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序章


午前八時二十分ちょうど、桜冥高校三年五組の教室の一角で有賀 俊は机に突っ伏せて寝ている。というより教室内がうるさく寝られないので目を閉じて気を休めていた。

 

 

「よう、おはよう。俊。」

 

 

そんな彼をよそに乱雑にたたんだ柔道着を肩に背負い、男くさい臭いを醸し出し明るくはじけた声で俊に朝の挨拶掛ける生徒がいた。

 

 

俊は面倒臭そうに顔を上げ陰気な顔でそいつの顔を見る。

 

 

俊に挨拶をかけた生徒は俊の表情にいつものことだと言わんばかりに気にも止めず、ただただ無邪気に笑みを見せる。

 

 

彼の名は内宮 太一。柔道着から連想できるように柔道部だ。しかも試合では副将を務めている。

 

 

彼の筋力はずば抜けている。それは柔道部だからという偏見的な見方でなく柔道部の中でずば抜けているのだ。校内で彼に筋力で右に出る者はいないという。

 

 

ここまで聞くとがっちりと尚かつ巨大な身体の持ち主であろうと推測できるであろう。

 

 

だが、驚くべきことに彼の身長、体重は平均よりかなり低く小柄なのだ。

 


 

彼が試合で主将に起てないと言うのは体格的な問題で力や技術という点で全くと言っていいほど申し分ないのだ。

 

 

仮に彼の身体がひとまわりかふたまわり大きければたちまち主将に任ぜられたであろう。

 

 

「ああ、おはよう。」

 

 

相変わらず俊は素っ気なく挨拶を返しそっぽ向く。こんな態度は今日に限ってではない。いつもこんな感じなのだ。友達でなければ尚更素っ気ない態度をとる。

 

 

俊がこのようになってしまったのも家庭の環境のせいであろう。

 

 

俊の両親は早くに他界していた。俊は血の繋がりが深い親族に預けられた。

 

 

しかし俊は彼らに愛されることがなかった。愛されるどころかいつも冷たいた目で見られ、邪魔者扱いされ、折り合いがつくことはなかった。

 

 

そうゆう訳で俊は次々と血の関係が薄い名も顔も知らぬ親族へたらい回しにされていた。

 

 

今の養父母も同じだ。表では愛想良くしてくれている。だが、長年多くの養父母に裏切られている俊にはどんな気持ちで養っているか丸見えだった。

 

 

"他にこの子を引き取ってくれる所はないか"

 

 

もってあとひと月だろう。そうすればまた別の所に引っ越して別の家族の所でお世話になる。俊はそう見込んでいた。

 

 

どうせまた無駄に親しくしてもすぐにいなくなる。

俊のその考えが人と交わることを拒ませていた。

 

 

だが、なぜだか妙にこの地では関係をもってしまう人がいる。太一もその内の一人だった。

 

 

「なあ~。」太一は再び机に突っ伏そうとする俊を呼びかけた。

 

 

「ん~?」俊は動きを止めて生返事で答えて太一を見る。その時俊には彼の表情がいつもと少し違うと見てとれた。

 

 

「前々から疑問に思ってたんだけど、何でお前はそうやっていつも他の奴らを避けるんだ?」

 

 

太一は怪訝そうな表情をして尋ねる。

 

 

「え…」俊は声が詰まった。そしてなんと答えたらよいか考えた。

 

 

なぜ他人との交わりを避けるのか。それは裏切られるのが怖いからだ。つまり俊は家庭環境から得た力によってその人の心の内が見えてしまうのが怖いからだ。

どうせ裏切られるのであれば初めから関わらければいい。

 

 

だが、こんな回答を数少ない友人である太一に言える訳がない。俊は暫く口をくずんでいた。

 


 

「おはよう。」

 

 

短いようで長い。この沈黙を打破したのは突然ぬっと現れた白鳥 真也だった。

 

 

真也は気配なく太一の傍らに現れては突然固く低い声で二人に挨拶をかけたのだ。

 

 

真也も数少ない俊の友人に入っており、太一と真也が俊が友達として認められる範囲の友達であった。

 

 

真也は外から見ると俊に似ているように見える。それはいつも冷めた空気を持っていて、冷静沈着、友人が少ないという点で一致しているからかもしれない。

 

 

だが、内側から見ていくと白と黒の違いほどの相違点がある。

 

 

それは彼の家が古風で教養のある家であることだ。特に彼の家は射術に長けた家柄らしく彼の家…いや、屋敷には自前の弓道場が設けてある。彼の話によれば毎日そこで射術の稽古を強いられているらしい。

 

 

そのような環境に育った真也は自然に武士道を重んじるようになり、それが何となく現代人からすると少し時代遅れした人間に見られる結果となったのだ。

 

 

その真っ直ぐとした心の持ち主からか俊は真也を受け入れられたのだろう。

 

 

とにかく俊は真也の出現に救われた。

 

 

「よう、おはよう真也。」

 

 

太一は俊から視線をずらし真横にいる真也に挨拶を返す。俊も考え事を止め太一に倣っていつもより大袈裟に挨拶する。

 

 

俊と太一の視線は真也の中心、そこから発達した三角筋で図太くなった肩。鍛え上げられた腕の骨格筋を辿ってその先の手に握られた黒く平べったい古紐に移った。

 

 

「ほら、忘れ物だとよ。

太一の後輩がわざわざ教室の前まで持ってきてくれてたぞ。礼は代わりに言っておいた。」

 

 

素っ気ない言葉で太一の前に真也の手に握られているものを突き出す。

それは柔道着の帯であった。その帯は長年使い古されたもののようで、新品のものより柔らかく、しみが目立つ、黒い生地から白髪が生えたように所々から糸が飛び出ていた。

 

 

「お、おう。ありがと。」

 

 

ようやくそれに気づいた太一は真也から帯を受け取り首にかけた。その瞬間太一の口から笑みが漏れた。

 

 

「に、してもお前は律儀だよなぁ~。また後輩相手に堅苦しくかしこまって言っただろ?」

 

 

「それがどうした。

友のために持ってきてくれたんだ。その相手が誰であろうと感謝すべきだろう。」

 

 

太一が言った直後真也は一瞬口を引きずらせ、表情を変えぬまま答えた。

 

 

「分かんないなぁ~」真也の答えを聞くと太一は苦笑してぼやく。真也がまた何かを言おうとしたその刹那、朝の学校の予鈴が空気を振るわせた。

 

 

そして真也は何か言おうとしたその口をつぐみ、回れ右をして自分の席についた。太一も俊に片手を上げ「じゃあな」と一声かけるといそいそと自分の席へ向かっていった。

 

 

俊、太一、真也。この三人の仲は決していいとは言えない。だが、この三人はお互い特別な友達として感じていることに間違いはないだろう。

 

 

こうしていつもの高校生活が始まるのだった。

 

 

それは9月の終わり頃だった。

 

 

真夏の暑さはようやく休みを知りその代わりに微かな北風が吹いている。

 

 

つい先週まで木にへばりついていた若い葉たちは徐々に老いて青みを失っていた。

 

 

俊にとって秋は四季の中で一番過ごしやすい季節だ。だが、受験生である俊にとってはそんなことさほど関係ない。

 

 

今、俊は学校帰りの太一と真也と並んで歩いている。

以前は帰る時、太一は部活のため俊と真也と二人で並んで帰っていたものだが、太一が夏の大会を境に柔道部を引退してから毎日三人一緒に帰るようになった。

 

 

「はぁ、部活を引退したらなんだか燃え尽きた気分になっちまったな。」

 

 

太一がそう話を切り出すとその横を歩く真也が鋭い視線で太一を睨みつけた。

 

 

「受験勉強に身が入らないのか?」

 

 

「ああ」太一がため息とともに答えると足元にあった小石を蹴り上げた。

 


 

「俊、お前は?」

 

 

太一が心配そうな眼差しで俊を見つめ尋ねる。

 

 

「ぼちぼち…だな。」

 

 

俊は普通に答えるが太一の顔を直視することは出来なかった。

 

 

俊には"誘惑"というものにあまり縁がないお陰か受験勉強ははかどっていた。

 

 

だが、俊には特別な障壁がある。

 

 

それは養父母のことだ。

いよいよ俊と養父母の関係が極限に近づきつつあったのだ。今の養父母にはもう一年と少しもお世話になっている。これは今までの中でもよくもった方だ。

 

 

彼らの演技はうまかった。一時期このままずっと養って貰えると希望を掴んだ時期さえあった。だが、演技は演技。俊はまた裏切られたのだ。

 

 

"やはり親族といえどあかの他人と言っても等しい者をただ親族だからという理由で愛することは無理なのだろうか。"という俊の疑問は"人間はみんな同じ"だという結論に達していた。

 

 

実際この真の答えは導き出すことは出来ない。

アイデンティティや個性などという言葉があるがそれは表面上でのことで、心の奥の奥その最深部はひょっとするとみんな同じなのかもしれない。

 

 

たとえ、容姿、性格が百八十度違う二人の人間がいたとしても俊には同じように見えてしまう。

 

 

俊は自身が人間であるにもかかわらず人間というものに嫌気をさしていた。

 

 

だが、俊の横を歩く二人は別だ。この二人にはどう振る舞っても親しみを覚えてしまう。

 

 

このままではいけない。これ以上仲を深くすれば別れが辛くなる。

 

 

俊は太一と真也の会話に相槌や意見を言うなか心の中で決心をした。そしてその決心を打ち明けようと口元を緩めた瞬間、俊が声を出す前に真也が声を出した。

 

 

「俺達、さっきからつけられてないか?」

 

 

真也のその声は小さく囁くような声だった。そして普段より格段と目を細めている。

 

 

「えっ…」俊は間の抜けた声を出す。

 

 

一瞬で三人の言葉の熱は冷めた。俊は二人の顔を横目で見るとその二人は同じ場所を注視している。俊はその視線を追うように辿るとそこには前方のT字路にあるカーブミラー。そしてそこに映るのは歪んで見える俊たち三人とその後ろに黒いフードを被った男。明らかに怪しい。

 

 

「俺が投げ飛ばしてこようか?」

 

 

太一が軽い口調で笑みを浮かべながら言う。だがその目を見る限りそれは専ら冗談ではなさそうだ。どうやら腕の見せどころと感じたらしい。

 

 

「それはマズいだろ。

相手はまだなんにもしてないし、ただ偶然歩く方角が同じなだけかもしれないじゃん。」

 

 

俊が慌ててそれを抑制すると、太一は「そっかぁ」と残念そうに肩を落とした。

 

 

「まっ、ともかく気をつけておくべきだな。」

 

 

真也がそれを言ったのを最後に三人はT字路を左に曲がった。

 

 

俊はT字路を曲がる最後までカーブミラーに映る三人の後ろを歩く怪しい男を凝視した。それは横を歩く二人もそうだろう。だが、今その目を疑うような光景が広がっている。

 

 

「あれなんで…?」

 

 

太一がとぼけたような口調で言い口を半開きにした。俊も真也も進む足を止め石のように固まっている。

 

 

三人の前にはついさっきまで鏡ごしに三人が凝視していた男がたっているのだ。

 

 

三人の前に男が現れるなりその男は深く被っていた自らのフードを取る。

 

 

そこから現れたのは、シミやシワがよったしわくちゃな顔に黒縁の丸眼鏡。頭は寂しく、頭にちょっぴり残った髪は真っ白だった。その姿は後期高齢期に入ったくらいの風変わりな老人であった。 

 

その姿を見た三人は強張っていた肩をゆっくり落とす。

 

 

「じいさん、どうやって俺たちの前に来たんだ?

さっきまで俺たちの後ろを歩いていたでしょ。」

 

 

緊張のほぐれた太一はやはり軽い口調で突然現れた老人に問う。真也は自分よりも長く人生を経験した者への言い方ではないと言わんばかり太一を睨みつけていた。俊はただ呆然と老人を見つめていた。

 

 

「どうして、わしがここにいるのが。そんなことはどうだってよい。

問題は過程より結果じゃ。わしは君たちの前へ現れた。そして、それにはそれなりの理由がある。」

 

 

やけに理解しにくい言い方だ。俊はともかくそれを要約しこの老人は訳あって俺たちの前にいると解釈した。

 

 

「りゆう?」俊が不思議そうな顔をしてオウムのように老人の言葉を返す。

 

 

「さよう。

わしは君たちの後をしばらくつけてきた。そしてわしの望みを君たちに叶えてもらおうと思うてここにおる。」

 

 

老人は三人を見回し言う。

 

 

「ではご老人。その望みというのは…」

 

 

真也がかしこまった態度で尋ねた。

 

 

「それはここでは話しづらい。

わしの家に来ぬか?決して悪いようにはせん。」

 

 

老人はそう言うと俊たち三人の意見も聞かずにぷいと後ろを向き先に歩いて行ってしまった。

 

 

俊と太一は顔を見合わせた。だが、真也だけがためらいもなく老人の後について行っている。

 

 

「真也、行くのか?」

 

 

太一が不安そうな表情を向けながら真也の背に尋ねると真也はそれに答えて鋭い眼差しを返す。

 

 

「お前は行かないのか?」

 

 

真也は質問に質問で返してきた。それはついて行くことが当然のような口調だ。

 

 

「でも、危険かもしれないだろ?見ず知らずの老人について行くなんて…」

 

 

俊が自信なさげに言うと真也はため息を一つ吐き再び鋭い視線で二人を睨む。

 

 

「お前たち気づかなかったのか?

 

 

あのご老人の目は人を騙すような目ではなかった。特に助けを乞うような目でもなかったが…

だか、あのご老人は他でもない俺らを選んで頼んだんだ。少なくとも話を聞くべきじゃないか?」

 

 

何故だろう。何故か真也の言うことはいつも正しいように聞こえる。

それは自分たちは日本人であり、真也は日本人らしいことしか言わないからであろうか。

 

 

俊と太一はまんまと真也の話術に説き伏せられ、結局三人は一緒に老人のあとをついて行くこととなった。

 

 

道の角を右へ左へ曲がり信号を渡り、知らない道を歩いた。その間老人を含め誰一人として言葉を口にする者はいなかった。

 

 

「ここじゃ。」

 

 

最初に沈黙を破ったのは大きな門のある洋館で足を止めた老人であった。老人はそこでぽつりと言うと洋館を見上げた。俊たちもそれに倣って洋館を見上げる。

 

 

「でっけぇー屋敷だな。

片桐…これ、じいさんの苗字か?」

 

 

太一は目の前の洋館の大きさに驚嘆の声を上げた。そして、目を下に戻し表札を見つけ感情が収まらぬまま老人に聞く。

 

 

「ああ、その通りじゃよ。

そう言えば自己紹介を忘れておったな。わしの名は片桐 秀次郎。かつては大学の教授をしておった。」

 

 

片桐という老人は簡単な自己紹介を済ませると洋館の門を開け三人の自己紹介も聞かずにせっせと中へ入ってしまった。

 

 

「俺たちの自己紹介は聞かなくてもいいのかよ。」

 

 

太一は片桐を呼び止めるように叫ぶ。だが、片桐の足は止まることはなかった。

 

 

「このわしが相手の事も知らずに頼みごとをすると思ったかな?宮内 太一君。」

 

 

片桐が三人に背を向けたまま答えると玄関に鍵を差し込みドアを開けた。

 

 

「ほれ。

ぼーっと突っ立ておらんで早く入りんさい。」

 

 

片桐がそう促すと真也は堂々とした歩みで、俊と太一はその後にてこてこと後を追うようにして洋館の中へ入っていった。 


 

洋館の中は汚かった。

 

 

床では埃が団子を作っており、壁紙は色あせている。

 

 

館内の至る所にもう何年も使っていないような機械が影を残しており、そのほとんどが見るからに壊れていた。

 

 

空気は淀んでおり、所によって鼻をつくホルマリン臭や塩素臭がする。

 

 

天井には照明として豪華なシャンデリアがぶら下がっていたが、それは蜘蛛の巣の一部と化していた。

 

 

この洋館はこんなにも広いのに家政婦や執事というものはいないのだろうか。俊は心の隅で疑問に思った。

 

 

その時ふと、先ほど太一が側にあった機械に触れようとしたとき片桐が物凄い形相で怒鳴り散らしていたのを俊は思い出した。

 

 

どうやら、片桐教授は他人に物を触られたくないという頑固な性格を持っているのであろうと俊は推測した。

 

 

片桐は洋館の廊下を歩いて行くと三人を廊下の突き当たりにある部屋へ招き入れた。

 


 

そこはこの洋館で見た部屋の中で一番大きく、部屋は壁一面スイッチやモニターに覆われ、天井は照明器具で覆われ白い光を放っている。

 

 

中央には歯科病院にあるような診察椅子と、それの頭の位置には幾多ものコードに繋がれた巨大な調理用ボールのような物が口を下にして設置されたセット。

 

 

それが三台設置されていた。そして、何より埃一つ落ちていない綺麗な部屋であった。

 

 

俊は唖然とした。太一も、真也さえもそれに呆気をとられていた。

 

 

その三人の様子を窺った片桐が少し柔らかくなった表情を見せ口を開いた。

 

 

「さあ、

有賀 俊君、

宮内 太一君、

白鳥 真也君。

 

ここまで来て貰って茶も出さないのは些か無礼だが許しておくれ。わしは今、猛烈に興奮しておるのじゃ。

 

君たちはタイムトラベルという言葉は聞いたことはあるかね?

 

まあ、どんなものかは知っているだろう。そして未だそんな技術は人類は持っていないと確信しておるだろう。」

 

 

片桐はそこまで言うと、片桐は三人から視線を外し何かを思い返すように目を軽く瞑る。


 

「タイムトラベル。それはわしの幼い頃からの夢じゃった。そして、いつかタイムマシンを作ってやろうとガキの頃から今まで本気で考えてきた。

 

 

幸いなことに私は末っ子で家も裕福だったからわしには好きなことをさせて貰えた。

 

 

今まで目標のためにいくつもの大学に留学し、黙々と研究を重ね、この洋館を買う際も両親が何も言わず金を出してくれた。

 

 

勿論代償も大きかった。

 

 

研究に没頭するあまり恋を忘れ、他の教授からは馬鹿にされた。

 

 

たとえわしは研究途中で新事実を発見しても学会では発表しなかった。わしの目標はタイムマシンを作ることだったからじゃ。

そして完成した。

タイムマシンが…」

 

 

片桐は最後に閉じていた目をゆっくり開き部屋の真ん中にあるセットに目をやると、再び焦点を前にいる三人に合わせた。

 

 

「わしは早速試そうと思った。

 

 

じゃが、研究途中ではっきりしたのじゃが、人間がタイムトラベルする場合いくつもの条件をクリアした者でなければならないのじゃ。

さもなければ、人体に甚大な悪影響を及ぼす。

 

 

わしはこのようによぼよぼの老体。向こうに行くのは無理じゃ。

 

 

そこでこの実験に適正な者を捜し回った。そして見つけたーーー」

 

 

「ーーそれが俺たちって訳か…」

 

 

今まで一言も喋らず黙って聴いていた三人の一人。太一が片桐の言葉に割って入った。

 

 

片桐は黙ったまま首を縦に振る。

 

 

「恐らく問題はないだろう。じゃが保障はできない。

 

 

しかし、その危険なリスクを背負う代わり成功すれば人類初のタイムトラベルした人間という名誉を受けられる。

 

 

どうじゃ?

この老いぼれの一生で最後願いじゃ。

どうかわしの幼い頃からの夢を叶えてはくれぬか?」

 

 

片桐は三人の心に訴えるように言った。

 

 

俊にとって名誉などどうでも良かった。ただ、もう老いきっている片桐の願いは本当に一生で最後の願いになりそうだ。

 

 

もしここで断ったら俺は一生悔いることになるかもしれない。相手の奥の心情を見破るのに長けた俊にはそれがいっそう罪深く感じられた。

 

 

俊は横の二人の表情を盗み見た。太一も真也も表情から"迷い"が表れている。

 

 

「ちょっと、俺たちだけで話し合ってもいいですか?」

 

 

さっきまで片桐に軽い口で話していた太一が深刻そうな顔をして自然と重苦しい言葉を使って聞いた。

 

 

「勿論じゃ。じっくり話し合うがよい。」

 

 

片桐が不安な心情を隠し、穏やかな表情を装うと三人の視線を浴びながら部屋から出て行った。

 

 

片桐が部屋を出て行ってしばらく。広い部屋に残された三人は言葉を口にせず固まっていた。まるで石像のように…

 

 

「なあ…どうするつもりなんだ?」

 

 

三人の中で沈黙を破ったの一つの声。

それは意外にも俊のものであった。俊自身ふとそれを口にしていたことに驚いた。

 

 

「俺はやる。

あのご老人の何十年前からの多くの代償を払った夢…それをその実験とやらで叶うものであれば多少危険が伴おうとやる。」

 

 

最も早く決断を下したのはやはり真也だった。

真也は真也らしい答えを導き真也らしくはっきりと述べた。

 

 

だが、少し間をおいて恥ずかしそうに少し俯きながら小さく言う真也の続きの言葉を俊は聞き逃さなかった。

 

 

「でも…俊と太一が行かないと言うのであれば俺も行かない…」

 

 

それを言った直後太一が声をたてずに笑う。

 

 

「真也に先を越されたな。

俺も行く。

真也の言うとおり俺もあのじいさんの願いを叶えてやりたい。それに名誉とかどうでも良いけど、タイムトラベルも面白そうだしな。

 

 

そして俺も一緒。真也と俊が一緒に行かないのであれば俺も行かない。」 

 

太一はいつもの元気の良い声で晴れ晴れ言うと、そのまま俊に視線を向る。

 

 

どうやら、行くか行かないかは自分の判断に委ねられでしまったようだ。

俊はそう思うと少し顔を引きずり、一息吐く。

 

 

「俺も…行く。」

 

 

真也や太一のような理由も述べず、俊は短く、簡単に言った。

 

 

勿論、俊がその選択した理由は無い訳ではない。俊にも真也や太一のような理由があった。

 

 

しかし、その他にも不安定ながら理由とは言い難いものがあった。

 

 "なんとなく"だ。

ただ、この選択を選べば今自分が抱えている問題を解決できるような気がなんとなくしたからだった。

 

 

その"なんとなく"という理由が俊をその選択に導いた半分以上の理由といっても良いだろう。

 

 

「決まったかね?」

 

 

その時、部屋の外からまるで聞き耳でも立てていたんじゃないかと思うくらいの絶妙なタイミングで片桐が入って来た。

だが、不安な心情を隠しているところを見るとそうでもないようだ。

 

 

「ああ、決まったよ。片桐のじいさん。

俺たちはあんたの願いどおり三人一緒でタイムマシンのテスターになる。」

 

 

太一がいつもの口調で言う。

 

 

「ほんとうか!?

本当に行ってくれるか!?」

 

 

片桐の興奮を抑えられな満面の笑みで叫ぶいきいきい声に、今度は三人一緒に柔らかな表情をしながら無言で首を縦に振る。

 

 

「ありがとう。

これでわしの思い残す事はなくなった。

さあ、そうと決まれば早速準備じゃ。

 

 

君たちはいつの時代に飛びたいかね?

悪いが未来への世界に行くのは今のところ無理じゃが。」

 

 

片桐は情けなさそうに言葉を濁す。

 

 

とは言っても、俊たちはどこかの時代に行きたいと言う訳ではない。縄文時代に飛ばされようと戦国時代に飛ばされようとどうでも良かった。だが、だからと言って、飛ばされた先で身の危険な目に遭うのはまっぴらごめんだ。なるべく安全な時代がいい。

 

 

俊がその意を告げると片桐は難しい顔をして白い髭をしゃくった。

 

 

「安全な時代のおぅ。

二、三日前とかじゃつまらんじゃろうし…

 

 

…分かった。考えておこう。出発は明日の昼じゃ。昼前までにここに来るように。出来るだけ物は持たずに地味な服を着て来るがよい。よし、今日はもう帰ってよろしい。」

 

 

片桐が機嫌良く老人らしからぬ若々しい口調で言うと三人を玄関まで送り、実年齢よりも五、六十くらい若い足取りで再びタイムマシンのある研究室へいつの時代のか分からぬ鼻歌を奏でながら歩いて行った。

 

 

「帰ろっか。」

 

 

片桐の姿が見えなくなってしばらくの沈黙の後、その太一の一言を原動力に三人はからくり仕掛けの歯車が動くように何も会話なしにそれぞれの帰途へ向かって行った。

 

 

翌日。

 

 

今日はとてもいい秋晴れだ。空は雲一つなく、スカイブルーの色が空を占めている。風は微かに吹いており、まだ少し残っている暑さを和らげる。木の葉は少しずつ蒼さを失い僅かに赤みを出している。

 

 

俊は今、片桐の洋館を目指して歩いている。時刻は午前11時半過ぎ。

 

 

身につけているのは下着の他に生地の薄い色褪せたパープルのジーパンと、生地の薄い長袖の白いワンポイントのインナーそれだけだ。

 

 

今は携帯電話も携帯音楽プレイヤーも財布さえも持っていない。つまり、完全に手ぶらだ。

 

 

というのも、昨日片桐が出来るだけ物は持たないように言われたからだ。

 

 

実は俊は昨晩太一にメールを送った(真也は携帯電話を持っていないのでメールは出来ない)。俊からメールを送るのはめったにない。

 

 

内容は今日のことだ。

本当に行くつもりなのか。どんな服装で行くのか。何を持って行くか。何時頃に行くか…そんなつまらないことだった。

 

 

表面上は明日のことの確認のためのメール通信だったが、実際は怖かったからだ。

 

 

俊は昨日、家に帰った後もずっと今日の実験のことばかり考えていた。その考えの八割方が"不安"へと結びつき、それが蓄積され俊でも乗り切れないほどの"恐怖"に変化していたのだ。

 

 

そして、メールを媒介して太一を頼る結果になってしまった。昨日片桐に遭うまでは太一や真也との縁まで切ろうとしたのだが今ではちっともその念が湧かない。

 

 

俊は片桐を恨んだ。出来るなら、ここからとって帰って受験勉強に励みたい。

 

 

だが、今となってばもう手遅れだ。それに太一や真也が待っている。

 

 

俊が一人思い悩みながら歩いていると、

 

 

「おお。俊。来たか。」

 

 

突然の如く俊に生きのいい声がかかった。

 

 

俊は驚いて頭を上げると俊はすでに洋館に着いており、門の前にいたのだ。太一と真也が玄関の前に立ち太一が手を振っている。

 

 

俊はそれに答えるべくつまらない笑顔を見せ太一の下へ一歩ずつ地面に足を踏みしめる。

 

 

「じゃあ、行こっか。」

 

 

俊が太一と真也の下に着くと同時に太一はそう言って玄関の両開きの大きな赤い扉に手をかけようとしたその時、その扉は太一の手が触れる前に独りでに開いた。

 

 

かと思われたが扉の向こう側から扉にしわくちゃの手が伸びており、人影が見える。

 

 

扉が完全に開き、館内に秋の太陽の光が差し込みその人影が明らかになる。片桐だ。

 

 

「おお、来たか。

準備は出来とるぞ。

さあ、中に入りたまえ。」

 

 

片桐は最初に会った時とまるで別人のように柔らかい表情で三人を招き入れる。

 

 

タイムマシンの研究室に着くと、室内は薄暗く、昨日のように天井の照明は消されており、その代わり壁一面に設置されたモニターやランプが照明となっている。

 

 

「では早速始めよう。

君たちには江戸時代中期の日本…1716年に飛んでもらう。

 

1716年はちょうど徳川吉宗の時代で…」

 

 

片桐が1716年頃の日本の情勢を長々と話し始めた。そこからタイムマシンについての話しに移り、注意点や機能について語り、最後に元の世界に戻る方法を三人に教えた。それに対して俊らは片桐の言葉にこくこくと頷くだけだ。

 

 

「…という訳じゃ。

よいな?三人が手を繋ぎ、そして目を瞑り元の世界へ戻ると念じるのじゃぞ。そしたらここに戻れる。

 

…よし、君たちに教えることは今ので最後じゃ。

さあ、そこの椅子に腰を掛けなさい。」

 

 

片桐はそう言うと中央にある特殊な椅子に座るよう促した。

 

 

三人の表情は緊張と不安でがちがちだった。事実、今日この洋館に入ってから彼らは頷くか「ああ。」とか「うん。」とかしか言葉を口にしていない。

 

 

三人は同じように何一つ言葉を口にすることなく恐る恐る治療椅子もどきに座った。

 

 

座り心地はかなり悪い。椅子の生地は鉄の板のように硬く三十分もすれば尻が悲鳴を上げるだろう。

 

 

座ると同時に椅子から伸びた鉄輪で体と両手足が固定され、身動きがとれなくなる。

 

 

このことで俊の緊張は絶頂に近づきつつあった。もう不安な表情は隠せない。そんな俊の心情を無視してタイムマシンは動き続ける。

 

 

頭上から逆さにした巨大な調理用ボールみたいな物が、けたたましい機械音と共に下りてくる。それは俊の頭をすっぽり覆い、縁が首のところまで来るとそれはぴたりと止まった。

 

 

「準備は良いか!?」

 

 

片桐の老いぼれた声が首もとから入り、音が被り物の中を反響して俊の耳に入る。

 

 

「ああ。」俊は頑張って声を絞り出し、震える声で返事をした。真也と太一の声もそれに続いて聞こえた。

 

 

声が反響しているせいだろうか、それとも実際そうなのだろうか、二人の声も今までになく震えているように聞こえた。

 

 

「よし、行くぞ。」

 

 

片桐が叫ぶ。そしてその後、部屋全体に女性オペレーターの電子音声が響き渡った。

 

 "投射準備完了。

R01~R03ヲ投射シマス。

投射地点。

西暦1716年9月30日、13時ゼロゼロ分。

座標。(152.251,35.452)

デス。

 

投射十秒前。

 

9、8、7、6、5、4…"

 

 

電子音声が秒読みをする中、時間が経つにつれ機械音が高くなる。

だが、それはあと四秒のところで起こった。

 

 

電子音声が四秒を告げたその時、機械音の中に異音が響いたのだ。それは金属が折れる音に似ていた。直後、警報サイレンがけたたましく響く。

 

 

"4…エラー発生。エラーコード4649。時空間変換装置故障。緊急停止システム作動…エラー、緊急停止不可…秒読ミ続行シマス

…3…2…"

 

 

電子音声は機械の異常を告げているにも関わらず秒読みを続けている。その電子音声もまた、おかしくなっており音がイチオクターブ低くなっている。

 

 

片桐の悲鳴に近い罵声が混じる中。俊は明らかにヤバいと思った。俊は自分でも分からないことを叫びながらもがいた。

 

 

だが、虚しくも体は完全に固定されており、身動き一つとれない。

 

 

"…1…"

 

 

おかしくなった電子音声は秒読みを続ける。

 

 

"…ゼロ…投射シマス。" 

 

 

それが最後だった。

その直後、俊の視覚は一瞬にして白い光に包まれ、耳なりが聴こえ始め、その中で俊は眠るようにして意識を失った。

 


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