第四話 死闘の末に
三段ほどの段を上り、試合場へと上がるリズとウィク。彼らの姿が見えた瞬間、観客たちから大歓声が上がった。しかし、二人はすでにお互いの顔しか見えていない。自分たちを取り囲んでいる大観衆のことなど、もはや眼中にはなかった。
「ウィク、今日こそ私はあんたを倒す!」
「今度も俺が勝つ!」
「ち、余裕ね。でも見てなさい、今までの私とは違うってことを!」
二人の間で飛び散る見えない火花。会場の緊張感が急激に高まっていき、空気が氷でも張ったかのようにピンと張りつめていく。審判役という大役を任された塾生は、雰囲気の重さに思わず唾を飲み込みながらもメガホンを手に取った。
「試合開始の前にルールの説明をしたいと思います。この試合は時間無制限の一本勝負、降参したら負け、気絶しても負け。もしどちらかが死んでしまった場合は、殺してしまった方を負けとします。いいですね?」
「はい!」
二人は同時に首を振った。それを確認した審判は脇に抱えていた儀礼杖を高々と掲げると、一気に振り下ろす。
「はじめッ!!」
審判が叫ぶと同時に、二人は互いに距離を取った。それぞれ試合場の端に陣取ったリズとウィクは、まず相手が何をするのか観察しようとする。修業を始めてから三カ月の間、二人は一度も戦っていなかった。そのことに由来する互いへの警戒感が現れているのだろう。観客が大歓声を上げる中、二人は睨みあったままなかなか動かない。
リズは二本持ってきていた杖のうち一本だけを右手に構え、もう一本の杖はベルトに通してしまった状態にしていた。二杖流は究めるのに失敗したのか、それとも最終兵器として取っているだけなのか。そのどちらなのかはまだ本人にしかわからないが、最初から使うつもりはないようだ。一方、ウィクの方は彼が特別な時にしか使わない白銀の杖を構え、戦闘の準備万端だ。
「スネークシュート!」
先に仕掛けたのはウィクだった。お盆ほどの大きさの魔紋が煌めき、放たれた風の弾丸。三か月前より確実に大きくなった魔紋にを見たリズは、即座に横へ跳ぶと迫りくる風を回避しようとした。しかし――
「なッ!」
確かに横へ避けたはずだった。だが、彼女の脇腹を激しい衝撃が襲い、着ていたローブが風で引きちぎられそうになる。衝撃のあまり、空中で身体が一回転。その後はどうにか試合場に叩きつけられることは避けたものの、不自然な着地をしたためリズの足に刺すような痛みが走る。
「まさか、曲がった?」
「相変わらず勘がいいな。その通り、魔法を改良して風の軌道を少し曲げられるようになったんだ」
「厄介……!」
リズは思わず唇をかみしめた。ウィンドシュートそのものは一撃必殺となるような威力の高い魔法ではない。しかし、不可視の風を使うため避けることは難しく、せいぜい先ほどのリズの様に術者の正面から移動するということぐらいしかできないのだ。それが球を曲げられるとなると、避けることはさらに飛躍的に難しくなる。実質的には不可能と言っていいレベルだ
接近戦しかない。リズはとっさにそう判断すると、一気にウィクに向かって足を踏み出した。身体が前にのめり、勢いよく飛び出していく。それを見たウィクは焦るわけでもなく、冷静に杖を構えた。
「接近戦なら俺の方が得意だぞ!」
下から上へ首をはね飛ばすような動きをしたリズの杖を、ウィクの白銀の杖が迎え撃った。黄金と白銀、二つの杖がぶつかり合い火花を散らす。リズはすぐさま杖を半回転させると、今度は下から上へ振り落とすように杖を振った。しかしそれも読まれていたようで、またもウィクに防がれてしまう。
「あんた、魔法だけじゃなくて杖術の方も上達したわね!」
「お前だって、動きの切れが良くなってる!」
幾度となく杖がぶつかり合い、火花が飛び散る。観客たちは息をのみ、試合場を所狭しとばかりに動きまわる二人の一挙手一投足に注目した。キンキンキンッと金属音が響き渡り、杖が分裂して見えるほどの速度で振るわれる。
そうしているうちに二人はつばぜり合いの態勢に突入し、力と力の我慢比べに入った。たがいに顔を真っ赤にしながら、腕がはち切れそうなほどの力を込める。二人の額からぽたりと汗が滴り落ちた。
「ぬッ! なんて馬鹿力よ!」
「お前こそ、女じゃないのかよ!」
互いに煽り合いながら、ドンドンと前のめりの体制になっていく二人。しかしここで、ウィクの目がニッと細くなった。次の瞬間、彼女は左手を離して腰もとの杖へと手を伸ばす。そして前に倒れてくるウィクの身体を上手く横に流しながら、杖を一気に振り抜いた。
「ぐあッ!!」
杖がウィクの背中を強かに打ちつけた。ウィクは大きく背中を反らしながら試合場の石畳へと突っ込んでいく。彼はとっさに手を出すものの、リズの杖による勢いが加算されていたため間に合わなかった。彼の身体はなすすべもなく頭から石畳へ衝突し、バコンと鈍い音が響く。
「よしッ!」
リズは急いでウィクから距離をとると、試合場の端へと移動した。彼女は頭上で杖を交差させると、その手をゆっくりと降ろして杖と杖との接点が顔の前に来るようにする。いよいよ、二杖流を使うのだ。彼女は杖を支えにして起き上がってくるウィクの背中を見ながら、慎重に魔紋を重ね合わせていく。輝く光は少しずつだが、確実に重なって行った。
「二杖流――ツインファイアー……なぐァッ!!!!」
リズの腹を鈍痛が襲った。思わず魔力の制御が乱れてしまい、魔紋が暴走を起こした。観衆の視界を白く染め上げるような激しい爆発がその場で巻き起こり、リズの身体は爆風によって試合場の中央付近まで飛ばされてしまう。弧を描きながらボロ雑巾よろしく地面にたたきつけられた彼女は、意識こそ失わなかったが相当なダメージを負ってしまった。
「あんた、いま反対側を見てたじゃない……!」
リズは苦痛に顔をゆがめながらも、そう尋ねずにはいられなかった。今のはどう考えても、ウィクの放ったウィングシュートだ。しかし、ウィングシュートという魔法は魔紋の正面、つまり術者の正面にしか打つことができない。そのことをリズは長年の経験からよく知っていた。さきほどリズに対して背中を向けていたウィクが、ウィングシュートをリズに当てることなど出来るはずがないのだ。
それを聞いたウィクは不敵な笑みを浮かべた。彼は脳震盪でも起こしかけているのかふらつく頭を押さえながら、リズの方を振り返ってしてやったりという顔をする。
「さっき、風の軌道を少し曲げられるっていっただろ?」
「360度は少しって言わないわよ」
「馬鹿、180度だ」
「そんなこと、今はどうだって……」
軽口をたたきながらも、リズはゆっくりと倒れていた体を起こした。ウィングシュートで受けたダメージ自体は大したことないものの、その後の魔紋の暴走で受けたダメージが深刻だ。彼女の胸のあたりを溶けた銅でも飲んだかのような痛みが襲っている。どうやら、肋骨が何本か折れてしまっているようだ。
――この一撃にかけるしかない!
視界がぼやけ、意識がもうろうとする中でリズはウィクに狙いを定めた。幸い、ウィクの方も頭への衝撃が相当こたえているのかすぐに動き出す気配はない。リズがウィクを倒せるチャンスは今しかない、今この時を逃したら彼に勝つ方法はない!
杖を交差させ、二杖流の構えをとるリズ。実は、二杖流の成功率はまだ100%ではない。せいぜい9割と言ったところだ。もしここで失敗してしまえば、彼女は敗北確実どころか命の危険があるのだが――やるしかなかった。一撃でウィクを仕留められる魔法は二杖流のファイアーボールしかないのだ。
勝つか負けるか。死ぬか生きるか。リズの思いを背負って魔紋が輝き始める。手のひらをすっぽり覆えるほどの大きさに成長したそれを、リズは万感の思いを込めて重ね合わせていった。すると、その光の向こうでウィクが杖を握りしめる。
――魔法を撃つ気だ!
それがなんの魔法かまではリズにはわからない。しかし、今の状態ではどんな魔法であれ致命傷だ。リズの心の中を焦りが満たしていき、それが彼女の杖先から放たれる魔力をも振るわせる。にわかに魔紋がぶれ、ブウンと鈍い音が響いた。魔紋が暴走し始めると響く、独特の振動音だ。リズは慌てて心を落ち着かせると、再び慎重に魔紋を重ね合わせていく。
「二杖流――ファイアーボールⅡ!!」
「ストームシュート!!」
放たれた黄金の炎と嵐の球。轟音をとどろかせながら直進したそれらは試合場のちょうど中央のあたりでぶつかり、壮絶な爆発を生み出す。たちまち陽光のごとき白光と、膨大な熱気が会場を満たした。観客たちは一斉に声を上げ、熱気から逃れるべく体を反らす。
「リズッ……!」
逃げの姿勢を見せる観客たちの中で、ルルカだけは試合場の方へと身を乗り出した。彼女は用意されていた椅子を飛び出すと、前に居た塾生たちを押しのけながら試合場を覗き込む。この場に居た者の中で、彼女ただ一人がリズの正確な状態をつかんでいたの。もし、風に炎が負けて熱風がリズの身体を襲うようなことになればただでは済まない。良くて全治数年の重傷、悪ければ即死。彼女の背筋が死神にでも触られたかのように凍りついた。
そうして息を凝らして見守ること、数十秒。さながら永遠にも思える時間が過ぎると、ようやくルルカの視界が回復してきた。見れば、試合場が深くえぐり取られ砂埃が舞う中で、影が一つ立っている。まだ、リズかウィクかどちらの影なのかは分からない。ルルカは目を細め、その影が何者なのかをどうにか確認しようとした。すると――。
「勝ったアァーーーー!!!!!!」
誰が聞いてもリズの物と分かる雄たけびが、ルルカの耳に飛び込んできた――。
◇ ◇ ◇
翌日。倒れていたウィクも全身ズタボロの状態で立っていたリズも無事に治療され、すっかり元気を取り戻していた。そして現在、彼女たちをはじめとする気心塾の塾生たちは全員、塾の母屋にある鍛錬場へと呼び集められている。板敷きの広い部屋に、五十名以上の塾生たちが正座した状態でずらりと並んでいた。彼らは皆緊張した面持ちで、上座に座っているルルカを見ている。いよいよ、気心塾の次期塾長が正式に指名されるのだ。
「では、気心塾二代目塾長を指名する。リズ・スタノーツ、前へ!」
「はいッ!」
塾生たちの最前列に座っていたリズは、すり足でルルカの前まで移動した。そしてルルカに一礼すると、塾生たちの方へと振り返る。
「ここにいるリズ・スタノーツを私の後継者として次期塾長に指名する。何か異存のあるものはすぐに手を挙げろ!」
ルルカはリズの肩に手を置いてそういうと、塾生たちの方を一応見渡してみた。聞いては見たものの、当然、ここで手を挙げる者などいないはずだ。が、たった一人手を挙げている人物が居た。彼女の目の前、一番見やすい場所に。
「………………本気か?」
「もちろん! 私、塾は継げない――!」
最初の山場がこれで終わりました。
次回でいよいよ第一章が終わり、第二章に突入です。
ついにリズが塾から旅立ち、本格的な物語がスタートします!