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じゃあこの格好だと目立つからまずは地味な服を…地味な服ってこの城にあるの?とりあえずさっき着替えた部屋に戻ってみよう。かつかつ音が鳴る靴を最低限鳴らさないように忍び足でその部屋に戻ると。
「…何してんだ」
誰にも見つからずに部屋に着いたと思ったら、ドアを開けると中にはメイド三人娘が何やら働いていた。ドアを開けた音に気付いたのか、私の姿を見て特に動じる様子もなく三人揃って溜息をついたのは何故だろう。
「マナ王子、今は執務のお時間では?」
「何してるも何もこの時間私たちは王子のお召し物の整理や見立てをしているではありませんか」
「まあ、もしかして王子…また執務室からお逃げになったのですか?」
…また?何でこのメイド三人娘はマナがいつも逃げ出しているのを知っているのかな。そう首を傾げた時、サラが何やら寝室に続く直通のドアとは反対の直通ドアに消えて行く。少しして出てきたサラの手には地味な服に、フード付きの足元まで覆い隠せるほどのマントらしきものを持っていて。どうしたらいいのか分からない私がその場に立ち尽くしているとそれらを私の前に持ってきて強引に押し付けてくる。
「お早くお帰りくださいね。何度も申し上げておりますが王子という立場を疎ましがる民も中にはいますので」
「マナ王子に何かあるとライアン様は心配のあまりその何かをした相手を刺しかねませんので」
「いつもの通り私たちは何も見なかったということでライアン様には報告しておきますので」
もしかして、マナって逃げ出した後いつもここで地味な服に着替えて城から出て行ってるってことかな。忠告をしながらもくすくすと楽しそうに笑う三人娘を見て何だか私も少しだけ嬉しかった。王子という立場上きっと勝手な真似を許してくれる人なんてほとんどいないだろうから、このメイド達の存在は貴重とも言える。
「いつもありがとな。助かるよ」
サラから地味な服一式を受け取って私は笑顔でお礼を言って直通のドアで寝室へと向かった。
さて、黒のTシャツに茶色の長ズボン、その上に手首まで覆うマントのフードを被って一応念の為に寝室にあった黒猫の仮面を顔に当てていざ抜け穴へ。マナの記憶の中には人通りの少ない通路があったから足音を立てないようにその道を通って薔薇庭園の奥へと進むと、記憶の通り人工薔薇の垣根があった。手を伸ばしてそれを手前に動かすと、大人一人くらいが通れるくらいの抜け穴が。そこを通ってあとは人工薔薇の垣根を手前に引いて元に戻して抜け出し完了。足早に城から離れて、ふっと城を見上げると確かに大きく立派な城で一国の王族が住む家として相応しい…と思う。城とかあんまり興味ないし他の城を見たことないから何とも言えないけど。
「さて、まずはどこに行こう」
マナの寝室にはお小遣いらしきお金があったから携帯と一緒に持ってきたけどどこに行けばいいのか分からない。知識として記憶の中にこの国の地理は頭の中にあるけど…。一番近くの街へと歩いて向かっていると朝から何も食べていないお腹が小さく空腹を訴えてきた。そうだ、まずは腹ごしらえをしてそれから考えよう。
街の入口に着いた私がまず驚いたのは、この街の活気。どこかの繁華街のようなその活気は街中に溢れていた。露店が並び、店の人の掛け声や客の人の値切りの声が響く。そこかしこに店が並び、客の出入りがひっきりなし。人口が多いってこともそうなんだけど王政でここまで活気のあることにまず驚いた。
とにかく当初の予定通りまずは腹ごしらえ。お上りさんみたくキョロキョロと辺りを見回しながら街中を歩いていると色んな店の看板を見つけるんだけど、それがどんな料理の店なのか全く分からない。安易に店を選んで変な味だと嫌だし…本当は色々と教えてくれるような人がいるといいんだけど、一応王子だしバレて大騒ぎになるのだけは避けたい。きっとライアンのお説教もあると思うし…。あれ、何か想像しただけで目から汗が零れそうだよ。
「お、そこのお面の兄ちゃん。どうだい、新鮮取れたての果物だよ」
「果物?」
「ああ、こいつはレフって言ってな、甘くて美味いぞ。食ってみるか?」
声をかけてくれた露店のおじさんが私のくれたのは細長い楕円の果物。赤いその果物は私が片手で握って親指を中指がくっつくくらいの長さだ。ニコニコと笑うおじさんを一度見て、それに噛り付いてみる。果物らしくそれは甘く果汁を私の口の中で零しながら歯ごたえ良く口の中を満たす。
というかこれって…。
「林檎みたいだな」
「リンゴ?もしかしてお前さんそれ食ったことあるのか?」
「似たようなものをね。ちょうどお腹空いてたんだ、それ買うよ」
「まいど。いくつだい」
「そうだな…5つ頼む」
「5つ?そんなに食うのか?」
袋にレフを詰めようとしたおじさんが目を見開いて私を見た。
「お土産に持って帰りたいんだ」
黙認してくれてるメイド三姉妹と、いつも苦労をかけてるだろうライアンと私の分。あの三姉妹は甘いの好きそうだし喜んでくれると思う。そう考えただけで少しだけ頬が緩んだ。
「へえ、お前さん余所者だな?」
「まあ、そうだな」
「じゃあこの街来てびっくりしたんじゃないのか?」
「ああ、いつもこんな感じなのか?」
「まあいつもこんな感じだな。この街の人間はしたたかで逞しいぞ」
そう言うおじさんの口角が上がり、私は仮面の中で苦笑いした。確かにさっきから値切りの声が止まないことから確かにしたたかで逞しそうだ。
「ほらよ。さっき食ったのはおまけしてやるから全部で750リニだ」
リニ?ああ、お金の単位か。ということは一つ150リニで、林檎一つ150円みたいな感じかな。ふむ、と顎に人差し指と親指を当て私はまだおじさんから袋を受け取らずに考えた。今こうしていても聞こえてくる値切りの声、ということはここは余所者らしく真似してみよう。
仮面の中で密かに口角を上げて私はおじさんに提案してみる。
「なあ、オレは余所者だしこの街のしたたかな人達に習ってみようかと思うんだ」
「そりゃあいい心がけだな。そういう奴は街に歓迎される」
「良かった、じゃあそれ500リニでどうだ?」
弾む私の声とは対照的に固まるおじさんの顔。怒らせたかな?と内心冷や汗をかいていると数秒固まっていたおじさんは顔を一瞬だけ俯け、すぐに顔を上げて爆笑した。
「はっはっは!こりゃまた威勢のいい兄ちゃんだ!だがこの街はそこまで甘くないぜ?」
「じゃあしっかり勉強させてもらおう」
「熱心な兄ちゃんは嫌いじゃないぜ。そうだな、さっきの食った分入れての値段でどうだ」
「なら、600」
「遠慮ないな…じゃあ730でどうだ!」
「まだだな。620」
「くっ…なら700!」
「もう一声。650」
「――もってけドロボー!」
私の容赦ない値切りにとうとうおじさんが頭垂れて袋を私に突き出したから、おじさんから袋を受け取りながら私は思わずガッツポーズで勝利に酔いしれた。
「しっかし兄ちゃん本当にここ来たの初めてか?」
「初めてだ。ただ値切りはやったことあるけど」
彼と住んでた時に買い物でよく行く露店でね。
財布を取り出しながらそう言うと、おじさんは口を開けて楽しそうに笑った。
「なんだどうりで遠慮も容赦もないと思ったよ」
「勉強になったよ。ありがとう」
「おう、兄ちゃんのこと気に入ったからまた来てくれよ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
笑顔でおじさんにお礼を言って、手を振るおじさんに手を振りかえしてその場を後にする。100円、じゃなかった、リニの得か…まあまあかな。こんなことしてると昔彼と一緒に魚屋で値切ったことを思いだす。
あれは一緒に住み始めて半年くらいだったかな、夏休みで仕事が休みだった彼と一緒に夕飯の買いだしをしてたんだよね。彼が「俺が持つからどうせなら市場行こうぜ」とか言って電車乗って市場に行ったんだけど…。
「おじさん、これとこれとこれで1500円!」
「ほう、この俺に値切り交渉か。いいだろう…しかしそれならこれを付けて2000円でどうだ」
「わあ美味しそうなホッケ!じゃあそれ付けて1700円!」
「おい…まだ値切るのか…」
「何言ってるの!値切ってこそ主婦!」
「いいこと言うな嬢ちゃん。じゃあまけにまけて1850円でどうだ」
「おじさんもう一声!1780円!」
「しょうがねぇな。新婚さんってことでそれでいいぞ」
折れたおじさんにガッツポーズして喜びたかったけどおじさんの思わぬ発言に私はガッツポーズしたまま首を傾げた。新婚?誰と誰が?
「やっ、た?え?」
「しっかし兄ちゃんもいい奥さん嫁にもらったな」
「ええ、家計を支えてくれる大事な女です」
笑顔でそう返す彼と豪快に笑うおじさんの言葉についていけない。えっと?彼の奥さん?嫁って…もしかして、私?!そう分かった瞬間顔から火が出るくらい赤くなったのを理解した。
「買うものは買ったか?」
「え、あ、うん」
おじさんから買ったものを受け取りながら、頷く私に寄り添って帰り道を歩く。新婚…奥さん…そ、そう見えたってことだよね?嬉しいような気恥ずかしいような。落ち着かない気持ちで彼の隣を歩いていると、くすくす笑う彼の声が聞こえてきて。
「な、何で笑ってるのっ」
「いや、だってさっきからお前落ち着かないみたいだし」
「う…だって」
「いいだろ、新婚さんで」
「ま、まだ結婚してないのに?」
「そうだな、まだしてないな」
あ…。今、まだって強調した。
その事実にまた顔が赤くなる。
「ったく、何だその可愛い反応」
「う、うるさい!可愛くない!」
「はいはい。もう少しだけ待ってな?お前が俺だけの専業主婦になっても不自由なく養えるくらい頑張るからさ」
優しい瞳で、優しい声でそう紡ぐ彼に私は気恥ずかしさよりも喜びが心を満たした。二人して結婚という夫婦生活を望んで、幸せな未来を描いてる。それが嬉しくて、両手に荷物を持つ彼の腕に少しだけ自分の腕を絡ませて寄り添った。きっと、彼は私を幸せにしてくれる。そしてそんな彼の為に私も出来ることをしてあげたい…。
そう、考えていたのに。
現実はそうは甘くなかったな…今、隣に彼はいない。知らない国で、世界で、知らない言葉や人達の中で過ごすことに不安がないわけじゃない。いくらマナの記憶があるっていっても役に立つようなものはあんまりないし…というか勉強くらいして欲しかったかな。
今と彼との落差に、大きく溜息が出た。