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第2話


 これで三件目だ。

 一件目の雑貨屋では、商品名と値段が覚えられず、すぐにクビになった。その次は、叩き込まれた礼儀作法を活かして商家のお屋敷で働いてみようかと思ったが、採用試験を兼ねた臨時のアルバイト――パーティーでの給仕だったが――で失態を犯してしまい、あっさりと落とされた。

 最後に、知り合いのカッターさんに頼んで食堂での仕事を紹介してもらったものの、結果はこれ。何をやっても上手くいかないのを、ジェシーはこの数ヶ月で十二分に思い知った。


(お金、稼がないといけないのに)


 借金の報せを受けて実家に帰ったジェシーは、父母から現状を聞き、予想以上に事態は深刻であることを知った。学校なんかに行っている場合ではない。すぐにでも、お金を工面するために走らなければ――それが理解できるくらいに。

 但し、ジェシーが帰って来るまでに、事態はほんの少しだけ好転していた。彼女の、優秀な姉たちのおかげで。


 まず、長女は兼ねてより話のあった商家へ嫁いでいった。現在は、その家からわずかな援助を受けており、ティレット家は彼女に支えられていると言っても良い。

 次に、次女は自分が働いて稼ぐと言って就職活動を始めた。そして直後、近所の商会で募集していた経理の職に、すんなりと就いてしまったのだ。彼女もまた、給金の多くを実家に渡していた。

 このまま地道に借金を返済していけば、いずれは元の生活に戻れる日も来るだろう。しかし、


(わたしだけが、何も役に立ってない……)


 これでは、姉にばかり負担をかけてしまう。でも、自分には長女のような美貌もなければ、次女のような聡明さもない。平凡で、何の取り柄もない娘――。

 ジェシーは、溜息を吐いた。


(せめて、人並みだったならな)


 そうしたら、雑貨屋でもお屋敷でも食堂でも、どこででも働けるのに、と思う。


(早く、次の働き口を見付けないと。……食堂、辞めちゃったし)


 「辞めます」宣言をした後、ジェシーはそのまま店を出てきてしまった。後ろでおかみさんが何かを言っていた気もするが、振り返るだけの気力はなく、いつの間にか近所の公園に来ていたという流れだ。


(辞めない方が良かったのかな。でも、他にどうしろっていうの)


 ジェシーはぺたんと、ベンチに腰掛けた。

 「辞めます」なんて言わなければ良かったのか。別の行動を取っていたら、今でもあの店にいたのだろうか。


(やっぱり、それは無理)


 あの時、いっそ泣き出してしまえば良かったのかもしれないが、不思議と涙は出てこなかった。もしかしたら、薄々感じていたからなのかもしれない。自分が、あの場で必要とされていないということが。


(あーあ)


 足を投げ出し、ジェシーは空を見上げた。風が吹いているようには感じられないのに、雲はすうっと流れていく。くるくると変わる景色をぼんやりと眺めていると、じわりと込み上げてくるものがあった。


(もう、考えても仕方ないのに)


 目を閉じ、大きく息を吸う。

 忘れよう。食堂のことなんて忘れて、新しい職場を見付けよう。また、誰かに紹介してもらえばいい。そう、思った時のことだった。


「ジェシー!」


 呼ばれた声に、ジェシーは驚いて振り返る。公園の入り口にいたのは、食堂で厨房を手伝っている少年、マットだった。

 彼は立ち止まって膝に手を置き、肩を大きく上下させていた。咳き込みながらも、数拍ほど数えると、ゆっくりとジェシーの方へと向かってくる。


「マット……」


 当然ながら、彼とはお別れの挨拶をしていなかった。最後に彼を見たのは厨房だったか。料理を持っていく場所を教えてもらったことが、自然に思い出された。


「ジェシー、辞めるって、本当、なのか?」


 まだ呼吸が整えられていないのだろう。単語を区切って、マットは喋る。


「うん。さっき、そう言ってきた」

「それ本気か!?」


 急に大声を出したマットを、ジェシーはぽかんと見上げる。彼は、ベンチに座るジェシーの目の前までやってきて、彼女の視界を塞いだ。


「さっきあったことは……その、聞いたよ。ジェシーが傷ついたんだろうってのも分かる。けど、それだけで辞めるなんて言うなよ。おかみさんがさ、言ってたんだ。言い過ぎたって。あの人、口ではきついこと言うけど、面倒見がいいし……結構優しいとこあるんだぜ? ジェシーのことも、凄く気にしてた」

「でも……」

「戻って来いよ」


 な? と言って、マットは身を屈める。ちょうどジェシーの目線に合わせるように、中腰になった。

 思いのほか近くで感じられる異性の存在に、ジェシーは思わず身を引いた。彼のことが嫌いわけではなく、条件反射的なものだ。寄宿の女子校育ち、しかもちょっと前までいわゆるお嬢様だった彼女は、今までこうやって異性と話をする機会を得なかった。


「ほら、帰ろう」


 今度は右手が差し出される。それでも、彼の手を取ることに戸惑うジェシーに、手はぐいと伸ばされた。


「ほら」


 再三にわたる呼びかけ。説得を諦めるという選択肢はないのだろう。彼は少し怒ったように、手をジェシーに近付けた。


(いいのかな)


 この手を取っても、とジェシーは目の前の少年を窺う。恐る恐る見た先の彼は、やはり怒っているようだったが、嫌々ながらに説得しているという風でもない。言うならば、聞き分けのない妹に対する兄のような――。


(わたしの方が年上なのに)


 何やら釈然としないものは感じる。が、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 だからだろうか。心を決めることができたのは。


「…………うん――っきゃ!」


 ジェシーがうん、と言って頷いた瞬間だった。マットがさらに手を伸ばし、ジェシーを強引に立ち上がらせる。


「日が暮れるだろ。さっさと帰るぞ」


 そう言うと、マットは手を離す。突然のことに言葉を失うジェシーを置いて、彼は公園の出口に向かって行った。


「ま、待って!」


 慌てて追いかけるジェシー。マットは彼女を置いて行く気はなかったらしく、速度を緩めてくれた。

 公園を出て歩きながら、二人はぽつりぽつりと話をした。


「マットは、どうしてあそこで働いてるの?」

「おやじさんの腕に惚れ込んだからさ」

「腕?」

「ジェシーだって、いつもまかない食べてるだろ?」

「うん、食べてる」


 でも、それほどの味だろうか。ジェシーはその味を思い出そうとしたが、上手くできなかった。


「俺も、あんな味が出せるようになりたいんだ。そのために修行してる」

「そうなの」


 修行というからには、彼は将来料理人になりたいのだろう。これといって将来の夢を持たないジェシーには、どこか遠い話のように感じられた。


 店まであと少しとなったところで、ジェシーはふと気になったことを尋ねてみた。


「もしかして、わたしのこと、探してくれたの?」

「え!? まっ……まぁな」


 マットはわざとらしくポケットに手を突っ込み、そっぽを向く。


「どうして?」

「どうしてって……そりゃあ――」


 彼はしばらく視線を彷徨わせていたが、ジェシーの視線に耐えかねて、やけくそ気味に言った。


「人手が足りないんだから、今辞められちゃ困るんだよ!」


 それだけ言うと、店までの一本道を、一人でずんずんと進んでいく。ジェシーはわけが分からないまま、その後を追った。



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