三章 導神⑧
「あ、あの、これって……?」
さらに言葉を紡ごうとする彼女の口を左手で覆う。目を丸くし、体を強張らせる彼女に、耳元で一言、追われているんだ、と呟いた。その言葉で彼女も少し落ち着いてきた。
「アァ……」
息を呑み、物置の入り口に視線を固定する。口を閉じ、必死に鼻で呼吸をする。廊下を歩いているのか、ぴちゃぴちゃと液体質の音がする。
「…………」
恐怖のためか、無意識にウーノを強く抱きしめていた。まるでぬいぐるみに必死にしがみつく子供のように。
「アァァァァァァァ……」
液体質の音は目の前の扉の前を通っていく。そして、そのまま迷うことなく、裏口から気配は出ていった。
「…………」
気配が消えてからも、しばらく息を潜めていた。どれぐらい時間が経ったか、呼吸も落ち着いてきた頃、イザーナは、やっと自分が彼女を強く抱きしめていることに気が付いた。自分の首元に彼女が顔をうずめているその状態に、急に羞恥心が込み上げてきた。
「あっと……その、すまん……」
彼女の両肩に手を置き、ゆっくりと引き離す。暗くてよく見えないが、ウーノは、うっすらと微笑んでいた。
「すまないな、こんなところに連れ込んじまって。もう大丈夫だから――」
続きの言葉は彼女の唇で塞がれた。
「……!」
イザーナはしばし呆然とした。ウーノが彼の首に腕を回し、口付けをしていたからだ。
「イザーナさん……」
ゆっくりと唇を離しながら、ウーノは微笑んだ。
「追われているんでしょ? それなら私の家に来ませんか? すぐ近くなんです。服もこんなにびしょ濡れだし、風邪引いちゃいますよ?」
濡れた服のせいなのか、言われた途端、体に寒気が走る。
「匿ってあげますよ?」
彼のすぐ目の前の彼女の顔。若い男ならすぐに惚れてしまいそうな理知的な顔。それが妖艶な笑みを浮かべ、彼の前にある。彼女はこんなにも綺麗だっただろうか。
今度はさらに強く抱きしめてくる。服の上から伝わる彼女の温もりがとても心地よかった。恐怖が過ぎ去った直後の安心感から、感覚が麻痺しているのか。彼女の突然の行動に何の疑問も持てないまま、ただその心地よさに身を任せている自分がいた。
「……あ、あぁ、ありがとう」
イザーナはウーノの耳元で小さく呟いた。そして今度はこちらから、口付けを交わした。
その時、彼女の口元に浮かんだ笑みは、先程の笑みと違い、少し歪んでいた。