25.肯定と否定の先
心臓を鷲掴みされたような、精霊女王の瞳。真っ直ぐにアリスティドを捉えている。逃げ場をなくすかのように。声を、絞り出す。
「そん……なの……」
決まってる、と言いかけた声が、喉の奥で引っかかる。ここまで来たのはメルの家族を探すため。それは多分、もう果たされたのだろう。だけれど。
(その先を、僕は考えていたのか)
15歳の誕生日に出会ったメルを、この後どうするのだ。家族の元へ帰すのか、家の掟に従い娶るのか。それを決めなければならないのは、アリスティドただ1人だけだった。
辺り一帯を静寂が包む。息遣いだけが聞こえるし、誰も動く気配がない。それはアリスティドにのしかかった。体が重い。
彼が次の言葉を紡がなければ、先へ行かせてもらえない。何故、声が出ないのだ。服の上から、胸の辺りをぐしゃりと握り潰す。
心臓の鼓動がうるさくて、苛つく。
ふと目前で、大きな瞳が揺れた。アリスティドの顔を、メルが覗き込んでいた。
「……アリス?」
ただアリスティドの名前を呼んだメル。愛称で呼ぶのは、ナディアの真似だろう。最初に出会った頃、こんな風に名前を呼ばれるなんて思ってもみなかった。妹のような娘のような、妻となる君から。
(――いや、違うだろ)
まだメルを妻にするとは、アリスティドは決めていない。誰からなんと言われようとも、それは自分で決めたい。
この先を決める為に、ここまで来たのだと主張するように、アリスティドの心臓はまだ動いている。繋いだ手に少し力を込める。汗で冷えきった身体が、少しだけ熱を帯びた。
それに気付いて、メルは笑いかけてくる。
今は、それだけで十分だった。
「……まだ、分かりません」
顔を上げる事ができない。それでも渇いた声をなんとか捻り出して、紡いでいく。辿々しく、荒々しく。
「分からないけれど、この手を離したら、いえ――離したくない。そう、思います」
小さな手を、両手で包み込む。
「…………そう」
アリスティドが言い終えて、短い静寂の後に精霊女王が呟いた。何を言われるのか分からなくて、身震いを抑えられない。それでも握った手を伝って、暖かいなにかが彼をなんとか保とうとしてくれる。1人ではない。
「……人間らしくていいんじゃない。ね、ゼフィール」
「俺は別にどうとでも」
「もう。可愛くない! あなたは? いいの?」
「アリスと一緒!」
「そっか」
肯定も否定もされなかった。メルの気持ちも、同じ方向を見ているようだった。肩の荷が、少しだけ降りたような気がする。
メルと見つめ合い、その瞳の未来に希望を見た、その時。あは、と笑いながら、精霊女王は無垢な声を上から降り注がせる。
「あぁ良かった、貴方達がそう言ってくれて。そうじゃなければ、森も私も消えちゃうところだった」
『女王!』
「んえ? 言っちゃいけなかった?」
どくん、と心臓が一際跳ねた。
アリスティドの意思とは裏腹に、反射で顔が勝手に上がる。せっかく軽くなった身体がまた、重くなる。石像にでもなってしまったようだった。
「……今……なん、て……?」
森が消える、と言ったらあの事しか浮かばない。脳裏に赤と緑のコントラストが蘇る。月夜に照らされた、燃え盛る赤と力尽きてゆく緑の、美しく儚い命の灯火が消えていく様。
精霊女王は自身の頭に、コツンと拳を打つ。子どもが悪戯をした時のように、随分と可愛らしかった。
「ごめん、今の聞かなかった事にして?」
「それはもう無理だろう、こいつには」
ゼフィールが声を上げる。そして、アリスティドの横についた。鋭い眼光を、彼が本当に仕える王に向けていた。魔力の波が漏れて出していて、隣にいるだけで肌が痛い。顎でアリスティドを指して、唸るような低い声は続けた。
「いくら精霊女王と言えど、物事には順序って奴があると思うが」
「ごめんって。ほら私ってば、人間と話したの久しぶりで――」
「話してください」
精霊女王の言葉を遮ったのは、アリスティドだった。唇を震わせながら、真実を辿る。
「……僕だけが見た、メルが消してくれたあの燃えた森は、本当に燃えていたのですか。……話してください」
目を丸くした精霊女王が、銀狼二柱へと目線を送った。二柱は互いを見合って一瞬、闇色の瞳が瞬きをし合った。そして精霊女王へ、肯定の頷きを見せる。溜め息のような息を吐いて、精霊女王は言う。
「……わかった。じゃあ話してあげる。その前に……」
くるりと振り返り、ゆっくりと、跳ねるように。
白い階段を駆け登る。
「座っていい? 立ってるの疲れちゃった!」
誰かの返事を聞く前に、白い階段の上に生えた樹木が連なった玉座へ座る。そして全員へ微笑み、夜空のような瞳は輝いた。
彼女は幼さを残した、強大なる精霊達の母だった。




