第一話 千戦千敗のリズ
少年漫画のような王道の冒険ファンタジーを目指して更新していきます。
更新速度はややゆっくりになるかもですが、ぜひお付き合いください。
世界の真理が全て記されているとされる伝説の魔導書、賢者の手帳。
古の王国とともに空の彼方へ消えたというそれは、錆びた伝説にしか過ぎないと思われていた。
しかし三十年前、小さな島に墜ちた一冊の本によって世界は変わる。
本に記されていた物は――今まで知られていなかった古代の魔法。
その神秘の力はこれまでの世界を打ち崩し、人々を空へと駆り立てた。
未知なる魔法を求めて旅する魔導師たちの時代は、こうして始まったのである――。
◇ ◇ ◇
神秘と魔法の空中列島、スカイピークの遥か西に位置するソフィナ大陸。その中央よりやや北側に位置する小さな王国、ザックス王国のそのまた辺境の地に一つの魔法塾があった。
その名を気心塾。
空帰りの魔導師ルルカが開いた、近隣の村々では比較的名の通った大きな塾である。設立されてから十年とまだ歴史は浅いが、住民が数千単位の地域で五十名以上の門下生を抱えるこの塾の規模は際立っていた。気心塾と大看板を掲げた東方風の広大な屋敷は、今や村の名物の一つですらある。
そんな塾にはいま二人、有名な塾生が居た。一人はウィクという少年で、品行方正な優等生。次期塾長候補の筆頭として、他の塾生や村の人々たちから尊敬されていた。そしてもう一人がリズ・スタノーツ。自称ウィクのライバルで、毎日彼に戦いを挑んでは負けているという変わり者の少女である――。
「ファイアーボール!!」
母屋の裏に広がる訓練場。黄金色に輝く夕日に照らされながら、今日もまたリズとウィクは戦いを繰り広げていた。ギャラリーたちに取り囲まれながら、二人は五mほどの距離で向かい合い、たがいに魔法を繰り出している。
リズの持つ杖が光を帯びた。彼女はすかさず杖を眼前に構える。するとたちまち杖の光が強くなり、杖の先端に広がる光の波紋から紅炎が飛び出してきた。炎は轟と音を立てながらウィクの方へと飛び、彼の細い体を穿たんと紅い軌跡を描く。
「ウィングロッド!」
吹き抜ける涼風。ウィクの杖がにわかに風を纏った。彼はそれを水車よろしく回すと、たちまち向かってきた炎をはじき返す。逸れた炎は茜色の空へと飛んでいき、すぐに消えた。
こうしてウィクが炎をはじいているうちに、リズは彼との距離を詰めた。先ほどまで赤く輝いていた杖が今度は銀色の輝きを帯びる。リズは体をひねり、弓を引き絞るがごとく右手を思いっきり後ろへと引いた。
「せやアッ!!」
「んッ!!」
キーンと響いた金属音。リズの杖はウィクの杖によって阻まれた。彼女は素早く杖を引いて今度はウィクの横っ腹を狙うものの、体をひねってかわされてしまう。
「ウィングシュート!」
放たれた風の衝撃。不可視の弾丸は無防備となっていたリズの腹を穿って、その体を芯から揺さぶる。全身を襲った衝撃にリズはとっさに力を込めて踏ん張ろうとするが、とても堪え切れない。彼女はそのまま吹き飛ばされ、天を仰ぐようにして背中から地面へと倒れてしまった。
ウィクはすかさずリズの脇へと近づくと、彼女の首筋に杖をつきつけた。勝負ありだ。
「そこまで! 勝者、ウィク!」
審判役の塾生が宣言すると、すぐにウィクはリズのそばから離れた。リズは体中についた砂を落としながら、ゆっくりと立ち上がる。
「まだまだ弱いなあ」
「明日こそ、明日こそは勝つんだから!」
「そう言って何回負け続けてるんだ?」
「むう……」
すでにこれまで何回戦ったのかすら、リズは覚えていなかった。ゆえに彼女はウィクの質問にただ黙りこむことしかできない。しかしここで、ギャラリーの一人が指を折りながらつぶやいた。
「確か、今回で千回目じゃなかったか?」
「そういやそれぐらいだな。リズが来てから三年ぐらいになるし」
「千回か……よくやるなあ」
呆れたような、それでいて感心したような。何とも言えない視線を投げかけるギャラリーたち。リズは鋭いまなざしで彼らを一瞥すると、落としてしまっていた自身の杖を回収した。そして彼女はそのまま、ギャラリーたちに背を向けて裏山の方へと歩いていく。
日は山の端に沈み、あたりはすっかり薄暗闇に包まれていた。母屋の座敷にはすでに明かりがついていて、そこから何とも言えぬ良い香りが漂っている。たちまち腹の虫が暴れ出した塾生たちは、立ち去っていくリズの方を見て声を上げる。
「もうすぐ飯の時間だぞ! 食べないのか?」
「リズ、飯だぞ飯!」
「いい、後にする」
リズはそっけない返事だけ残すと、止まることなく歩いて行ってしまった。いつもなら「ご飯だよ」と声をかければいついかなる状況でも食事に向かって一直線に全力疾走するリズが、である。千回目の敗北はよほど彼女の心に堪えたらしい。
「こりゃ、よっぽどだな」
「ほんとに帰ってこないかもしれねえ」
「でも、あのリズが飯食わないなんてありえるのか?」
「いいんじゃないか、腹減るのは本人なんだし。それにリズがいなければたくさん食べられるしな」
塾生たちはその通りだと一斉に笑い声をあげた。彼らは口々に「明日は槍が降るぞ」だの「雪が百m積もるぞ」だの、好き好き勝手なことを言い始める。陽気で軽快な声が、日が沈み静かになった屋敷の中を響き渡った。するとここで、うるさい声に閉口したのか塾長のルルカが障子を開けて出てきた。彼女は騒いでいる塾生たちを睨むと、手にしていた杖で思いっきり床を突く。
「お前たち、騒いでいる暇があったらさっさと食堂に来い! 飯抜くぞ!」
「は、はい!!」
ルルカに一喝された塾生たちは、青い顔をすると慌てて食堂の方へと走った。そうして彼らが全員食堂の中へと駆け込んだことを確認すると、ルルカも満足げな顔をして食堂へと入った。
◇ ◇ ◇
「せいッ! はあッ!」
青白い星明かりに照らされる深い森。木々の葉は青く染まり、シンと張り詰めた独特の雰囲気に満ちている。その森の中にある小さな広場で、リズは大岩を相手に次々と魔法を繰り出していた。聳える山のごとく巨大な岩の表面に魔法特有の紅炎が次々と上がり、連続する花火のような轟音が森の静けさを揺さぶっている。
リズが魔法を撃ち始めてからすでに一時間ほどが経過しただろうか。彼女はかなり魔力の多い魔導師であったが、普通ならとっくの昔に疲れてぐったりしている頃だ。しかし今日は気が立っているためか、限界近くになってもなお魔法を撃ち続けている。
それからさらに数分が経過した。さすがのリズも限界に達したのか、一回一回絞り出すように魔法を使っている。杖から出ていく炎の球も先ほどまでに比べて一回り以上小さく、爆音もクラッカーのような軽い音になっていた。
「はァ、はァ……とりゃァ!!」
最後の一回、とばかりに残っていた魔力を絞り出すとリズはその場に倒れ込んだ。彼女は杖を頭の上に置くと、仰向けになって空を眺める。深い紺色の空には満点の星々が浮かび、遥か西方にはスカイピークを構成する島々も見えた。
「う、寒い……お腹すいた……」
吹き抜ける夜風は冷たく、地面も冷え切っていた。季節は冬、このあたりはそれほど寒冷な気候をしているわけではないが、それでも十分寒い。日が沈めば池に氷が張る程度には冷えるのだ。先ほどまでのリズがあまり寒さを感じていなかったのは、ただ単に心が熱くなってしまっていたからにすぎない。
寒さと空腹をこらえかねたリズは、すぐに山を降りるべく杖に寄り掛かるようにして立ちあがった。だがここで、森の奥から嫌な咆哮が聞こえてくる。グオオォンとさながら地鳴りのような、野太い声だ。
「まずい、シルバーベアだ……」
シルバーベアというのは文字通り銀色の毛並みを特徴とする熊だ。冬場にも活発に活動することができる熊で、このあたりに住んでいる中では最強を誇る魔獣である。普段のリズなら十分倒せる相手だが、今の状態で出会えばまず命はない。
重い足を絡めるようにしながらも、リズは走りだした。厚く降り積もった落ち葉の上を、バランスを崩さぬように山の下へ下へと進んでいく。けれど、彼女の思った以上に足が動かない。さながら鉛の靴でも履いているようだった。
――あッ!
転がっていた木の枝をまたごうとした瞬間、上がりきらなかった足が躓いてしまった。リズの身体はゆっくりとバランスを崩し、倒れていってしまう。
ボフッ――鈍い音が森に響いた。直後、それに呼応するようにリズの後方からシルバーベアの咆哮が上がる。先ほどまでリズの場所に気付いていなかった熊であったが、今の音で彼女の居場所をとらえたようだ。
とっさに立ちあがれないリズの方に、銀色の巨体が急速に接近してくる。四足で森の中を疾走する熊は、馬にも匹敵するほどのスピードだった。瞬く間にリズのすぐそばについた熊は、前足を持ち上げるとその刃の様な爪を高々と掲げる。
「ファイアーボール! ファイアーボール! えいッ! えいッ!!」
懸命に杖を振るうリズであったが、魔力を使いきっていたため炎は出なかった。ボン、ボンと気の抜けたような音がするだけだ。そうしている間にも熊は、その緋色の瞳でリズの首元に狙いを定める。
「くゥ……!!」
リズの口から思わずうなり声が漏れた。彼女の心はまだまだ折れていないが、いかんせん身体が動かない。このままでは熊の餌になるしかなさそうだった。
――まだ、あいつすら倒してないのに!
リズの心の中を、ウィクのすました顔が埋め尽くしていく。まだ生きなければいけない。生きてウィクを倒さなければいけない。そして、ウィクを倒したら――夢の続きをするんだ!
リズは杖を強く握りしめると、気合いでどうにか体を持ち上げた。熊もまた、そんな彼女の動きに呼応するかのように爪を振り上げる。すると次の瞬間、どこからか足音が響いてきた。
「アイアンランス!」
突如として、リズの前の地面がさながら剣山のごとくせり上がった。鋼鉄の槍と化した大地はいともたやすく銀色の毛皮を貫き、紅の飛沫が辺りに散らばる。たちまち、天を揺さぶるかのごとき断末魔が響いた。喉から文字通り血が出るほどの雄たけびを上げたシルバーベアは、そのまま力なくうなだれる。それっきり、この白銀の怪物はピクリとも動かなくなった。
「大丈夫だったか?」
「先生!」
星灯りのもとにたなびく紫の髪と闇色のローブ。リズに駆け寄ってきたのは、気心塾塾長のルルカその人であった。リズは紅い瞳にうっすらと涙を浮かべながら彼女に駆け寄ると、その胸に顔をうずめる。リズの細い顔は、たちまちルルカの胸に埋もれた。
「飯を食べにこないから何してるのかと思えば……まったく、さっさと帰るぞ」
「……ごめんなさい」
「罰として、今日は夕飯抜きだ。どうせもう残ってないしな」
ルルカがそう告げると、まるでそれにタイミングを合わせるかのようにリズの腹の虫が鳴いた。女の子らしからぬ、なんとも豪快な音が暗い森に響く。ルルカはこめかみに手を当てると、やれやれとばかりに大きなため息を漏らした。
「仕方ない、ラーメンでも食べに行くか」
「やった、先生ありがとう!」
「今回だけだぞ、今回だけ! 今度食事の時間に居なかったら飯抜きだからな!」
「はーいッ!」
リズはそう元気よく返事をすると、好物のラーメンの力か、先ほどまでの疲れはどこへやら勢いよく山道を降りて行ったのであった――。
◇ ◇ ◇
気心塾の存在するナナクサ村。その集落のちょうど中心のあたりにひなびた雰囲気のラーメン屋があった。屋台をそのまま店舗に改装したような店で、決して立派なところではない。が、人の出入りは多くかなり繁盛しているようだった。店の中からは豚骨の良い香りとほのかな酒の匂いが漂ってきている。
「事情はだいたいわかった。ようはウィクにちっとも勝てないのが原因ってわけか」
「そうよ、勝てないのよ!」
ラーメンをすするのを中断し、箸を置いたリズは語気を強めてそういった。それを聞いたルルカはうんうんとうなずく。
「私が言うのもなんだが、あいつは天才だからなあ……勝つのは厳しいかもしれないぞ。そもそも、どうしてそんなに勝ちたいんだ?」
「あいつを倒さないことには私の夢は始まらないのよ!」
「夢?」
「忘れたの先生? 私の夢は、賢者の手帳を手に入れて賢者になることじゃない! そのためには、ウィクを倒すことから始めなきゃ!」
ルルカはぽんと手を打つと、そういえばそうだったと思いだした。彼女の頭の中で三年前、塾破りだと叫びながら気心塾の門を開いたリズの姿が鮮明に描き出される。あの時からすでにリズは賢者、つまり世界一の魔導師になると言い続けていたではないか。その後ウィクに負け続け、塾生の皆に無理だと言われるようになってからもずっと叫び続けていたではないか。
――なんて精神力!
ルルカの心が驚きで溢れた。リズが初めてウィクに負けてから三年間、彼女は文字通り彼に負けっぱなしだった。毎日毎日ボロボロになるまで戦って、それでもまだ一回も勝ったことがないのだ。それなのにリズはウィクに勝つことをあきらめるどころか、そのはるか先にあるであろう賢者になるという目標すらあきらめていなかった。あきらめが悪いなどというより、もはや固く誓った信念と同等の領域だ。とても常人のできることではない。
ルルカはいつになく真面目な顔をすると、改めてリズの瞳を見た。深紅の瞳は中で炎でも燃えているかのように、力強い輝きに満ちている。ルルカはそれを確認すると、ゆっくりと彼女に問いかける。
「……なあリズ、お前は夢のためにならどんな危険なことでもやれるか?」
「いきなり何、先生?」
「だから、夢のためなら危険なこともやれるかと聞いてるんだ」
「そりゃもちろん――やれるに決まってるわ。私、夢のためなら死んだっていい。自分の命ぐらいかけなきゃ、賢者になんてなれやしないもの!」
そう言って笑ったリズの瞳には、一点の曇りもなかった。冗談などではなく、心の底から命をかけれると言っているようだ。ルルカは何の迷いもなくそういってのけたリズに信じられないような思いを抱きつつも、しっかりとうなずく。
「わかった、それなら教えられる。私が封印した二杖流の技を――」
2月26日、サブタイトルを変更しました