07.銀色の光
ナディアの同意のような返答に、アリスティドは考える。
正直なところ、気のせいかもしれない。
髪は結えてあるし出会ったばかりで、見慣れていることもない。だが何故か拭えないその違いに、アリスティドは目を逸らせないでいた。
なにかが変わった? いや、変わった気がするだけなのか? 思考を巡らせているところへ、ナディアが口を挟む。
「アリス、やっぱり気のせいかも。私が髪を切った時、貴方一度も気付いたことないじゃない」
「え、そうなの?」
とぼけた返事にナディアはため息をついた。
「そーよ。乙女の変化に気付いたなんて考え、アリスには100年早くてよ」
そう言われてアリスティドは俯きながらも頭をかくしかなかった。
「さて、そろそろ行きましょうか。早く王都に行かなくっちゃ」
「……そうだな」
ナディアは馬車の御者であるジャックへ声をかけ、慣れた手つきで片付けを始める。アリスティドもそれにならう。
横目にメルを見て、でも気にしないように。
違和感は抱えたままで。
◆
日はすでに傾き、森の奥から冷たい風が運ばれてくる。ナディアは皆を守れるよう、野営地に魔法で展開した結界を張った後、メルと共に馬車の中で眠っている。
結界があるおかげでアリスティドも眠れるはずだった。だが、岩にもたれかかり、かがり火のゆらめきを眺めている。
昼間見た、メルの髪への違和感が消えない。
気のせいだと思うたびに、どうしてそう感じたのかが頭の中で反芻している。森を包んだ闇が、それを後押しした。
「…………気になる」
自分にしか聞こえない声でアリスティドは呟くと、息を潜めてゆっくり立ち上がる。
寝ている皆を起こさぬように。風も止んで木々の揺れがないうちに、馬車の中をゆっくり覗き込んだ。
――と同時に。
うぉぉおおおん……
何者かの遠吠えのような音。
木々の間を反響して、アリスティドの元へ。
「うぇっ」
驚いて肩を跳ね上げたアリスティドは、弾みで馬車を強く揺らしてしまった。
「んー……アリス……? なんなのよ、もう……」
ナディアは眠りを妨げられ、少し不機嫌に。いつもならこのまま蹴飛ばされるのを覚悟するのだが、またの機会にしてもらう。
「メルのことがやっぱり気になって、メルを見ようとしたら、なんかの遠吠えが聞こえてさ」
「えぇ……? 私にはなにも……、聞こえなかったわよ……?」
重い瞼を擦りながらもナディアは、横に寝ているメルへ顔を向けた。アリスティドも続く。
「「……メルがいない!!!」」
2人は辺りを探し、改めてメルが消えたことを認識した。
「ちょ、ちょっと待ってよ、結界を、ど、どうやって、抜けたって言うのよ……!」
「そんなことより探すぞ! メルが戻ってくるかもしれないからナディアはここにいてくれ!」
「あ、アリス!」
ナディアの制止をよそに、アリスティドは無意識に遠吠えの方へと駆け出した。
――夜の恒久の森は不気味だ。
アリスティドは幼い頃から、ずっとそう思っている。大人たちから『夜の森には近づくな』と、そう言われて育ったのもある。
メルを探して走る今も、そう思う。
ざわつく木々の揺れ、吸い込まれそうな闇、時折差し込む月の、光。
心臓の鼓動が一層速まるのは、走っているからか、はたまた恐いからか。
「僕がこう思うのなら、メルは余計に、だよな!」
自分を鼓舞して、前へ足を走らせた。
恐くないと言えば、嘘だ。だが恐らく自分よりも、メルの方が恐い思いをしているのではないだろうか。
家族離れ、知らない土地で知らない人達と過ごし今は暗い森の中で、独り。
もし、メルの身になにがあったらメルの家族に、父に、ナディアに……なんて言えばいい? ――そんな最悪な結末、自分自身が一番許さない。
「無事でいてくれよ、メル……! ――っなんだ、あの光……⁉︎」
突如、闇夜に現れた小さな銀色の光が、こちらに向かってくる。いや、アリスティドがそちらへ向かっていく。恐怖心をなんとか抑えて、足を前に出す。
段々と大きくなった光が、一瞬アリスティドを温かく包み込み、ふわりと輝きを抑えた。
優しく冷たい、光だった。
「…………メ、ル?」
光の中心に、メルは居た。
こちらに背を向けて立っている。
「よかった……メル、無事だったんだな……。……?」
メルの目の前にもうひとつ、居た。
アリスティドの膝が地面をつきながらも、確かにそれを見上げた。
向かい合って立っているのは、巨大な狼のような、なにか。
清々しく、そして、神々しい、何者か。
アリスティドはそれの正体がなんなのかは、分からなかった。だが背いてはならない、そんな感覚になってしまう。背筋に冷たく汗が流れるのを感じ、恐怖心と一緒に唾を飲み込んだ。薄く笑みが溢れる。
メルがアリスティドに気づいて、向けていた背をくるりと翻す。
「あ、あいちゅ!」
無邪気に笑うその幼女は、確かにメルだ。
しかし今見ているのは、最初に出会った頃と同じようで、同じでない。焼けた森で鎮火した時に見た存在に、少し寄っている。
メルは、彼女は。
「お前って一体、なんなんだ……?」
その言葉を理解しているかのように、輝く瞳が、アリスティドを捉えて離さない。
アリスティドもまた、メルから目を離せない。
「あいちゅーーー!!」
アリスティドの中にある感情とは裏腹に、メルは駆け寄ってきて抱きついてきた。反射的にメルを抱きしめ返すが、その手は震えている。
アリスティドの外側から内側まで逆撫でしたような感覚。銀色の光に、メルに。自然と身震いしてしまう。
こんな感覚、早く捨ててしまいたい。
「わんわん! あいちゅ、わんわん!」
無邪気に笑いながらメルは、アリスティドに話しかけ続ける。
「メル……そんなに喋れたのか……? あと僕の名前は、あいちゅじゃなくて、アリスだよ……」
アリスティドの頭は情報を処理しきれない。
夢でも見ているのだろうか。むしろ夢であってほしい。嬉しいのか泣きたいのか恐いのか、全てが混ざって訳が判らない。
王都に着くまで思考回路が焼き切れそうだ。
『――人の子よ』
「え……?」
頭の中で反響した声の主は、巨大な狼のような何かであることは確実だった。それはアリスティドの瞳を捉え、続けて言った。
『その子を必ず護れ。貴公に託すのは、あの御方の意向である』
「あのお方……? 託す? 意向? ……守れって……?」
『又会おう、人の子よ』
巨大な狼は、銀色の光を残して闇に消えてしまった。
「……いや、訳わかんねーって……」
メルを両腕に抱えながら、ぐちゃぐちゃの頭をなんとか回転させようとする。
だがそれとは裏腹に、耐えきれなくなった思考で、意識はぷつりと途絶えてしまう。徐々に小さくなり、ふと消えた銀色の光と共に、アリスティドは森の中へ沈んだ。
◆
「……ス」
「…………」
「……リス。アリス! いい加減起きなさい!」
「わっ⁉︎」
勢いよく起き上がると、そこは馬車の中だった。
揺れを感じ、移動中だと気付く。
「あれ……僕、なにがどうなった、んだっけ」
「アンタ、人がどれだけ心配したと…! ようやく見つけたと思ったら……森の中でメルと一緒に寝てたのよ」
ジャックさんと一緒に運ぶの大変だったんだから、と付け加えナディアは腕を組む。
昨晩の出来事。
アリスティドはぼんやりと思い出していきながら、眉間に皺を寄せ頭をかかえた。
「……ごめん、もう少し寝ていいか?」
「折角起こしたのにまた寝る気⁉︎ 王都は見えてきてるわよ、もう!」
目線だけを外にやると、恒久の森はとっくに後ろに見え、王都の方が近くなっていた。
アリスティドは、あの銀色の光を思い出して、メルを見た。彼女はにっこりしながら眠っている。きっと良い夢でも見ているのだろう。
「おやすみ」
「ちょ、こら! ……んもう!」
怒るナディアをよそに、アリスティドは再び目を閉じた。あれは夢ではなく、現実なんだと悟りながら。
国王との謁見まで、あともう少し。




