる。中には、「インフルエンザなんて災難だったね」なんて言葉も混じっていて、私はそれらに「うん」「ありがとう」「本当にね」なんて答えていて――いつの間に、こんなふうに自然と受け答えができるようになっていたのかな、なんて不思議に思う。

「翠葉、いい傾向!」

 海斗くんに頭をわしわし撫でられると川岸先生がクラスに入ってきて、朝のホームルームが始まった。

 七ヶ月……藤宮に入学してから、もう七ヶ月が経つのね――。


 今回の不調はノートに目を通すことができる状態ではなかったこともあり、休んでいた間のノートはこの日にまとめて渡された。

 予習復習をしなくてもなんとかなるのは数学のみ。ほかの科目は意味もわからずにノートを取っていた。

 数日は、予習復習に力を入れなくてはいけないだろう。

 こういうとき、進学校であることを痛感する。

 五日休んだだけで授業に全くついていけなくなる。そのくらい、授業が進むのが早い。


 お昼休みにいつもの五人でお弁当を食べていると、

「授業、大丈夫?」

 佐野くんに訊かれ、私は苦笑を返す。

「数学以外は全然わからなかった。マンションに帰ったらノート見ながら勉強する。ノート、いつもありがとう」

「そういえば、さっきから気になってたんだけど、今日は緑のつけてないのね?」

 飛鳥ちゃんは自分の首の辺りを指して言う。

「緑の」が指すものはとんぼ玉だろう。

「うん……今朝、時間がなくて」

「そっか。あれ、かわいいよね?」

「うん……」

 表情筋が変な動きをしないように、神経の隅々まで気を使う。

 本当は、いつもと同じようにとんぼ玉に手を伸ばしたの。でも、どうしてもそれを身につけることはできなかった。

 単なる「もの」だったそれらは記憶がなくても「大切なもの」へと変わっていった。

 けれど、記憶を取り戻したら「大切」の度合いが桁はずれで、どうしたらいのかがわからなくなってしまった。

 秋斗さんからいただいたストラップも髪飾りも、ツカサからもらった柘植櫛もとんぼ玉も……。

 かと言って、ただでさえ不安な気持ちを抑えて登校するのにとんぼ玉なしでは心許なく、結局それは携帯と共にポケットの中にある。

「あれって藤宮先輩からの土産だろ? それ買うとき、俺ちょうど一緒にいたんだよね」

 佐野くんの「藤宮先輩」という言葉に心臓が飛び跳ねる。

 私は薬を飲んですぐにマスクをつけた。

 要らぬ嘘をつかないように、これ以上気持ちが表に出ないように――。

「そういえばさ、うちが神社って話したじゃん?」

 佐野くんが新しい話題を持ち出すと、みんなが佐野くんを見た。

「集れる人間だけでもいいんだけど、年末年始、うちでカウントダウンしない?」

 佐野くんは私たち四人だけではなく、クラス全体を見回してそう言った。

「それいい! 超楽しそう!」

 そんな声がすぐにあがり、その一方では「藤宮」ならではなのか、「お正月は家族で海外なの」と言う人や「親戚の集まりがあるから」という人もいた。

「御園生は?」

「あ……えと、行きたい。けど、お母さんに訊いてみるね」

 年末ならお父さんの仕事も一段落している頃だし、お正月は唯兄をおじいちゃんたちに引き合わせるという話も出ていた。

 予定がいまいちわからないからまだ返事はできない。

「俺んち地下スタジオがあるから、疲れたらそこで休めばいいよ。寝袋とかいくつか用意しておくし」

 佐野くんの気遣いにはすぐに気づいた。

 私が疲れたときのことまで考えて誘ってくれている。

「佐野くん……ありがと」

「うん、やっぱそう返してもらえるのが嬉しいかな」

「え……?」

「『ごめんなさい』よりも『ありがとう』のほうが嬉しいって話」

 佐野くんはにっ、と笑い、私もつられて笑顔になった。


 帰りのホームルームが終わると、後ろのドアに一番近い小川くんに声をかけられた。

「御園生ちゃん、藤宮先輩が来てる」

 小川くんを見るのと同時、視界に入ってきたのはツカサ。

 不意に目があって心臓がぎゅっとなる。

「翠葉?」

 桃華さんに声をかけられた私はびっくりして手に持っていたプリントをバサバサと落としてしまった。

「わっ――」

「拾っておくわ。あの男を待たせると、ただでさえ黒いオーラがもっとどす黒くなるから」

「う、うん……」

 誰が見ても挙動不審にしか映らなかっただろう。

 それはきっと、ツカサにも同じように見えたはずで――。

 廊下に出ると、開口一番「体調は?」と訊かれた。

 いつもどおり……何も変わらずいつもどおり。

「あ、えと……はい、平熱に戻りました」

 ポケットに入っていた携帯を取り出しツカサに見せる。

「……異様に脈が速いけど?」

「……それはきっと何かの間違いです」

「……ふーん。今日このあとは?」

「真っ直ぐ帰ります」

「……なんで敬語なのか知りたいんだけど」

「えっ!? あ、嘘っ、敬語だった? それもきっと気のせいだからっ」

「挙動不審の理由は何?」

「っ……挙動不審じゃないよっ!? 全然普通、むしろこれは私の標準装備。……ツカサは……紅葉祭が終わったから部活だよね?」

「そうだけど……」

「私、マンションに戻ったら休んでいた分の勉強しなくちゃいけないから、またねっ」

 ツカサに背を向けたら縮こまってドックンドックンいっている心臓に手を添えたくなる。

 でも、これ以上変な行動はしないように、と自分の手を自分の手で必死に押さえた。

 席に戻ると不思議そうな顔をした桃華さんと目が合ったけれど、何を訊かれる前にプリントを拾ってくれたお礼を口にした。

「じゃ、私帰るね。バイバイ」

 かばんを持って急ぎ教室を出る。

 だめだ……。もっと普通にできないと。もっと「普通」に――。

 でないと、記憶が戻ったことを知られてしまう。


 誰にも声をかけられないように、早足で校舎を出て校門へと歩き始めた。

 逃げたらいけないのはわかっている。でも、まだ向き合うには勇気が足りない。

 私はひとまず学生の本分を全うするための予定を立てることにした。

 学校が終わり速やかに帰宅して勉強を始めたとしても、休んだ分の遅れを取り戻すのに三日はかかるだろう。それに、明日の水曜日と金曜日は病院がある。

 私の予定が空くのは金曜日以降。だとしたら、ホテルへ行けるのは土曜日以降になる。

 私は携帯を取り出し、静さんに連絡を入れた。

 携帯はすぐにつながり、

「翠葉です。今、お時間大丈夫ですか?」

『あぁ、大丈夫だよ』

「あの、ホテルにお伺いするの、今週の土曜日になってしまうのですが、大丈夫でしょうか」

『あぁ、大丈夫だ。土曜日ということは午後だね?』

「はい。一度マンションに戻って着替えてから伺おうと思います」

『わかった。あとで若槻に連絡をしておくから、その日は若槻に送ってもらうといい』

「……え?」

『姫君、お忘れかな? 今は自宅で仕事をさせているが、若槻はもともとうちのホテルの広報部に籍を置いている人間だ』

「あ……」

『若槻もプロジェクトスタッフの一員だから、そんなに緊張しなくていいからね』

「は、い……」

 すでに声が硬くなっている私を静さんはクスリと笑った。

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