終章 酒場にいた男②
冷たい風が頬をなで、一瞬身震いする。コートから煙草を取り出し、口にくわえ、火を付けた。
「あと、どれくらいだろうな……」
ゆっくりと煙を吐き、目を閉じる。
「……もう、あの時のことが、昨日のことのように感じるよ」
顔を上げ、目を開ける。一面の空が目に映った。
「……最悪の気分の理由が分かった。今日も灰色だ」
両手をポケットに突っ込み、路地へと足を運ぶ。そして汚れた壁にもたれかかり、ゆっくりと煙を吐く。そして視線を自分の腹部へと向ける。自分の血でどす黒く染まった破れたシャツ。よく見れば、その隙間から本来見えないはずの物が見えていた。それはイザーナの――臓器だ。
「もう……痛みも感じなくなっちまったなぁ……」
自嘲気味に笑い、顔を前方に戻す。そして何かを掴むように、手をゆっくりと持ち上げ、自分の前方――何も無い空間を彷徨わせた。
「なぁ、ミナ……」
イザーナは両手をゆっくりと動かしていく。
「ミナ……そこにいるのか? 見えないんだ」
煙草が口から零れ落ち、地面を転がる。
「あとどれくらいだ? 十人か? 百人か? あとどれぐらいで、お前の――死神の使命は終わるんだ?」
そうやっていると、しばらくして、イザーナは乾いた笑い声を上げながら、その場に座り込んだ。力無く手足を投げ出している。
「くそったれ。何もかも。全てだ。どこまでも、吐き気がする」
肩を揺らして笑う。その目からは涙が溢れていた。乾いた笑い声が路地に響く。
「くそったれ……あと、ほんの少し。ほんの少しでいいから、俺に、幸せをくれ。もう十分苦しんだだろう? まだ、足りないってのか? なぁ、神様よぉ……」
ゆっくりと顔を上げ、うつろな目に空を映した。
「……重いんだよ」
地面に転がっている煙草を拾い上げ、口にくわえる。今にも雨が降り出しそうな――あの時と同じ空を、いつまでも目に映していた。
――おい、イザナギ。
懐かしい声に、イザーナはふと隣に顔を向ける。そこには誰もいない。
――前から聞きたかったんだが、そのイザナギって言葉何なんだ?
自分の声がどこからか聞こえてくる。
――かっこいいあだ名だろ? イザーナ・ガレイドだからイザナギ。東洋の神様の名前で、誘う男って意味らしい。
イザーナは、懐かしさに、ふっと笑い、顔を空に向ける。
「神様の……名前……ねぇ。誘う男……はは……笑えねぇ」
しばらくの間、イザーナはそのまま空を眺めていた。
やがて煙草が半分ほど無くなった頃、ゆっくりと立ち上がる。
「……帰るか、家に」
煙をゆっくりと吐き出し、煙草を地面に放る。
「この無駄に広がる灰色の空を見ていると気分が悪くなる」
彼はそう言って――その場から姿を消した。そこには火の付いた短い煙草が一本転がっているだけだった。
END
最後まで読んでいただきありがとうございます。
この作品は高校生の時に書いたものです。タイトルやタグの通り、古事記をベースにしています。
反省点として、物語の設定上、複雑な"システム"を説明しなければいけないのですが、それがかなり話の流れを悪くしてしまったと思っております。完全な実力不足です。
ですが、人生に絶望し、無差別に人を神の世界へといざなう神の誕生という物語を書き上げることが出来て、個人的には満足しています。また所々に古事記ネタを仕込めたことにも満足しています(笑)
この物語を読んで、ほんの少しでも何かしらの思いが残ってくだされば幸いです。