21.名付けの意味
鍵、と。マキアが言った。
何の意味があるのか、アリスティドには分からない。言葉通りの鍵なのか、或いは何かの比喩なのか。―― 自分の未来を決定するものなのか。
思考の海に沈みそうなアリスティドに気付いたマキアが声をかける。
「あぁ分かってるよ、大丈夫。その前にエリュー、確認だけれど、坊やに核の話は?」
「まだですね」
「だよね。それは今話しちゃった方がいいよ」
マキアは銀色の髪をかきあげて、脚を組み替える。引き換え、分が悪そうに口を尖らせているエリュー。両手の人差し指をつんつんしている。
あんなに忙しなく喋っていた彼が、こんなにも静かだとは。銀狼の格の高さをより、感じた気がする。そしてエリューは深呼吸をして一拍分、頭の中を静かにした。
「……じゃあ話すよ? これ結構大事な事だから良〜く聴いてね」
眼鏡の奥の、金色の瞳は鋭くなる。
真剣さが肌を伝って、背筋が伸びた。
「アリスくん。君の霊核は、多分、生まれつき欠けてる部分があるんだ」
「……ぷ、プシュケー、ノウス……?」
「あーそっか。ごめん、魔力の核の事だよ。君達の言葉だと、―― 聖核かな? それとも、魔核の方が分かりやすいかな?」
聖核、と聞くと聞き馴染みがあった。それは父が良く使っていた単語だった。聖書にその言葉はあり、人間の魔力量を測るもの。
ただ、一般的には「魔核」と呼ばれている。
そんな事よりも、その魔核が欠損しているとエリューは言った。しかも生まれつき。アリスティドは自身に、魔法の才能は無いとは思っていた。努力で補える、何とかなるとも思っている。
でもそれが欠損しているとなると、話は変わってくる。血の気が引くのがわかり、身体の力が抜けていく。青ざめるアリスティドに、ナディアはかける言葉が無い。
「待って待って! そんなに悲観しないで。最初にボクが言った事は憶えてる?」
「……最初、って」
「うん。初めましての時に言ったよね。祝福持ちだってキミにさ」
真っ白になった頭の中から、その時の記憶を手繰り寄せる。
『……もしかしてキミ、この子に名前付けた?』
『そうかだから祝福が! へー。いつどうやってこの子と契約したの? 多分それで発動してるよね。うわー、だからキミの核はそんなことになむ』
ハッと気付いたアリスティドは、反射的にメルを見た。今までと変わらない陽だまりがそこにある。何も言わずに、ずっと見てきた温かい笑顔でこちらを見ている。
「キミがその子に名前を付けた時に、契約が成立したはず。大精霊とアリスくんの間でね」
「そんな……。僕はそんな事全く……!」
「いや別に悪い事じゃないよ? むしろ良い方に向かってる! メルちゃんがアリスくんの欠けてるところを、少しずーつ補い始めてる」
エリューがにっこりと笑った。子を想う親のように。アリスティドは、眩しい祝福を宿したメルの瞳をただ、見つめた。
「精霊達が祝福を授ける時って、魔法を使う時や、それこそボクみたいに契りを交わす時もあるよ。アリスくんもそれなんだけど……。その子ゼフィよりも格が高いんじゃないかなぁ。ゼフィもここまでは、結論付けたんでしょ?」
「……あぁ」
アリスティドについていた残滓を追ってきたゼフィールは肯定した。点と点が徐々に繋がっていく。
「お前についていた残滓は、その幼子のものだろう。俺の力を感知して、防壁を張られた。それがあの閃光だ」
これも。
「……メルが捕えられた時に、アリスが放った光の矢の魔法。私以上の魔力量だったわよ……」
これも。
「メルちゃんを起こした時に、無意識で使ってた魔法は完全に共鳴の影響だね。あれでボクは確信したよ」
これも。
アリスティド1人に出せる力ではない。全て、メルが影響させた力だ。欠けた自分の魔力の核を、メルが補っていた。
気が付かなかった。
いや、気付かないフリをしていたのかもしれない。思い返せば最初から判り切った事だ。恒久の森が燃えたあの日に、あれ程の魔法を使って。魔力を封じられていた筈のアリスティドに、メルの魔力を感知できて。
人間の、幼女に出来る訳が無い。
アリスティドの中で、何かが変わる。
呼吸は次第に乱れていき、身体に上手く力が入らない。人生の中で一番、耐え難い。これがどんな感情なのか、分からない。
「アリス」
いつものように、メルはアリスティドに触れた。小さな手のひらから伝わる暖かいなにか。これは、多分、メルの魔力。力の源。
(――あぁそうかこれが、)
「これが、祝福ってやつなのか」
「……? んー? わかんない」
その力を使って、身体は自然とメルを抱きしめる。メルはずっと、アリスティドに力を分け与えていた。今はこれがアリスティドに出来る、精一杯の感謝だった。
「あら。情報過多だったかなぁ。そんな事ないと思うけれど」
「いやいや銀狼様! アリスくんは人間で、それこそまだ子どもですよ! ボクなら結構耐えられない!」
「……やはり弱いな、人は」
「…………」
ナディアは何も喋らない。声が上手く出ない。言葉を発したら、2人とずっと一緒に居た自分が無くなってしまいそうで。出るのは嗚咽と、静かな涙。
ゼフィールだけがそれに気付き、声をかける。
「お前も十分良くやってるんじゃないか? ずっと一緒に居たんだろ」
「……う、うるさ、い……! ひ、非人格、者……!」
「口だけは達者だな、ナディア。……頑張ったな」
「…………っ」
放っておいてほしいのに、話しかけてくる無神経な大精霊に気持ちが逆撫でされる。それでもナディアの頭に置かれた大きくて冷たい手。じわりと心が揺れて、また雫が零れ落ちた。




