序章 酒場の男②
私は顔を真っ赤にし、体を震わせた。今度は怒りからだ。私はその場に勢いよく立ち上がった。
「おいおい怒るなよ。ちょっと、からかっただけじゃねえか」
笑い声交じりの声が聞こえてくる。
私は声の方向を探そうと辺りを見渡した。すぐに見つかった。カウンターの隅で酔いつぶれていた男が顔を上げ、こちらを見ている。
その男は、かなりやつれた顔をしていた。髪は長く、前髪が目元を覆っている。この地方では珍しい黒髪だ。服は簡単なシャツとズボン。どちらも黒だ。そして腹部がひどく汚れていた。
「あ、あぁ、あんたの言いたいことは分かるぞ。俺が誰かってことだろ?」
口を開いてもいないのに、そいつは自分から勝手に話し始めた。
「はは、実はな、面白い夢を見たんだ。随分昔のことなんだが、妙に生々しくてなぁ。ん? 俺が誰か? まぁ、まず聞けってさ。そうすれば全部分かるって」
男はべらべらと喋りながらこちらに近付いてくる。私の肩を叩き、まぁ座れ、と耳元で呟く。私は何か言おうと思ったが、何も思い浮かばず、そのまま促されるままに椅子に座った。
「神様だよ神様。万人がひれ伏すあの神様だよ」
男も横に座り、訳の分からないことを言いだした。
「くそったれ。あぁ、神様は糞って言葉がお似合いだな。あははははははは!」
男は天井を仰ぎ、高らかに大笑いし始めた。
ぐ、と、私は喉の奥で唸り声を発した。変な奴に絡まれてしまった、という思いからだ。
「あぁ、待て待て。俺は多分普通だからさ」
私が帰ろうとしているのを悟ったのか、男は私の肩に馴れ馴れしく手を置き、顔を近付けてきた。
私は怪訝な顔でその顔を見返す。その反応に気を良くしたのか、男はにいっと不気味な笑みで返してくる。そして右手を顔の前まで持ってきて、指を一本立てた。
「一杯だ。一杯でいい」
さらに顔を近づけてくる。その分だけ私は顔を遠ざける。
「もし一杯奢ってくれたら、最高にくそったれで最高に吐き気のする、最高に面白い話を聞かせてやろう。どうだ? たった一杯でいいんだぜ?」
ククッとそいつは体を震わせながら笑った。
男の怪しい態度に、眉をひそませていると、そいつはさらに笑みを大きくした。
「なぁ、いいじゃねぇか。たった一杯でいいんだぜ? それで話を聞いてくれたら、もうあんたには付きまとわねえよ。保障する。安いもんだろ?」
その馴れ馴れしさに私はさらに眉をひそめる。それでも男は絡んでくるので、今は金に余裕が無い、だから向こうに行ってくれ、と言った。すると男はこちらの顔を、観察するかのように視線を動かし、笑みをますます強めた。




