33.一瞬の隙
目の前の輝きがようやく収まり、アリスティドは目を開けた。
「っメル……?」
ゆっくり開いたはずのアリスティドの瞳。一際大きく開かれる。体の力が自然と抜けて、肘で体重を支えた。
目の前のそれは、息が止まる程美しかった。
天使、あるいは女神が顕現したかのような存在。
淡い桃色の光を放ちながら、静かに浮いていた。背中には魔力の粒子が揺らめいている。羽のように見えて、思わずアリスティドは目を擦った。
メルは今までより、ずっと成長していた。
人間で言えば、アリスティドと同じ歳程だろうか。純白のシンプルなドレスと、伸びた髪が風になびく。
そして彼女もまた、ゆっくりと瞳をひらいた。手を開いたり閉じたり。頬から髪へ指を滑らせる。後ろを振り返り、ドレスをひとつまみ。
困惑した表情で、アリスティドを見た。
「……な。なにこれ!」
「メルにわからないなら僕にも――」
「お前ら何をしたぁッッ!!」
どす黒く渦巻いた魔力の圧が、2人の動き全てを止める。目だけを僅かに動かすと、シャルルがこちらを凝視していた。
悪意のような嫉妬のような顔。優しさの欠片も残っていなかった。精霊女王の髪を雑に掴んだシャルルは叫ぶ。
「あれはどうやるんだあいつらに出来るのならば私にも出来るのだろうお前の力を私にもっとよこせさぁ早く!」
精霊女王は答えない。
いや、答えることができないでいた。髪がなびくだけで、指先の一つも動かない。
クソ、とシャルルは言葉を吐き捨てる。精霊女王を引き連れて、アリスティドとメルへ歩き出す。一歩踏み出すたびに、魔力の圧が肌を刺激してきた。
冷や汗がアリスティドの頬を伝う。
それでも、メルの手を再び握った。
アリスティドは杖を持ち、ふわりと立ち上がる。身体全身が温かい。胸の奥から泉のように魔力が溢れてくる。
人生で一番、自分が整っているような、そんな感覚。
折り畳み式の短く心許ない杖を、ほんの少しだけ振った。詠唱もしていないのに、魔力の波は水となり――荒海のようにシャルルへ向かってそのまま呑み込んだ。
「……嘘だろ?」
「アリス凄い!」
メルはアリスティドの肩に寄りかかり歓声を上げる。アリスティドは裏腹に、自身の力を信じる事ができないでいた。
(これが魔核の正常な、いや――)
思考は無理矢理遮られる。ばしゃりと弾けた水が、目にかかったからだ。顔を拭ってシャルルを見る。闇より深い魔力を垂れ流して、そこにいる。
「一筋縄じゃ、いかないよな」
「来るよ!」
メルの叫びと同時にシャルルは半透明の柱を、二人の頭上に展開。手を上から下へ振り下ろした。
「僕らを護る盾よ此処へ!」
アリスティドは杖を掲げて唱えた。分厚い盾のような魔法障壁は、柱を受け止める。重力がアリスティドの体を沈ませる。
メルがアリスティドの肩に置いた手から、更に魔力を流し込む。魔法障壁を押し上げて、柱を弾く。光の粒となって、消えた。
歯を食い縛ったシャルルは怒りに震えている。
次はどちらが動くのか。互いに見合った。だがシャルルは突然、後ろを向いてしまった。濡れた土を踏みにじりながら、左手を彼女の額に当てて、淡々と呟いた。
「汝、シャルル・ド・ルクエールの血肉となり糧となれ。精霊女王と制約の契約をここに誓う」
シャルルと精霊女王の間に、大きな魔法陣は現れる。複雑そうな術式が組み込まれていた。乾いた空気が辺り一帯に流れる。
風が運ぶ2人の魔力の混ざった圧。耐えながらも、アリスティドは叫ばずにはいられない。
「精霊女王になにをした!」
「……最初からこうすれば良かったのだ。次期女王に使おうと思っていたが、折角の準備が無駄になりそうだからの」
彼女は雷の荊から解放された。焦点が合わないまま、ふらふらとシャルルの横につく。
「……制約の内容は、どうするの?」
シャルルは黙り込んだ。
制約は両者の間でのみ有効。それを第三者に知られることとなれば無論、無効となる。
「……わかった」
精霊女王が呟いた。恐らくアリスティドとメルに知られないよう、頭の中で会話したのだろう。耳鳴りのような甲高い音が聞こえて、魔法陣と消えた。
その音を皮切りに、再びアリスティドを見たシャルル。少し老けただろうか。先程までの若さが失われていた。
アリスティドは無意識の中、一歩後ろに下がった。シャルルの眼は血走り、今まで以上に溢れ出る魔力。
背中を伝う汗が、アリスティドを逆撫でる。メルの手を強く握って、身体の震えを無理矢理止めた。
「次期女王を寄越せぇええぇえッッ!」
その叫びと共に、シャルルと精霊女王が飛んだ。速い。だが、視える。
「お前なんかに渡すかよ!!」
アリスティドもメルと一直線に向かっていく。
身体がとても軽い。
そしてアリスティドとシャルル、お互いは構えた。
「あっ……!」
メルが声を上げた時だった。
強風が全方向から押し寄せて、時間がゆっくりになったような感覚――漏れた魔力の流れがぶつかり合い、逆流した。
メルがそれに手を伸ばす。
桃色のリボンがついた小さな髪飾り――王都でアリスティドがメルにつけた髪飾りが、両者の間に浮いた。
月の光を反射して、髪飾りが光ったような気がした。シャルルがほんの一瞬だけ、意識をそちらに向ける。
アリスティドはその一瞬を見逃さなかった。
「僕を見ろと言っただろ!」
杖を握りしめた拳に魔力と怒り、全ての想いをのせて――思い切り、シャルルを殴った。




