病弱でわがままな妹のせいで姉が叱られるお話
「改めてご挨拶させていただきます。子爵令嬢スージェア・セアザニングです」
そう言ってスージェアはどこかぎこちないカーテシーを披露した。
子爵令嬢スージェア・セアザニング。陽光に溶けてしまいそうな薄いグレーの髪。大粒の瞳の色は薄い青。かわいらしい顔立ちで、15歳という年齢に見合わない無邪気さがある。その身体は細く、はかなげな雰囲気をまとっている。
その所作が固いのも無理はない。幼いころから重病に侵されたスージェアは、ずっとベッドから離れらなかった。最近、病状が改善し、こうしてベッドから離れられるようになった。それでも礼儀作法の勉強はまだまだ足りておらず、カーテシーを家族以外に披露するのもこれが初めてだった。
ここはセアザニング子爵家の庭園に設えられたガゼボ。そこで執り行われるのは、スージェアの姉とその婚約者とのお茶会だ。今日は体調もよかったので、スージェアは同席させてもらうことになったのだ。
「よくできましたね」
そう言って妹のカーテシーをほめるのは、スージェアの姉。子爵令嬢サラーティア・セアザニング。
しっとりとした長いグレーの髪。深海を思わせる深い蒼の瞳の、上品で優し気な令嬢だ。
スージェアは姉のことが大好きだった。
「覚えたてにしてはなかなか素敵なカーテシーでしたよ」
労いの言葉を送るのは姉サラーティアの婚約者。伯爵子息ヴィーテルオ・リープモンドだ。やわらかな金髪に凛とした碧の瞳。すっきりした鼻梁に薄い唇。美しい青年だった。
スージェアは姉の婚約者を前にして鼓動が早まるのを感じた。これまで何度かベッドにお見舞いに来てもらったことはあったが、病床に就く者と見舞いに来る者とでは精神的な隔たりがある。今、それはない。手の触れられる場所にこんな素敵な殿方がいるということは、初心なスージェアの胸をときめかせるものがあった。
そうして穏やかにお茶会は始まった。
サラーティアとヴィーテルオは学園での出来事や最近の王都の様子などを話題に出した。サラーティアは要所で説明を挟んでくれた。ヴィーテルオはうまく話を振ってくれた。だから、スージェアは置いてけぼりになることなく会話についていくことができた。
ヴィーテルオを見ているだけでなんだか胸の中にむずがゆいものを感じた。ずっと病床に就いていたスージェアは、同世代の男性とこんなに近くで話す機会がなかったのだ。
ヴィーテルオは伯爵家の三男で、この子爵家に婿入りすることになっている。サラーティアとの仲は良好で、優秀なヴィーテルオが子爵家を支えてくれると父は期待していた。家族みんながこの婚約を喜んでいる。
今回初めてお茶会に同席したが、二人の親密ぶりはこの短い時間でも察することができた。そのことを意識すると、急に面白くなくなってきた。いつも自分のことを大切にしてくれていた姉が嫁いでしまう。きっと自分よりこの素敵な男性を愛するようになってしまうのだろう。当たり前のことだとわかっていても、どうしようもないさみしさがある。
それに二人の話に相槌を打つばかりで全然話題の中心にはなれない。それも面白くないことだった。
そこでスージェアは閃いた。両親や姉との会話で中心になる方法。わがままを言うことだ。
「こんなに素敵な婚約者がいるなんて、お姉様はずるいずるい! わたしに譲って! ヴィーテルオ様、わたしを婚約者にしてください!」
スージェアはかわいらしくおねだりした。もちろん本気ではなく、冗談のつもりだった。両親や姉は、いつも笑ってスージェアのわがままを受け入れてくれる。この時も笑いが起き、姉にたしなめられて終わるのだと思っていた。
だが、そうはならなかった。
ヴィーテルオの表情が硬くなった。姉のサラーティアの顔がさっと青ざめた。先ほどまでの温かで穏やかな空気は失せた。場は一瞬にして冷たく硬質な空気に満たされた。
どうしたことかと視線を彷徨わせていると、ヴィーテルオの碧の瞳と目が合った。先ほどまでの優しさはかけらもない、冷たい目だった。スージェアはすくみ上った。
ヴィーテルオはつまらないものでも見たかのように視線を逸らすと、姉の方に向き直り口を開いた。
「サーラティア嬢。これはどういうことですか?」
「どういうことと申されても……」
「この場は我が伯爵家と貴女の子爵家とで催した、正式な婚約者同士の語らいの場。婚約とは家同士の重要な契約です。その重要性を理解していない者を、なぜ同席させたのかと聞いているのです」
ヴィーテルオの口調は静かだった。それ故に内包した怒りの深さがうかがえて、声を荒げるより恐ろしいものがあった。
スージェアも自分の冗談がとんでもなく無礼な言葉だったとようやく理解した。
婚約とは家同士が関係を結ぶこと。両家の名誉にかかわることであり、決して軽く扱ってはならない。知識としては知っていた。だが病弱な自分には関わりがないことと、真剣に考えたことはなかった。
スージェアは慌てて口を開いた。
「わ、わたしはそんなつもりはなくて、ただ冗談を……」
「誰が発言を許しましたか? 無作法者は口を閉じていなさい」
言い訳の言葉は取りつく島もなく遮られてしまった。
ヴィーテルオは伯爵家の三男であり、これから子爵家に婿入りしてくる。だが現時点では伯爵家の人間であり、この場において最も身分の高い人間ということになる。貴族社会において上下関係は絶対。その発言には従わなくてはならない。
そんな理屈がなくてもスージェアは口を挟むことはできなかっただろう。明日をも知れない重病に侵されていた彼女は、ずっと大事に育てられてきた。こんなに厳しい言葉を投げかけられたことなんてなかったのだ。
「申し訳ありません。妹はまだ礼儀作法を学び始めたばかりなんです。さきほどの言葉もきっと冗談のつもりだったのです。決してヴィーテルオ様に無礼を働く意図があったわけではありません」
サラーティアが妹の謝罪を代弁する。
それに対し、ヴィーテルオを首を横に振ってため息を吐いた。
「妹君が礼儀作法の初心者であることは最初から分かっています。先ほどのカーテシーも大目に見ました。会話の端々で身分差をわきまえない発言があったこともあえて見過ごしていました」
ちらりと視線を向けられて、スージェアはひっと身をすくませた。うまくやっていたつもりだったが、最初から自分の礼儀作法は未熟なものだったらしい。
ヴィーテルオはそんなスージェアのことをを気にした風もなく言葉を続けた。
「少々の無作法は仕方ないでしょう。そこまで厳しくしようとは思いません。しかし、先ほどの発言だけは見逃せません。家同士の契約を軽んじるなど、貴族にとって許されないことです。その契約の変更を子供が玩具をねだるように変えようなど……我がリープモンド伯爵家を侮辱するも同然です。冗談だからと済ませられることではありません」
「も、申し訳ありません!」
サラーティアは顔を真っ青にして頭を下げた。スージェアも姉に倣って頭を下げた。
礼儀作法を咎められ頭を下げるなど、貴族にとっては大変な恥だ。自分のちょっとした冗談のせいで姉がそんな恥をかくことになるなんて……スージェアは胸が苦しくて、泣きそうになった。
「ただ頭を下げればいいというものではありません。私が言いたいのは、妹君が未熟であることをわかっていながら、この場に同席させたという子爵家の判断です。これでは子爵家の格を疑わざるを得ません。そもそも、貴族というものは……」
それからヴィーテルオは貴族の在り方と守るべき作法について語った。
スージェアも姉のサラーティアも平身低頭して聞き入るばかりだった。
ヴィーテルオはスージェアには声をかけず、サラーティアばかりに厳しい言葉を投げかけた。子爵家におけるこの場の責任者は姉のサラーティアであり、妹スージェアの無作法は全て姉の責任だというのだ。
自分の失敗のせいで大好きな姉が責められる……それは直接叱られるよりもつらくて悲しくて、苦しかった。
やがて、永遠にも思える苦しい時間が過ぎた。やがてヴィーテルオの怒りも解けたのか、ようやく説教は終わった。
「今日のところはこれで失礼します。次までには妹君に礼儀作法というものをよく学ばせておくよう、くれぐれもお願いします」
そう言って、ヴィーテルオは立ち去った。
屋敷の前で彼を見送った直後、スージェアは気を失って倒れた。緊張と忍耐を強いられる説教の時間は、未だ身体の弱い彼女にとって相当な負担だったのだ。
スージェアが次に目を覚ましたのはベッドの上だった。
「よかった……目を覚ましてくれたのですね」
優しい声をかけてくれたのは姉のサラーティアだった。その目は少し腫れている。あの説教の間、姉は泣きそうになっていた。もしかしたら自分が気を失ってからも泣いていたのかもしれない。そのことを考えると、胸が締め付けられるように苦しかった。
「お姉様、ごめんなさい!」
スージェアは身を起こすと、すぐさま姉へ向けて頭を下げた。
そんな妹に対し、サラーティアは弱々しく首を横に振った。
「謝ることはありません。あなたがあの場であんな発言をしたのは、行儀作法を厳しく教えなかった私の過ち。ひいては家の過失です。あとでお父様とお母様にお話しして、ヴィーテルオ様に改めてきちんと謝罪しなくてはなりません」
サラーティアはあくまでスージェアのことを責めなかった。
そのことがかえってスージェアにはつらかった。悪かったのは自分なのに。姉は何も悪いことをしていないのに。姉だけが苦しんでいる。
スージェアは途端に恥ずかしくなった。かつては病気に苦しめられて何もできなかった。回復して起き上がれるようになってそこから解放されつつあった。でも病気だったころの甘え癖が抜けず、礼儀作法も勉強も本気で取り組んでいなかった。そのせいで姉を泣かせることになったのだ。
まだ身体は弱いとはいえ、病気を言い訳にはできない。他の貴族が当たり前にこなしていることをできないのは、恥ずかしいことだ。そのことを心の底から理解した。
「わたし、これから頑張る! もっともっと頑張って、礼儀作法を身に着けた完璧な令嬢になる! お姉様を二度と泣かせたりしない!」
スージェアは叫んだ。病弱な少女に似つかわしくない、力強い誓いだった。
「スージェア……そうね、あなたならきっとできるわ」
サラーティアは感極まったのか、瞳を潤ませながらほほ笑んだ。スージェアはこの笑顔を二度と曇らせてはいけないと、強く思った。
あのお茶会から一か月ほど過ぎた頃。ヴィーテルオのリープモンド伯爵家の庭園に設えられたテーブル。子爵令嬢サラーティアと伯爵子息ヴィーテルオが向かい合わせに席についていた。
つい先日あんなことがあったのに、そこに張りつめた雰囲気はない。むしろ穏やかで寛いだ空気が流れていた。
先に口を開いたのはヴィーテルオだ。
「先日は厳しく言い過ぎてしまいました。申し訳ありません」
「そんなことはありません。おかげで妹はすっかり心を入れ替えました。あれから一生懸命礼儀作法の勉強に励んでいます。ヴィーテルオ様には感謝してもし尽くせません」
「そうですか。それならよかったです」
サラーティアの言葉に、ヴィーテルオはほっと息を吐いた。
一か月前、ヴィーテルオが子爵家姉妹を厳しく叱責したこと。彼が本気で怒ったように見えたあの出来事は、全て狂言だったのだ。
スージェアはかつて重い病に侵されていた。いつ命を落としてもおかしくない、明日をも知れない状態だった。だから両親もサラーティアも、彼女の望むことは可能な限りかなえてやった。それは美しい家族のつながりだったが、そのことによりスージェアはすっかりわがままになってしまった。
完治は不可能とみられていたスージェアの病気だったが、近年、画期的な回復魔法が開発された。それはスージェアの病気に有効な魔法で、病状は劇的に回復へと向かった。このまま体調が安定すれば、貴族の学園にも通えるようになりそうだった。
外に出るとなれば、貴族として礼儀作法を身につけなければならない。教養だって必要だ。家庭教師をつけて少しずつ勉強を始めさせたものの、その進捗は芳しくなかった。スージェアは病気の間、ずっと甘やかされていた。病気に耐えること以外の努力というものをまるで知らなかったのだ。
そんな妹のことを、両親もサラーティアもあまり厳しくすることはできなかった。病気で苦しんでいたことを知るだけに、強く出ることにためらいがあったのだ。だがこのまま放置すれば社交界に出たときに何か問題を起こすことになる。そうしたとき、子爵家の力でかばいきれるとは限らない。そうなれば不幸になるのはスージェア自身だ。
どうすべきかと悩む子爵家に対し、ヴィーテルオが提案した。
「ならば私が厳しくしましょう。親族では難しくても、まだ外部の人間である私ならば厳しいことを言えます。子爵家を訪れた際、妹君を同席させてください。何か理由をつけて厳しく叱責いたしましょう。そうすれば妹君の勉強嫌いも少しは改まるはずです」
あえて汚れ役を買って出たヴィーテルオに両親は感激した。
「あのあと、妹君は寝込んでしまったと聞きました。大丈夫だったでしょうか?」
「寝込んでしまうとはこちらとしても予想外でした。でも、体の方は大丈夫です。今は元気にしています」
「それを聞いて安心しました。でも、それだけ妹君は善良な心根の持ち主だったということですね。実にいいことです」
「お恥ずかしい……でも、そう言ってもらえると胸が温かくなります」
スージェアを叱責するという計画を立てたが、懸念点があった。病弱なスージェアは厳しく叱られたことがほとんどない。そんな彼女をあまりに責め立てては体調を崩すかもしれない。だからサラーティアを叱責することで間接的にスージェアを責めることにした。
そして婚約者同士のお茶会で、スージェアは失言した。ヴィーテルは予定通り、スージェアの失敗を指摘した。そしてサラーティアを厳しく叱責した。
そこまでは予定通りだったが、スージェアは思った以上に姉思いだった。姉が叱責されたことでショックを受けて寝込んでしまった。想定外のことだったが、病気が再発するほどのものではなかった。
そして深く反省し、礼儀作法と教養を学ぶことに熱心になった。今では家庭教師が意欲的すぎて過ぎて困ると愚痴をこぼすほど頑張っているという。
「それにしても妹君が反省してくれて本当によかったです。もし彼女の心根が曲がっていたら、もっと厳しい手段を採っていたかもしれません」
「厳しい手段?」
「もっともっと妹君を怖がらせなくてはなりません。そうですね……頭に角でも生やして怒ればいいでしょうか?」
「まあ、ヴィーテルオ様ったら……」
冗談めかした言い方に、サラーティアは笑った。
ヴィーテルオはこの笑顔を守りたいと心底思っている。
ヴィーテルオはサラーティアのことを深く愛している。こんなに美しく優しい令嬢は他にいないと思っている。彼女の幸せのためなら、どんな障害も取り除くつもりでいる。それは妹ですら例外ではない。
もしスージェアが姉が叱責を受けても心を痛めず、むしろいい気味と思うような外道だったら……ヴィーテルオは彼女を排除していたことだろう。病弱ならば、病死に見せかけて暗殺することはそう難しいことではない。
むろん、それは最後の手段だ。妹を失えば優しいサラーティアは深く悲しむことだろう。それに暗殺したことが発覚すれば、夫婦間に取り返しのつかない亀裂を生んだかもしれない。そんな事態は避けるにこしたことはない。
「スージェア嬢のような純粋で善良な令嬢を義妹にすることができて、うれしく思います」
心の奥の刃を隠して微笑みながら、ヴィーテルオは愛する人と語り合うのだった。
終わり
もし婚約者の妹が「お姉様ずるいずるい! 婚約者をわたしにちょうだい!」なんて言い出したら、まず男の方が怒るんじゃないかな、みたいなことを思いました。
それから、自分が直接叱られるより、自分のせいで両親や姉が叱られた方がつらいこともあるんじゃないかと思ってそれも盛り込みました。
それでこういう話になりました。
今回は「わがままだけど善良な妹」になりました。わがままな妹は邪悪になりがちですが、たまにはこういうのでもいいかなあ、と思います。
2026/4/20 18:30頃
読み返して気になった細かなところをあちこち修正しました。




