ゼフィールとエリュー
完結済み本編と合わせて、よろしくお願いいたします!
いつの時代だったかまでは憶えていない。昔の事をいつまでも頭に入れておいたら、正気を失う。忘れる事も必要だ。
ただそいつと、どう出会ったか。
頭の片隅くらいには、入れている。
精霊として生きてきた俺は、人間に興味があった。だからこそ今では、王都で人間に紛れて研究所の所長なんぞをしている訳だが。
その話はいいか。
とにかく、自分よりも弱い存在が何故生きていられるのか。どうやって繁栄を続けているのか。個としてどんな奴等がいるのか。
気になるだろう。
ないものねだりかもしれないが。
精霊の里を出て、しばらく一人で旅をしてみた。その旅は、まぁ中々に興味深いものだった。
豊かさと貧しさが明確に分かれている人間の世界。群れを作って生活している。
そんな中、俺のように一人でいる奴と出会った。
それがエリューだ。
煙が絶えず上がる、汚い灰色の街。
雨が降る中、裏路地でぶっ倒れていた。
「おい」
声をかけるが返事は無い。生きてはいる。白い服――白衣と脱げた靴。勿論水浸し。俺はしゃがんで、髪を掴み顔を上げさせる。ついでに頬を何回か叩いた。
「返事をしろ」
「……? っしゃ、借金取り⁉︎ もうちょっと待ってくださいごめんなさいぃ……」
そいつは割れた眼鏡を気にすることなく、地面に頭を擦り付けた。震えて、酷く怯えている。
「違う。ただの旅人だ」
「あっそうなんですね……良かったぁ。……ん?」
何かに気付いた様子で、そいつは顔を上げた。
眼鏡の奥の碧い目が、俺を一直線に捉える。沈黙の中を、雨の音だけが響いた。そしてずれた眼鏡の縁に手をかける。
「あのー。もしかしてアナタ、精霊……ですか?」
驚いて言葉を失う。
今まで出会ってきた人間達は、俺が精霊であると誰も気付かなかった。それを、こいつはすぐに見破った。
「……何故、そう思った」
「え? いやだって、精霊って魔力量めちゃくちゃあるじゃないですか。てゆうか、そもそも霊核の形。人間と違うじゃないですかぁ」
さも当たり前のように言っているが、そんなもの誰も知らない。少なくとも、この時代ではそうだった。
顎に手を当て、俺は考える。
こいつは、今までで一番面白いかもしれない。
「その話詳しく聞いてもいいか?」
「……いいですよー。ボクの家すぐそこなので」
その男が起き上がった途端、腹の虫が鳴った。
恥ずかしそうに頭を掻いている。
「その前に、お金貸してくれませんか? ご飯食べるお金、ないんです……」
幸いにも金は持っていた。人間の生活を知るために。手段は、想像に任せる。
◆
「あのぉ、本当にボクだけ食べて良かったんでしょうか?」
「リム……精霊が、飯を必要としない事くらい分かってるんだろう」
「そうでした! 大気中のマナを栄養源にしてるんでしたね」
酒場で飯を食わせた後、散らかった家に案内された。足の踏み場が無かったので、その上に乗る。
「てきとーに座っちゃってください。あ、ボクの名前はエウロスです。アナタは?」
「無い」
「……なんて?」
「だから、名は無い」
それを聞いて、エウロスの体は力が抜けたようだった。机を支えにして、辛うじて立っている。わなわなと震えている理由が、分からない。
「えぇえええっ!」
エウロスは声を急に荒げた。
耳が割れそうで、俺は顔をしかめる。
「うるさいな」
「ちょっと待ってちょっと待って。新発見すぎる! 精霊に名前がないなんて、こんなの誰も知らないぞ……!」
そして机に向かい始めた。ガリガリと羽ペンを走らせる音がする。白衣から水が滴り落ちて、床に散らばる紙が濡れていく。
察するに、こいつは精霊関連の研究者だ。
「もう少し片付けたらどうだ。魔術でどうとでもなるだろう」
「あぁそのことでしたら、難しいですねー」
筆を止める事なく、エウロスは続けた。
「ボク視えるんですよ。魔力の微妙な揺らぎとか、魔核の性質や形とか。あ、魔核っていうのは」
「霊核」
「そうです! なんか、他の人と違う目を持ってるらしいです。そのせいか知らないけど、ボクの魔核は普通の人よりだいぶ小さくて。魔術は得意じゃないんですねー」
本当に面白い男だ。霊核が見える奴なんて、聞いた事がない。しかも、精霊の事を大分調べ上げている。
「どうやって精霊の事を?」
「えっとー。小精霊や微精霊に聞きました」
「それは?」
「ボクが勝手に呼称してる名前ですね。形を保っていないような精霊の事です。で、アナタは大精霊」
「大……精霊……」
「はい。だって、絶対強いじゃないですか。人型だし。なんで人型なんですかね?」
精霊は精霊だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
人間用に決めたのだろう。それがどうにも『人間』らしくて、つい口元が緩んでしまう。
書き物が一区切りついたのか、こちらに向いてエウロスは椅子に腰掛けた。狭い部屋に無理矢理作られた本棚に、びっしりと埋まっている本。
それを眺めながら、エウロスは少しはにかんだ。哀しさを滲ませながら。
「ボクはね、この世界にある精霊に関する書物、間違いだらけだと思ってるんです。書かれている事と、ボクが視て聞いた事。かなり違うんですよ」
俺はただ黙ってその話を聞いた。
「小さい頃から研究してます。遊ぶのも、寝るのも、家族も。全部捨てたから、ずっと独りです。だから、アナタが話を聞いてくれて、めちゃくちゃ嬉しくて」
深く隈の入った目を閉じて、うつむくエウロス。
人間の時間は、短くて儚い。
「でも……多分時間が足りない。あーあ。せめて一緒に研究してくれる人がいればなぁ! もしくは永遠の命が欲しい!」
「俺が、手伝ってやろうか?」
つい、思ったことを口に出してしまった。
エウロスは、ばっと顔を上げた。
目を潤ませている。
「……ほんとに? いいんですか?」
「あ、あぁ。俺も人間について教えてもらえれば――」
「やった〜〜〜〜‼︎」
エウロスが俺に抱きつき、背中を叩く。なんとも言えない気持ちが、俺に降りかかる。こいつは、かなりうるさい。まぁそれもエウロスが死ぬまで耐えれば済む話だ。
「本当にありがとう! あーボクの魔力の全てをキミに捧げたい!」
「いらん」
「冷たいなぁ。そうだ、これから一緒に研究するなら名前がないと不便だよね。ボクが決めてあげるよ」
「……いらん」
俺から離れたエウロスは、腰に手を当てる。
勝手に俺の名前とやらを考え始めた。
「人間の生活に溶け込むなら、名前がないとダメだよ。そうだなぁ。……『ゼフィール』ってどう? 結構カッコイイでしょ?」
ゼフィール。
こいつの言う、『カッコイイ』の基準は正しいのか。ただ、人間に紛れるなら、名前は必要なのだろう。
なんでも好きに、呼んだら良い。
「じゃあそれで」
「了解! 改めてよろしく、ゼフィ!」
「……ゼフィールとは呼ばないのかよ」
エウロスは手を差し出してきた。
なんだこれは。
「握手って知らない? こうするんだよ」
俺の手を掴み、握った。エウロスを見ると笑っている。とりあえず、同じように手を握ってみた。
その瞬間、握り合った手を軸に風が吹いた。
しまった。これはマズい。
「……」
「今の何?」
「……本来精霊同士でしか発動しない筈の契約が、俺とお前の間で成立した」
「…………へ?」
何がマズいのか。
それは契約の内容が、判らない事だ。
「とりあえず、この部屋でも片付けるか」
「待って⁉︎ 契約って⁉︎ 詳しく!」
「黙れ」
俺はエウロスの口を、魔術で封じた。どうせ短い命と少し共にするだけ。こいつが死んだら、それで終わりだ。
などと思っていたが。
エウロスがこれを境に歳を取らなくなった。
契約の内容が判るのは、エウロスがエリューと名を改めた時。もうしばらく先の話だ。




