15.逃走の一手
「殺せ」
その一言は、アリスティドの視界をぐにゃりとねじ曲げた。淡々と雑に放たれたその一言に、周りにいた兵士達は再び武器を構える。
どちらが先に動くのか。
全身から冷や汗が伝っていく。
「待て、シャルル」
その最中、とても冷たく凍りそうな低い声が、間を割った。ゼフィールが両者の間に立ち、シャルルを睨む。
「殺すだと? 契約と違うだろうが」
「契約。さて、なんのことだったかな」
「しらばっくれるなジジイ」
そんなやりとりが目の前で繰り広げられる。
「ちょっと待って何の話――」
「お前は黙れ」
一際鋭い言葉がアリスティドを貫いた。口をつぐもうとしたが、開いた口は塞がらない。完全に置いていかれたのこの状況に、誰も動くことができないままだ。
アリスティドは、何が起こっても良いように、震えながら杖を握り直した。勝手に進む話を見守りながら、汗ばんだ手に力を込める。
「こいつらは俺が先に見つけた研究対象だ。違うか? 前に言っただろう。俺の獲物は全てこちらに回すと」
「そんな昔の事、とうに忘れたわ。何十年前の話を今更!」
「ふざけるな。憶えてんじゃねぇか――よ!」
完全にアリスティド達へ背を向けたゼフィール。大きく振りかざした腕。なぞるように黒煙の輝く幕が、両者の間に現れる。向こう側が見えなくなった。
「良く聞け。今からお前達を逃してやる」
唖然とするアリスティド達に、ゼフィールは背中で言い放った。
「は? なんで……」
「気が変わった。あいつとの契約は、破棄だ」
「……相変わらず何を考えているのか、わからない男ね」
だが、アリスティド達は今、命を脅かされそうになっている。自分達の身を守ることが先決なのは明白。自然と体が身震いし、アリスティドは肩を抑えつけた。
(僕達よりもゼフィールは強い……。今は信じるしかない、か)
ナディアを見ると、不安を抱えた彼女は頷きだけを見せる。アリスティドも覚悟を、決めた。今は自分達とメルを、守るために。
「ゼフィール、案内を!」
「こっちだ。急ぐぞ」
ゼフィールが先導し、アリスティドはメルを小脇に抱えて走り出す。ナディアは瞬時に目眩しの魔法を部屋中に放ち、続いていく。
「待て!」
背中から声が聞こえてくるが、無論、無視。
謁見の間を出て、左へ。
次は右へ。
入り組んだ城をゼフィールはどんどん進んでいく。
「あ、足速く、ない、か⁉︎」
「私、ちょっと無理、かも……」
息がもたないアリスティドとナディアは、声を絞り出す。異様に足が速いゼフィールと、少しずつ差が開いていく。
「アリス、ナイア、あい」
小脇に抱えたメルが突然、右腕を挙げた。魔力が流れ込み、ふわりと体が軽くなる。驚きがゼフィールとの距離を再び縮めた。
「ありがとう、メル! すごい」
「詠唱、無しでこれって……」
アリスティドは感心し、ナディアはとほほ、と落ち込む。メルはにっこり笑って、口を開く。
「あのひと、らいじょーぶ」
指差す先には、ゼフィール。
「えっ……?」
「おい。こっちへ来い」
アリスティドが、メルの言葉の真意を問おうとしたが、ゼフィールに遮られてしまった。こっちへと促された場所は、なんの変哲もない壁だ。
ゼフィールが壁に手を当てると、じわりと地下へ続く狭い階段が現れる。
「追手が来る前に、入り口は閉じる。早く入れ」
「は、はいっ」
促されるまま、地下へと進んだ。最後にゼフィールが入り口を閉じると、辺りは一層薄暗くなる。
「灯りを」
アリスティドが杖へ魔力を込める。杖先から僅かな光が灯った。階段を降りた先に、長い一本道が現れた。ひたすら進んで行くと今度は、登り階段が現れる。
「俺が先に行こう」
後方にいたゼフィールが、先へ進んだ。
階段を登りながらナディアは、はたと気付く。
「ちょっと待ってよ。この先って……」
「お前はやはり察しが良いな」
ゼフィールは鼻を鳴らして笑いながら、たどり着いた壁に手を当てた。地下に入った時と同様、視界が開いていき、現れたのはどこかの部屋だった。
壁には何百冊と並ぶ本棚。
窓際に配置された机の周りの書類の束達。
それ以外は、程よく整頓されている。
「やっぱり……! ここ研究所、っていうか、所長室じゃない! 貴方これ勝手に作ったでしょう⁉︎」
「まぁ、王宮の中の奴らには、言ってないからな。バレなきゃいいんだ。城に行くのに遠いんだよ。ここは」
「そんなアリスみたいな屁理屈……!」
ゼフィールは少し、分が悪そうに頭を掻く。
「いいじゃん、とりあえず追手は撒けたみたいだし」
「アリスまで!」
真面目なナディアは、2人の適当さに頭を抱えた。でも、と続けて影を落としながら、表情を緩める。
「実際助けられちゃったものね……ありがとう」
「話は後だな。ここが気付かれるのも、時間の問題だ。こっちへ来い」
案内された場所へ、足早に向かう一行。所長室にある本棚の一角の前に立ち、ゼフィールが手を左から右へ、動かした。
本棚が静かに動き、そこにはアリスティド達4人がやっと入れそうな小さな部屋。ゼフィールが無言で入っていき、手招きをしてくる。
足元には、青白く光る魔法陣。建国祭の間は止まっているはずの、転移魔法陣のようだ。
ナディアはぶつぶつ文句を言いながらも後に続く。アリスティドもメルを抱えながら、意を決して入ろうとした。
バチッ
「うおっ」
「お」
アリスティドとメルが、反射的に声を上げた。痛みはない。だが拒絶するかのように、壁に弾かれる。
「……――あぁ、そうか」
ゼフィールは何かに気付いたように、目を見開いた。そして右手をメルに向けて、指でなにかを弾く動作をする。メルのまぶたがとろりと閉じて、そして気を失ってしまった。それを見てナディアが黙っているはずもなく。
「ちょ、ゼフィール! 貴方っ……」
「ただ眠らせただけだ。ナディア・ノイレンヴァイン、こいつはお前が連れておけ」
言われるがままにメルを抱き抱え、ナディアは呆れながらぽつりと呟く。
「あっそう……。……受け流してはいたけれど、貴方無詠唱で……良くそんなに使えるわね」
「はっ。ほら、共鳴は切った。早く入れアリスティド・ディエ・ココ」
「はぁ……」
4人は小部屋に集い、ゼフィールは呪文を唱える。
『汝の名の下に。今宵の夕暮れが月を反転させる時。今こそ我、ゼフィールとこの者達を導き給え』
それを皮切りに、輝きを増した魔法陣。
蒼い輝きが強まっていき、視界は真っ白になった。




