1.結婚してください!!!
剣と魔法の世界。
平民の娘ながら類稀なる魔法の才能を持つヒロインは貴族たちの通う魔法学校に特待生として入学し、悪役令嬢に邪魔をされながらもイケメン男子たちと恋に落ちるーー。
これは、乙女ゲームの古典的名作「花の王子と黒い猫」のあらすじである。
なぜ突然このゲームの話を始めたかというと、なにを隠そう、この物語の主人公、千歳は……
「まっっっっじありえないんですけど!?!?」
本作のヒロインに転生したのだ。
親友に勧められ、「はなくろ」をプレイした千歳。
親友にプレイして感想を伝えるようねだられ、なんとか全攻略対象のルートをクリアした。
その翌朝、職場に行こうと玄関のドアを開けたときーー千歳は気づかなかったのだ、迫りくる大型トラックの存在に。
で、目が覚めたら「コレ」である。
絵本でしか見たことのないような天蓋付きのベッド。
年季は入っているものの丁寧に揃えられたアンティーク調の家具。
壁にかかった、胸元のリボンが目を引く制服。
どれもこれも、「はなくろ」のヒロインが暮らす寮の部屋の背景イラストに描かれていたものである。
鏡を覗き込むと、赤の巻き毛に、長すぎずさっぱりとしたまつ毛を乗せたモカブラウンのくりくりの瞳。頬のそばかすが白い肌によく映える。
千歳の姿は正真正銘、「はなくろ」のヒロインそのものだった。
ここで、読者諸君は思ったかもしれない。
交通事故で命を落としたのはつらいが、乙女ゲームのヒロインに転生できたならよかったじゃないかと。
破滅が待っている悪役令嬢よりずっと良い。イケメンと幸せに結ばれるなんて、むしろ憧れていた生活じゃないかと。
しかし、そこには大きな問題があった。
なにを隠そう、千歳はレズビアンなのだ。
周囲へのカミングアウトこそしていないが、レズビアン向けのマッチングアプリで恋人を探したりバーに行ったりする、筋金入りのビアンなのである。
現在はいないけれど、過去には女性の恋人がいたこともある。
今誰とも付き合っていなくてよかった、と千歳は息をついた。
誰かを遺して逝くのは嫌だった。恋人に寂しい思いをさせたくない。
両親は置いてきてしまったが、まああの二人ならどうにかなるだろう。
ああでも、カミングアウトできなかったのは心残りかな。両親に受け入れてもらえたならきっと救われたことだろう。
まあ、それはともかく、だ。
今は目の前の問題について考えなければならない。
このままこのゲームのヒロインとして生きることになれば、千歳は攻略対象のイケメンのいずれかと結婚しなければならなくなる。
さらに、本作のヒロインには、「強大な魔力の代償として、魔力の消耗が激しく、他者とのキスで魔力を回復しないと死んでしまう」というキスシーンを描くための設定付きだ。
千歳は目を閉じ、男性の唇の感触を想像する。女性のそれよりも固くて、熱くて……
「ぶっ、おぇぇぇえ!」
無理だった。
男性が悪いわけでも嫌いなわけでもないが、それはそうとして恋愛対象として見るのは不可能だった。
手を繋ぐのはおろか、キスなどもってのほか。
結婚したらそれ以上のことも求められるだろう。
……絶対に、避けなければならない。
「平民!
起きなさい!
もうすぐ入学式が始まりましてよ!」
輪郭のはっきりとした甲高い女性の声が部屋に響く。
その声に、千歳は浮足立った。
リダリア・アマンリーク。
それが声の主の名だ。
「はなくろ」の攻略対象……ではなく、いわゆる悪役令嬢ポジションのキャラクター。
ヒロインをいじめ恋路を散々邪魔し、最後には断罪され、悲惨な結末を迎える。当て馬というやつだった。
しかし、彼女には底知れぬ魅力がある……と、千歳は思っている。
決して集団でいじめず一対一を貫く、などといった高潔さもあり、嫌いにはなれない。
断罪パートのあとでは彼女の過去なんかも描かれ、感情移入もしてしまう。
そして、なにより見た目がどタイプなのだった。
これは「はなくろ」の冒頭シーン、の少し前なのだろう。
「はなくろ」のストーリーは新入生代表であるにも関わらず入学式に遅刻した主人公が、攻略対象のキャラクターたちと交流することになるところから始まるのだ。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
顔がどタイプの推しがドアの向こうで待っている(あの口ぶりからして待ってくれているわけではないのだろうが、まあそんなことはどうでもいい)のだ。
千歳はいそいそと制服を手に取り、着替えを始める。
ドアを開けると、リダリアが苛立ちを隠しきれない様子で立っていた。
「こら、平民。今何時だと思ってますの!?
もうすぐ入学式が始まりましてよ」
長い黒髪をゆるく巻き、前髪はかきあげに。艶のある肌と、長いまつげに縁取られたつり気味のすみれ色の瞳。千歳より頭一つ分ほど高い背丈。
推しのあまりの美貌に、千歳はぽうっとしてしまう。
ああ、いい香りもするなぁ。ゲームでは匂いまで嗅ぐことはできなかったから、ありがたい。この香りはホワイトムスクだろうか。甘く女性らしい香りが、鼻から身体中に回る。
千歳ははっとする。
いけない、せっかく推しに会えたのにぼうっとしてどうする。前世で推しの女性アイドルの握手会に行き、緊張と喜びでなにも言えなくなってしまったことを千歳は思い出した。伝えたいこと、聞きたいこと、たくさんあったのに。
同じ過ちは繰り返すまいーー千歳は制服のスカートを持ち上げて片足を後ろに下げ、お辞儀をした。
「わたくしーー」
そこでハッとする。
この世界での自分の名前はなんなのだろうか。
世界観的に「千歳」はありえない。
ゲームではヒロインの名前を自由に設定できた。千歳は特になにも考えず「マギカ」というデフォルトの名前でプレイしていたが。
「失礼いたします、リダリア様。
私の名前はなんでしょうか」
「は、はぁ……?」
リダリアは眉根に皺を寄せ、頭一つ分背の低い千歳を見下ろす。気味悪がっているようだった。
「あなた、平民の分際でわたくしに問題を出すおつもりですの?」
リダリアは負けず嫌いで見栄っ張り。
面倒くさいところはあるが、押せばいけるということを千歳は知っていた。
「勉強熱心なリダリア様が学年首席の名をご存じないと?」
ヒロインは平民にして学年首席の秀才として魔法学校に入学する。そんなヒロインを、「こいつさえいなければわたくしが女の子の中で一番になれたのに」と妬むのが攻略対象たちに次いで学年五位のリダリアなのだ。
「忘れたのよ、忘れた!」
「リダリア様ともあろうお方が?
人の名前を?」
「〜〜〜っ!」
リダリアは艶のあるローズピンクの唇を噛み締めた。
その姿はさながら毛を逆立てて威嚇する猫のよう。「キシャー!」という音が聞こえてきそうである。
そういえばリダリア様ってネコなんだろうか、それともタチ?
……いや、付き合ってもない女性をそんな目で見てはいけない。
「マギカよ、マギカ!
あなたはマギカ!
氏を名乗ることすら許されない平民のマギカよ!」
……やはりデフォルトの名前らしい。
それにしてもリダリア様はわかりやすいなぁと、千歳あらためマギカは口元が緩むのを感じた。
「失礼いたしました。
わたくし、マギカと申します」
気を取り直して恭しくお辞儀をすると、リダリアは気を良くしたらしく、胸元に手を当て、巻きのかかった黒髪をかきあげた。
「ご存じかとは思いますけど……わたくし、リダリア・アマンリーク。
アマンリーク侯爵家の長女ですわ」
「侯爵家とかはよくわからないですけど、お美しいということはわかります」
しまった、うっかりからかってしまった。
リダリアが単純でかわいいのが悪い。
「なっ……!
そんなことを言って取り入るつもりなんでしょうけど、美しいくらい言われ慣れておりますわ」
リダリアは窓を鏡代わりに使って髪とドレスの乱れを直した。
慣れているのは本当なのだろうが、明らかに動揺している。言われるたびにこうやってどぎまぎしているのだろう。かわいい。
「そ、それよりも!!」
リダリアはコホンと咳払いした。
「あなた、入学式で新入生代表の挨拶をするのではなくて?
代表は式の30分前に集合のはずよ。
まったく、初日から寝坊なんて……」
「迎えに来てくださったってことですか、リダリア様」
まさかゲームのストーリー開始前にこんな一幕があったとは。なんでそこをゲームで見せてくれなかったんだ。
いやまあ、大事なのは攻略対象のキャラクターたちなので、悪役令嬢ポジションであるリダリアにフォーカスする必要はないのだろう。
「ユース様にお願いされて来ただけですわ。
女子寮に入るわけにはいかないからって」
ユース様とはユース・ラバナ。今作の舞台であるラバナ王国の第二王子であり、メインの攻略対象。リダリアがアマンリーク伯爵家の地位向上のために結婚しようと狙っている相手である。
「まったく、ユース様に感謝なさい」
ユースとの婚姻は父の命令。お父さんっ子のリダリアは逆らえないのだ。
尤も、彼女はユースと結ばれようと必死になったばかりに悪人に利用され、ヒロインを妨害し、破滅を迎えてしまうのだが。
「私はユース様よりリダリア様に感謝しますけどね」
目の前の推しを愛でたいという欲が恥ずかしさを凌駕する。
こんな状況になってしまったのだから、せめての楽しみを味わいたい。
「平民風情がユース様などと気軽にお呼びしないことね」
リダリアは巻き毛の先をくるんと人差し指でいじる。
感謝されたのは嬉しいのか、それを隠すようにそっぽを向いた。
ゲーム内ではあまり見られなかったリダリアの姿に、マギカは身体が熱くなるのを感じる。
それは、元カノに恋をしたときに感じたそれと同じ。心臓の血が溶けるような暖かさが胸に広がる。
「かわいい……」
自然と漏れたその言葉は……。
キーンコーンカーンコーン!
無粋なチャイムによってかき消された。
「あっ……!」
リダリアが肩を跳ねさせる。
「あなたのせいですわよ、平民!」
「あ、えっと……?」
マギカは状況を飲み込めず困惑する。
「あなたが寝坊した上にうだうだ話すから!」
「だから、なんなんですか」
質問に答えてほしいが、なにかあったときに「誰のせいか」が先に出てくる面倒くささはたまらない。
マギカは面倒くさい女を主食としていた。
「入学式5分前よ!」
リダリアはその場で足踏みをする。
「ここから講堂まで歩いて八分はかかるのに……。ユース様になんと言えば!」
焦るあまりに思考が混乱しているらしい。
いや、この状況ならなすべきことはただ一つだろう。
「走りますよ、リダリア様!」
マギカは助走をつけて、地面を蹴った。特別運動が得意なわけではなくむしろ苦手だったが、メイクに時間がかかって学校やら待ち合わせやらに遅刻しそうになることが常だったため、走るのには慣れていた。運動をしている人がこの助走のつけかたを見たら怒り心頭だろうが。
マギカは階下へと繋がる階段めがけて走る。
後ろを振り返ると、リダリアがいないーーいや、小さくなっていることに気づいた。
リダリアはゆっくりと歩いている。
「なにしてるんですか、リダリア様!」
推しを置いていくわけにはいかないので、マギカは駆け戻る。
「候爵令嬢が遅刻しそうだからって走るなんて……」
リダリアはもじもじと制服のスカートの端を握りしめる。
……いける。
身長こそ高いが、リダリアは華奢だった。
そしてマギカは女性を持ち上げるのに慣れていた。元カノがお姫様抱っこをよくねだってきたのだ。
マギカはリダリアの腰に手を回す。そして、軽々と持ち上げた。
「え、あ、ちょっ!
なにしますの!」
「お姫様抱っこされるのもレディの嗜みでしょう、リダリア様!」
……重い。が、なんとか歩くよりはマシな速度で移動する。
元カノをお姫様抱っこしていたときはせいぜい部屋の入り口からベッドまでだったが、講堂まで行けるだろうか。
リダリアの膝を支える左手と、肩を支える右手から、彼女の柔らかい肌の感触と、少しひんやりとした体温が伝わってくる。
すぐに息は切れ、腕がプルプルと震える。
「む、無理しなくていいんですのよ……?
走ろうと思えば走れますから」
遠慮がちに言うリダリアを、この胸の高鳴りを、離さない。
そうだ、離さない。
「決めた。決めた決めた決めた!」
「な、なんですの今度は!?」
男と結ばれる未来を、へし折ってやる。
女と結ばれることで。
いやーー
「私、リダリア様と結婚します!」
リダリアと結婚することで、運命に抗ってやる。
そして、前世では叶わなかった女との結婚を、この世界で遂げてやる。
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