第三話 負けられない理由
気心塾の後継者が、三ヶ月後の試合で決まる――。
リズとウィクの試合の話はその日のうちに村中に広まり、村はたちまちその話題で持ち切りになった。もともと村中が知り合いという辺境の村なので、噂話などはあっという間に広まってしまうのだ。こうして良い意味でも悪い意味でも村中の注目の的となったリズは、村を歩くたびに村人たちから声をかけられるようになっていた。
ルルカが試合をすると言ってから約一ヶ月後、リズがいつものように塾の門を出て裏山へ向かおうとすると、門の前の通りに村人たちが集まっていた。最近結成された自称リズの応援団である。
「リズ嬢、今日も頑張ってるな!」
「ウィクなんかに負けんじゃねーぞ! 俺はお前を応援してるからよ!」
「もちろん! ウィクなんかぶっとばしてやるんだから!」
リズがそう言って村人たちに向かって手を振っていると、今度はウィクが出てきた。するとリズの応援団が居たのとは反対の方向から、彼に向ってわらわらと人々が集まる。やや年配の男性が多いリズの陣営に対して、あちらは若い女が主流のようだった。きゃあきゃあと騒ぐ黄色い歓声がリズ達の方まで聞こえてくる。その様子を見たリズの応援団の男たちは、顔を真っ赤にして声を張り上げた。
「絶対負けるなリズ嬢! あんなのに負けたら俺が許さねーぞ!」
「そうだ、男の敵をぶっ飛ばせ!」
「リズファイト! リズファイト!」
「ありがとう! それじゃ!」
本能的に危険な気配がしたので、リズは村人たちを振り切り素早くその場を立ち去った。彼女は山道を一気に駆け上がると、いつもの広場へと到着する。そして、あの日修行の第二段階として新たに与えられた課題をこなすべく杖を二本構えた。
「小さく……小さく……」
リズは二本の杖を交差させると、念じるようにつぶやきはじめた。あの日、穴のあいた葉を見たルルカが彼女に与えた課題は超小威力での二杖流の実践。つまり、魔法の威力を限界まで押さえた状態で二つの魔法を融合させようというのだ。
しかし、口で言うのは簡単なのだが実際はそんなに優しいことではない。例えるならば右手と左手で同時に箸を使い、豆を挟んで皿に入れていく作業をこなすというようなものだ。しかも魔紋の制御に失敗すれば、超小威力といえどただでは済まない。プレッシャーの中で左右の魔紋を完璧に把握し、さらにそれを制御するという高等技術が必要なのだ。
コインほどの大きさの魔紋をゆっくりと慎重に重ね合わせていくリズ。やがて魔紋は重なり、一段と強い光を放つようになった。リズはそこで魔紋の調整を完了すると、仕上げに魔力を込める。
「二杖流――ファイアーボールⅡ……うわッ!!」
魔紋の重なる位置が、ほんのわずかだがずれていたようだ。数字で表すとほんの2mmほどのわずかなずれ。しかしそれが魔紋の暴走を引き起こし、結果として球として放たれるはずだった炎の爆発を招いた。リズの身体に凄まじい衝撃が襲いかかる。さながら直下型地震にでも見舞われたようになった彼女の身体は地面を離れ、宙を2mほども飛んだ。直後、弧を描きながら地面にたたきつけられた彼女は、低いうめき声を漏らす。
「くッ……まだまだね」
リズはぶつけた手足をさすりながら、ゆっくりと立ち上がった。改めて膝や肘を見ると、すっかりあざだらけになってしまっている。この修行を始めてからひと月になるが、一度たりともまともに魔法を融合させることはできていなかった。毎回吹き飛ばされるので連続してやっているわけではないが、それでもすでに数百回は行っているのに、だ。
ウィクとの試合まであと二カ月。時間はとてもたくさんあるとは言い難かった。魔法の発動すらできていない状態から、戦闘中に自由自在に使えるレベルまで持っていかなくてはならないのだ。しかも相手は千回戦ってまだ一度も勝てていないウィク。今のままではとても勝てる見込みはない。
「もっと頑張らなきゃ……」
もう一度気合を入れると、リズは再び二杖流に挑戦し始めた。そうして魔法の鍛錬を続けること数時間、今日もまたリズはボロボロになりながらも無事に一日を終えた――。
◇ ◇ ◇
それからさらに一か月。修業の成果は着実に上がってきていて、魔法の融合の成功率は五割近くにまでなっていた。しかし、まだまだ全然足りない。ウィクとの試合は一ヶ月後にまで迫っているのだ。ゆえにリズは毎日夕食を食べた後に塾をこっそりと抜け出し、夜も修行をするようにした。そうして日付が変わる頃まで魔法の練習をして塾に帰り、また朝日が昇るぐらいの時間に塾を出て魔法の練習をするのである。
しかし、さすがにそんな生活リズムには無理があるようだった。かれこれ一週間そのリズムでリズは修行を続けていたが、眼の下には紫色の隈が浮かび朝は足元がおぼつかない。さらに体重も、少しばかり減ったようであった。もともと華奢だった彼女の身体はさらに細くなり、今では折れてしまいそうなほどだ。
けれど、修行をやめるわけにもいかない。リズは今日も食事が終わって皆が床に就いたことを確認すると、こっそり塾を抜け出そうとする。すると――
「待て、どこへ行くつもりだ!」
「せ、先生!」
リズが向かおうとした廊下の先に、ルルカが立ちふさがっていた。険しい顔をした彼女は腰に手を当て、まさに仁王立ちといった状態だ。その迫力にリズは圧倒されてしまう。
「リズ、お前最近、塾を抜け出して夜も修行をしているだろう? そんなことしてたら体を壊すぞ、さっさと戻って寝るんだ」
「い、嫌よ! 今修行しなきゃウィクに負けちゃう!」
「リズ、お前はそんなにウィクに勝ってこの塾を継ぎたいのか? お前はそういうことにはあまり興味を持たない人間だと思っていたが」
「そうじゃない! そんなことはどうだっていいんだ!!!!」
夜の闇を突き破り、塾中に轟くような大声だった。そのあまりの音量と内容に、ルルカは一瞬、言葉を失ってしまう。彼女は目じりが裂けんばかりに開いた瞳で、リズの顔を見据えた。
「お前……」
「私、夢のためなら死ねるって言ったでしょ。あれ、嘘じゃないんだ。それに先生……もうそんなに長くは生きられないんでしょう?」
――意外と鋭いんだな、この子は。ルルカは大きく息を吸い込むと深くため息を漏らした。本当は寿命が来るまで黙っていようと思っていたのだが、こうなってしまっては仕方がない。彼女は覚悟を腹にすえた。
「そうだ。私の身体は末期の魔腐症にかかっている。寿命は持って三か月。短ければあとひと月ほどでアウトだ」
「やっぱり……嫌な気配がしたもの。先生が倒れちゃったあの日、背筋が何だかぞわぞわっとして物凄く気持ち悪かった」
そういったリズの声は恐怖のせいからか激しく震えていた。わかっていたとは言っても、実際に本人の口から耳にするのはやはり衝撃的なのだ。彼女の顔はすでに色を失い、唇は紫を帯びている。本当はこんなこと、聞きたくなかったに違いない。耳を塞いで居たかったに違いない。
「意外とわかるものなんだな、黙っていても」
「勘だけは鋭いの。先生、危ないんだなって何となくわかった。だから私、ウィクに勝たなきゃいけない。ウィクに勝って、先生の二杖流をちゃんと継承したって証しを最後に示したいの! そうじゃなきゃ……先生が安心して天国に行けないじゃない!」
リズの瞳には、クリスタルのような涙がなみなみと湛えられていた。月明かりに照らされて輝くそれを、ルルカは黙ってふきとってやる。そして大きく手を広げると、リズの小さな頭を自らの胸に抱きとめた。
「リズ、心配かけたようだな。でも、私は別にそんなこと思ってないさ。リズやほかのみんなが幸せなら、私はそれでいいんだ」
リズは暫くの間、黙ってルルカの胸の中で泣いていた。大粒の涙が拭いても拭いても、とめどなく溢れてくる。だがやがて彼女はルルカの胸から顔を起こすと、ゆっくり彼女から離れていった。
「先生、私行ってくる。ここで甘えたら、私自身が負けちゃいけないものに負けたような気がするから。だいたい、これぐらいでへこたれてちゃ賢者になんてなれないしね!」
「お、おい!」
「平気平気、馬鹿は病気にならないって言うでしょ? 少しぐらい無茶したって、私は大丈夫よ!」
リズはそういうと、ルルカの制止を振り切って走って行ってしまった。ルルカはその場に取り残され、呆然と立ち尽くす。するとそんな彼女のもとに、いつの間に起きたのかウィクが近づいてきた。ルルカはしょげたような顔をする彼を見ると、優しげに微笑む。
「先生、今の話……」
「言うな。お前は全力で戦ってリズを倒すことだけを考えろ。それだけを考えていればいい」
「で、でも……」
「同じことを二度言わせるな。お前は、全力でリズとぶつかれ。そうしないと、リズが後悔する」
「わかりました……」
ウィクは何か言いたげな様子であったが、そのまま布団へと戻って行った。ルルカはそれに満足げにうなずくと、自身もまた部屋へと戻る。その時の彼女の顔は、何とも晴れやかなものであった――。
◇ ◇ ◇
それからさらに一か月が過ぎた。いよいよ、リズとウィクの試合の日である。その日、塾内には塾生だけでなく近隣の村人も招かれ、特設された試合場の周りを取り囲んでいた。その中にはこの日のために手製の応援グッズまで作成していた者たちまでいて、会場の裏庭は異様な熱気に包まれている。
石を敷き詰めた試合場の上に、メガホンを持った塾生が一人登った。彼は会場がしっかり盛り上がっていることを確認すると、メガホンを口に叫ぶ。
「それではいよいよ、試合開始です! 両選手、試合場に入場してください――」
2月26日、サブタイトルを改変しました。