第3章 第2話
これまで全ての歌詞を由紀子が書いてきた。バンドの音楽の方向性を決めているヒロトが全体的なイメージを決めるので、由紀子の書きたい詩になった事は一度もない。いつもヒロトは迷いのない牧歌的な恋愛や、未来に希望を持った者だけが歌えるお花畑のようなラブソングを求めてくる。それが由希子には頭の弱い女の子の妄想としか思えなかった。ヒロト好みの詩と書いたり歌ったりする自分との間にある隙間に心地悪さすら感じた。由希子は自分自身もっと普通に汚れていると自覚しているし、例えば太陽の下で、波打ち際を迷いもなく走っていき男の胸に真正面から飛び込むなんていうテイストはフィクションを通り越して痛みを伴うギャグだと思った。
みんなに内緒で作っている曲は、もっと汚れている。内省的で恥ずかしいと言えるかもしれない。でもきっと自分の書きたい事はこっちだ。こういう話もヒロトたちと正直にできなければバンドは伸びていかないのかもしれなかった。
「待たせて悪いなぁ。さぁ続きやろうか」ヒロトがスタジオに戻ってきた。外はすごく寒いぞ、などと言いながら愛用のギブソンを手にした。持ち場に着くケンタローやマサキヨの横で速弾きして皆の気分を上げていく。
こういうヒロトは捨てたもんじゃないと由紀子は思う。ヒロトは怒ったり寂しがったり、かと思うと急にご機嫌になったりで、いつも周りを振り回すのだけど、演奏するときには手を抜かなかった。そこがバンドを続けていくうえで大事な部分だと思うし、ヒロトはその部分だけはハズさなかった。
ヒロトのギターには明確にリーダーシップがあった。泣く子を引っぱたいて連れて行くような強引な音だった。でもその音からは乱暴なのではなく、バンドを背負っていく覚悟を感じる。だからこの音に合わせようと思うのだ。ヒロトの音は今夜も走っていた。
でも、最近になって由紀子は思うのだ。どうしても生まれ持つ以外には身にまとう事の出来ない才能やセンスそしてカリスマに欠けるからこそ、ヒロトはこうも走るしかないのだ。バンドを引っ張るようでいて、バンドの存在に追い立てられてもいるのだ。
そしていま、インパクトだけが売りの中身のないような曲を由希子たちは演奏していた。
私たちのジングル 深呼吸 最大級!
胸に秘めたプライド 取り返せ 掴み取れ!
折れた天使の翼なんて、投げ捨てて
裸足のままでいい 傷ついたままでいい
笑い飛ばせ! ホントは嫌だよね?
人として? 褒められなくてOk!
僕たちの企み ケガしても 凍えても
路地裏のロッケンロール かき鳴らせ 振り向かせ!
折れた天使の翼なんて 投げ捨てて
いばらの道のうえ 一番目に走り出す
立ち上がれ! ホントは好きだよね?
空気よめ? はみ出したままOK!
それでも、この作りかけの曲は自分達の持ち歌の中で一番ましな方だった。由希子も他のメンバーもこの曲本当のところでは自信がなかったけれど、カラ元気でも毎日歌ったり、音を鳴らしたりして自分達がギリギリで引っかかってると信じる共通の思いを確かめ続けていくしかなかった。歌詞はカラ元気を言い様を変えて歌っているのに過ぎなかった。ヒロトの要求から外れない範囲で、いつも由紀子は攻撃的な歌詞を書こうとしてきたし、それが自分の持ち味だと思っている。闇雲に夢に向かったり、ただ毎日感謝しているよな、生ぬるい世界には手を染めず、自分の足で立っているような言葉を探していた。