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光のもとでⅠ 第十四章 三叉路  作者: 葉野りるは
本編
12/110

12話

 病院に迎えに来てくれたのは蒼兄だった。

 会計センター前にある長椅子に座っていた蒼兄は、私に気づくと立ち上がり、

「桃華から教えてもらった。胃が痛くて五限は保健室で休んでたって? ……連絡してくれて良かったのに」

「うん……でも大丈夫だったし」

「そっか……。そのジャケットって秋斗先輩の?」

 蒼兄の視線は私の手に注がれていた。

「うん。風邪ひかないように……って」

「そっか……」

 会計を済ませたあと、駐車場に移動する間はずっと無言だった。

 隣に並んで歩いているのに会話がないなんて、私と蒼兄らしくない。

 ここ数日の私は、蒼兄たちから見てもぎこちなく見えていたことだろう。

 その自覚はあるし、今の自分が逃げているだけなのもわかっている。

 でも、もう少し時間が欲しい。

 ほかの何を気にすることなく、きちんと向き合って考えることができる時間が欲しい。

 考えることを後回しにしている言い訳に思われるかもしれない。けれど、まずは授業に追いつかなくては……。

 私は学校に通いたくてマンションに間借りしているのだ。それなら、まずはそれをクリアしなくちゃ――。


 車に着くと、蒼兄がエンジンをかける前に声をかけた。

 蒼兄は不思議そうな顔でこちらを向く。

 車の中は風が吹かないからか、外より少しあたたかく感じる。そして、無音ではないのに、とても静かに思えた。

「ごめん、心配かけてるよね……」

 蒼兄は何も言わずにシートベルトにかけた手を下ろし、今は足の上で組んでいる両手を見ていた。

「あのね……少しだけ待ってほしいの。今、順番決めたから」

「順、番……?」

 蒼兄の顔がこちらを向く。

「うん、順番……。今、授業始めにある小テストで半分くらいしか点数が採れていないの。休んでいた分をまだ取り戻せていない。まだ、授業に追いつけてない。……だから、まずはそこをクリアさせなくちゃいけないと思ってる。次はお仕事。土曜日にホテルへ行ってお仕事の話をしてくる」

「翠葉……?」

「せめてこのふたつ……。このふたつが片付かないと、向き合わなくちゃいけない問題とちゃんと正面から向き合えないの。今はこれがあるから考えられないって逃げ道があるとね、私――だめみたい」

「……ひとりで向き合うのがそんなにつらいなら、話してくれたらいいのに」

「うん、そういう方法もあるんだよね。でもね、まずは自分で考えなくちゃって思う。それすらできていない今はまだ……まだ人を頼りたくないの。心配かけていることもわかっていて、それでも『まだ』って思うの」

 蒼兄は顔をくしゃりと歪めて笑う。けれど、その表情から「心配」の色がわずかに和らいだ。

 薄まった分、「呆れ」が補充される。

「翠葉は言い出したら聞かないからなぁ……。意外と強情な妹であることは知ってるつもり」

「蒼兄……」

「わかった。唯にも母さんにも俺から話しておくよ」

「ごめんね。――ありがとう」

 根本的なことは何も話していない。でも、たったこれだけのことを話しただけで、少し気持ちは楽になった。

 複数のことを並行してこなせる器量は私にはない。だから、今目の前にあるものをひとつずつクリアにしていこう。

 順番――それが決まっただけで、ずいぶんと頭がすっきりしたように思えた。


 マンションまで戻ってくると、私はロータリーで降ろしてもらえるよう蒼兄にお願いした。

 私はコンシェルジュに用があったのだ。

 真っ直ぐコンシェルジュカウンターへ向かうと、何か仕事をしていた高崎さんが私に気づき顔を上げた。

「高崎さん、ここでクリーニングのサービスもしてましたよね?」

「承っております」

 高崎さんはにこりと笑い、佇まいを直してかしこまった対応をする。

「これをお願いしたいんです」

 私は手に持っていたジャケットをカウンターに置いた。

「クリーニングの請求はうちに回してください。クリーニングが済んだジャケットは秋斗さんのおうちに届けていただけませんか?」

「……それでいいの?」

「はい、お願いします」

「……よろしければメッセージも承れますが?」

 高崎さんはカウンターの中から小さなメッセージカードを取り出した。

 一瞬躊躇したけれど、言葉は添えるべきだと思った。

 私はそのメッセージカードに、「ありがとうございました。翠葉」とだけ書いて、高崎さんに託した。


 ゲストルームに帰ると唯兄とお母さん、それから栞さんに出迎えられる。

 帰宅時の挨拶、「おかえりなさい」と「ただいま」。

 たぶん、何を気負うことなく普通に言えたと思う。

 靴を脱いで室内ブーツを履いたとき、玄関のドアが開き蒼兄が入ってきた。

「翠葉は手洗いうがいな?」

「うん」

 かばんだけ自室の入り口に置いて洗面所に入ると、広いとはいえないスペースに蒼兄が並ぶ。

「翠葉が着替えてる間に話しておくよ」

 鏡越しにそう言うと、私の頭を軽くポンポンと二回叩いて出ていった。

 頼もしい背中に向かって呟く。「ありがとう」と。

 私は車での蒼兄とのやり取りを思い出しながらルームウェアに着替え、仕上げに小宮さんにいただいたシュシュで髪をひとつにまとめた。

 蒼兄が話してくれると言ってくれたけれど、やっぱり自分からきちんと話そう。そのほうが心配の度合いが減るかもしれないから。

 蒼兄の表情が「心配」から「諦め」に転じたのは、たぶん私が話したからだ。

 それなら、お母さんたちも人伝に聞かされるよりも、私が話したほうが心配は心配でも「諦め」も混じるかもしれない。

 それに、そのほうがより逃げ道がなくなっていい――。

 ドレッサーの鏡に映る自分の顔を両手でパシッと叩く。

「翠葉、覚悟しよう。逃げ道は――全部なくすよ」


 ダイニングへ行くと夕飯の準備が整っていた。

 テーブルには湯気の上がる丼とほうれん草のお浸しなどが並ぶ。

 丼の中身はおうどんだった。

 きっと、私がお昼も食べられなかったと知っているから、このメニューなのだろう。

「お母さん、唯兄。それから栞さんも……。心配をかけていてごめんなさい。今ね、悩みごとがあって、自分でもよくわからない行動をしていたりするの。でも、まずはちゃんと自分で考えたくて……」

「蒼樹から聞いたわ」

 言葉に詰まるとお母さんにそう言われた。

「うん。でも、ちゃんと自分から言ったほうがいいと思うの。だから、言えるところまで話す」

「じゃぁ、聞こうじゃないの」

 唯兄が私の隣に座って左手をぎゅっと握ってくれた。

「考えなくちゃいけないんだけど、今、学校の授業についてくのが精一杯というか、小テストでも点数落としてる状態だから、まずはそこをクリアさせなくちゃいけなくて、そしたら次はお仕事。ちゃんと考える態勢が整うのはそのあとなの。だから、それまで待ってもらってもいい?」

 訊くと、その場にいた四人がにこりと微笑んだ。

 コツリと唯兄の頭が私の頭に当たる。

「ほかは?」

「ほか……?」

「体調的なアレコレ。俺、今日昼に電話してあからさまにごまかされたんだけど?」

「あ、ごめん……。あの場にツカサがいて、あまり聞かれたくなかったの」

「なるほど。……で?」

「ごめんなさい……お弁当食べられなかった。胃の調子、やっぱり戻ってなくて」

「それだけーーー?」

「……スミマセン。胃が痛くて五限は保健室にいました……。でも、お薬飲んだら少し楽になったから大丈夫」

「へー? それで誰にも連絡せずにひとりで病院行ったんだー? ふーん。あー、そう」

 秋斗さんやツカサの抑揚ある話しぶりも怖いけれど、唯兄の全く抑揚のない単調すぎる話し方も怖いと思った。

 私と唯兄以外の三人はクスクスと肩を震わせて笑っている。

「ごめんなさい……。寄りたいところがあったの」

「「「「どこに?」」」」

 その場の全員に質問される。

 でも、その気持ちはわからなくはない。学校から病院までで寄れる場所は無に等しいのだから。

「真白さんに会いに行ったの」

 唯兄と栞さんは「なるほど」といった顔をするものの、真白さんを知らない蒼兄とお母さんの疑問には拍車をかけてしまったようだ。

 そこで私は、夏休み中に真白さんとハナちゃんに会ったことや、紅葉祭二日目にお弁当を作っていただいたことを話した。

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