Ⅲ 女帝
「君は何故ここに呼び出されたか理解しているかね?」
進路指導教諭の実に偉そうな詰問に、淡々と私は答えを返す。
「まったくわかりませんがどうしてでしょうか?」
そこそこ長い説教を要約するならば、私のタロットの事がばれたという事だ。
この学校はアルバイト禁止ではないが、風俗関係の仕事は当然NGな訳で。
占いなんてのも風俗に括られているからこその呼び出しである。
占い師の地位は社会的に見たらそんなものなのだ。
「君はこういういかがわしい仕事をしているという自覚はあるのかね?」
上から視線の進路指導のお説教だが、その偏見については私も否定しないので確認の質問を取る。
私も占い師のはしくれ。
どう見られているかぐらいは知っているし、『武器なき預言者は滅びる』という言葉も知っているのでその武器を手放した覚えはない。
「先生。
ひとつ確認したいのですが、今回の一件について理事会に確認はとったのでしょうか?
私のこの職業についてですが、入学時において理事会の審査を受けて承認を頂いていますが」
まさか小娘から理事会という言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう進路指導は一瞬鼻白むが、かえって怒気を強めて私を叱りつける。
あ、これは理事会承認を知らないと見た。
そういえば、この先生は今年来たばかりであまり評判は良くないんだよなぁ。
「そんなものは必要ない!
大体なんだね!
ルールや規則を守らねばならぬ委員長という地位についている人間が、そのルールを守らないことに対して私は怒っているんだよ!」
「失礼ですが、ルールは順守しております。
だからこそ、入学時に理事会審査を受けて承認を頂いていると言っているではないですか。
その上でお尋ねしますが、先生がおっしゃる守るべきルールとは何か私に教えていただけないでしょうか?」
「私は、一般常識についての話をしているんだ!!」
顔を真っ赤にして怒る進路指導教諭を淡々と眺めながら私はこの茶番の落としどころを探る。
占い師は人を占う時にその人間をいやでも観察する。
表情や仕草はもちろん、文字や語意すらにも人の意識というのは溢れている。
それを見つけ出して占いと結び付けるのが占い師の仕事である。
という事は、感情というわかりやすい情報を得る事も当然得意とする訳で、一連の問答は私があえて進路指導教諭を怒らせたという訳。
感情というのは落差によってコントロールできる。
怒れば怒るほど冷水をかけて消しやすいのだ。
「なるほど。
先生のいう事は至極ごもっともです。
その上で私に何をお求めになるのかお聞かせ願えないでしょうか?」
あえて誘い水を向けると進路指導教諭は己がうさぎを嬲るライオンである事を思い出したらしく、その下劣な欲望をむき出しにする。
「気まっているだろう!
自らの行いを反省し、そのようないかがわしい仕事を辞めると言えば私も考えない事はない」
こういう時に人が出す下劣な欲望というのは二つある。
ひとつは肉体的、要するに体をというやつで、もう一つは精神的、己の持つ権力を用いて下位をいたぶるというパターン。
教師は生徒を指導するという上下関係を作ってしまう職業上、後者の欲望を持つ人間が多い。
私という叩きやすい獲物が見つかったから叩いてみたというのが本音だろう。
さてと。それを見極めた上で水をぶっかけますか。
「たしかに。
先生のおっしゃる事には一理あります。
ですが、私はこの職業によって学費および生活費をまかなっているので、その代替手段は提示していただけるので?」
進路指導教諭が鼻白んでいるのを尻目に携帯を操作して、私の銀行の講座を画面に写す。
そこに振り込まれている金額は六桁が当たり前で、合計金額は八桁後半に達していた事実は進路指導教諭の想定外だったらしい。
「な、なんだね!
この金額は!!!」
「だから、言いましたよね。
入学時に理事会の承認を受けていると。
附属小学校入学時からこのいかがわしい仕事をしていてかれこれ十年になりますが何か?」
まぁ、はったりなのだが。
師事したてでの私が客がとれる訳もなく、実際に客を取り出してせいぜい五年程度だったりする。
んじゃ、この八桁の数字はなによという事なのだが、姉弟子様の占いの手伝いのおこぼれである。
私の逆らえない人間のひとりであり、この業界の頂点に君臨して女帝の名を欲しいままにしている凄腕占い師の報酬となると百万単位がスタートとなる。
それで予約待ちまで出ているというのだから、この業界の金銭感覚はおかしい。本気で。
その手伝いで少しもらっているのだが、おかげで通帳に金が貯まる貯まる。
「で、この仕事を辞める場合はクライアントに対する説明をしなければならないのですが、先生の名前を出してよろしいので?」
はっきりと進路指導教諭の顔色が変わる。
気づいたらしい。
理事会レベルで承認を受けているものを一般常識を持って潰した場合、当然その一般常識を持ち出したやつがいるという事を。
そして、それは理事会に泥をぬるという事も。
だから、この人は最悪の選択をした。
「君では話にならん!
保護者の方を呼びなさい!!」
この人、自分の手で死刑執行書にサインしたの気づいていないんだろうなぁ。
私の電話から数十分後、外車で校門に乗り付けた派手な衣装を来た女性は、私を見るなり威厳を持って命令をくだしたのだった。
「理事長と私を呼びつけた馬鹿を呼びなさい!」
五分後、平謝りの理事長が汗をかきながら、進路指導教諭の左遷が決定された。
目の前で懲罰解雇にしなかったのは、私への風当たりを考えての事である。
「あれぐらい、自分でなんとかしなさい。
できるだけの力もあるし、与えているでしょ」
怒りの収まらない顔で歩く姉弟子様こと神奈水樹お姉様の後ろを私は極力音を立てないで歩く。
こういう時の姉弟子様は怖いので、気配も消したいぐらいだ。
世の権力者階級は、その地位にいるがゆえにこの世の理から外れる『何か』については知っており、それに備える人間を雇ってその対策に当てていた。
この国では陰陽師と呼ばれる方々がそうであり、西洋では私たち占い師などが王の顧問として政治に関与していた。
つまり、私たちの報酬を出してくれるクライアント様である。
オカルトブームなどでこの『何か』については懐疑的に見られる事も多いが、それゆえに本物は否応でも時の権力者に囲われる運命にある。
その代償として権力者の衣の下で絶大な権力を得る。
我が姉弟子様は、そんな一人だった。
我が師に見出された時に絶大な力を発揮し、師匠亡き後の一門を背負い、私の保護者を買って出ているのだから本当に頭が上がらない。
つけられた女帝のあだ名もむべなるかな。
タロットカードにもあるこの女帝はどうもキリスト教以前の豊穣の地母神の名残だという。
神の座を下ろされた豊穣の女神はそれでも人としての最高位である地位に丁寧に祀られた。
宗教と信仰の綱引きの結果としてこの女帝は微笑んでいるのだ。
だが、私は知っている。
実は女帝と女皇は同じ意味で用いられるケースもあるという事を。
また、女王という形でそれを当てはめた場合、三人の女傑がこのカートから見え隠れするという事を。
一人は誰もが知っているプトレマイオス朝エジプト王国最後の女王クレオパトラ。
帝国の概念が出来る前のローマ共和国においてその体と知恵を用いてローマにあがらった絶世の美女。
もう一人は、ローマ帝国崩壊の時代において独立を図ろうとしたパルミラ王国の女王ゼノビア。
彼女も一時はエジプトの女王を名乗っており、タロットの地母神はエジプトのイシス神という説があるぐらいだから、十分彼女も候補に上がる。
最後は東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世の皇后テオドラ。
娼婦から皇后に上り詰め、たびたび夫の助言者として国政に関与した結果、後世の歴史家には彼女に女帝の名を与え、タロットの女帝は彼女がモデルではないかと密かに私は思っていたりする。
ちなみに、この女帝テオドラの有名なエピソードを一つ。
532年の首都市民による「ニカの乱」の時、彼女は反乱にうろたえて港に船を用意して逃亡しようとするユスティニアヌスを制してこう言ったという。
「もし今陛下が命を助かることをお望みなら、陛下よ、何の困難もありません。
私達はお金を持っていますし、目の前には海があり、船もあります。
しかしながらお考え下さい。そこまでして生き延びたところで、果たして死ぬよりかは良かったといえるものなのでしょうか。
私は『帝衣は最高の死装束である』という古の言葉が正しいと思います」
この言葉に励まされた皇帝ユスティニアヌスは踏みとどまって反乱鎮圧を決意。
その後彼はローマ法大全の編成や古のローマ帝国の領土回復など『大帝』の名で呼ばれる偉大な皇帝となる。
我が姉弟子様の理想とするお方だそうな。
さもありなん。
「お姉様。
穏便に解決しようと努力はしたのです。一応」
「また無駄な努力を。
見えていたんでしょ。こうなる事を」
世間の風も考えて表では姉妹の関係で通しており、顔を出す席では私が妹という形で姉弟子様の名前を使わせてもらっている。
だから、さっきの話でいう処の権力者の皆様にとって、私の名前は相良ではなく神奈だったりする。
なお、この「神奈」という名前は一門の通り名みたいなものだが、水樹姉様は元捨て子という事もあって、この苗字を使わせてもらっているとか。
ちなみに、水樹の名をつけたのは我がお師匠様である。
この手の一門関係は血が繋がっていない事もあって、絆は普通の家族以上に強い。
反面、揉めるととことんまで行ってしまうのだが。
「見えてませんよ。
見えてたら水樹姉様を呼ぶなんて愚行避けるに決まっているじゃないですか」
「タロットが、かえっていい枷になっているのかな?
私なんで、あたりかまわず未来が見えていたからそりゃもう人間不信になったわよ」
過去の事と笑って片付ける姉弟子様。
だが、十年に一度の逸材とうたわれて我が神奈の占い師一門中興の祖とまで呼ばれる隆盛をもたらしたこの人の少女時代は、孤独以外の文字しかないぐらい真っ暗だったという。
それゆえに力が強まったのか、その力にその未来が引きずられたのか姉弟子様でもわからないらしい。
「また香水が変わりましたね。
今、何人です?」
「三人かな。
あんたも早めに男と遊んだ方がいいわよ。
いつまでも、あると思うな、金と若さってね」
「占い師たるもの、傍観者に徹しなさい。
それが未来を見て導く者の宿命よ」
我が師匠はいつもこう言っていたが、それをこの姉弟子様は曲解して、ひとりの男と付き合わないというルールにしている。
まぁ、その事を聞いた師匠が苦笑しただけで済ませたのだから本質的な所では外していないのだろう。
だから、基本独身が多いうちの一門において姉弟子様はそのプロポーションの既に三児の母だったりするが、皆父親が違うという筋金入りのシングルマザーでもある。
誰かに縛られてはいけない。
それは縛られた誰かに占いを歪められてしまうから。
人を愛してはいけない。
その人の未来が見えて、その未来に介入しない事を誓えるならば。
それをやってのけているからこそ、この人はこの位置にいるのだ。
それは並び立つ者がいない女帝の孤独。
女の幸せを捨てて得た栄光の代償。
「あんたははやく恋をするべきよ。
恋はいやでも自分を変えてゆくわ。
その時、変わった後でまだそのカードを持っていたならば、あなたは私の後継者になれる」
この姉弟子様は何を言っているのだろう。
「水樹姉様。
お子さん達に後を継がせないんですか?」
「無理無理。
そこまでの力も業を背負える覚悟もないわよ。
やっぱり、お師匠様は正しかったんだろうなぁ。
神奈は私で終わるって言っていたのよ。あの人」
それは初耳である。
背後にいる私のびっくりした顔を感じたのだろう。
屈託ない笑い声をあげながら、姉弟子様は続きを話す。
「その後、お師匠様があんたを見つけてきた時には驚いたんだから。
だから、私は決めていた。
お師匠様が終わると言った神奈の名をあんたに渡すために今の私はここにいるんだから。
まぁ、選ぶのはあんただけどね。
けど忘れないで。絵梨。
あんたには、私のあとを継ぐ未来もあるって事」
私に見せたその笑顔は女帝に相応しく、威厳と慈愛に満ちた優しい笑みだった。
テオドラのエピソードはプロコピオスの『戦史』より。