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10.王立精霊魔術研究所の所長

「しょ、所長、さん……?」

「そうだと言っているだろう」


 ゴミを見ているような冷たい目線を送りながら、黒ずくめの青年・ゼフィールは腕を組む。施設の存在はなんとなく、聞いたことはある。国王直属の研究所長となると、地位は高いのだろう。

 噂では精霊を捕まえては夜な夜な、非道な実験を行っているらしい。

 素直に、関わりたくない。


「えっと……僕急いでるんで、失礼しますね」


 椅子を鳴らしながらも、なんとか立ち上がるアリスティド。積んだ本に手をかけたが持ち上げることは、できなかった。


「待て。俺の話はまだ終わっていない」

「僕の方は終わったので」

「お前に付いた残滓は濃すぎる。俺はそれを付けた奴が、どこのどいつか知りたい」


 ゼフィールは積まれた本を押さえつけながら、アリスティドを制止させる。まるで氷漬けにでもなったかのような瞳と声に、体を動かすことができない。自然と冷や汗が頬を伝う。


「……すみません、僕は本当に知らないんです」

「なら最近、初めて会った奴は? 強い力を持つ者と接触……あるいはなにか攻撃を受けたことは? いや待てよ、攻撃を受けるだけでは、こんなには――」

「っごめんなさい!」


 何かに気付いたかのように瞳を細めながら、ゼフィールは思案の沼に(はま)り始めた。今だ、とアリスティドは本棚の間を抜けて行く。後ろから声をかけられるが、無視して走る。


 息も切れ切れに受付まで戻り、振り返ってみたがゼフィールは追って来ていなかった。額に汗を浮かべたアリスティドを見て、受付嬢は冷ややかな目線を送る。何度も謝罪しながら本を返し、足早に図書館を出た。


 ナディアに報告しよう――宿に戻るまで、心臓の鼓動は鳴り止むことは無かった。



「上手く逃げたとでも思っているのだろうな、奴は」


 追いかけることはせず、その場に留まるゼフィール。

 パチンと鳴らした指先から、薄墨色の光を放つ。その光は窓の外に見えるアリスティドの背中を追いかけ、貼り付くように消えた。


「……少々お前を調べさせてもらう」


 口元に軽く笑みを浮かべながら、彼も図書館を後にした。



「それは……また災難だったわね」


 一通り説明し終えた話を聞いての、ナディアの第一声である。ようやく緊張の糸が解けたアリスティドは、渇いた喉を潤しながら続けた。


「ナディア、その所長さん? のこと知ってる?」

「知ってるもなにも、前に一緒に仕事したわ」

「えっ⁉︎」


 意外な事実に、飲んでいた水を思わず溢してしまった。


「ちょっと……メルが寝てるんだから、静かにしてよ」


 そう言いながらもナディアは倒れたコップを拾い上げて、布巾を渡してくる。ありがとうと言って水を拭きながら、気になっていたことを口に出した。


「……あのさ、そのゼフィール、だっけ? あの人が言ってたのってもしかして、メルが関係あったりするのかな……?」

「メル? ……まぁ可能性はあるかもね。ほら、村を出た後に休憩した場所で、微精霊が集まってきたでしょう? そのことを言ってるんじゃないかしら」

「…………なるほど」


 布巾を水場に置きながら少し納得した。アリスティドにはナディアほど、精霊が感知できない。理解できる人からの助言に、彼は疑問を一度心の奥に仕舞うことにした。


「ちなみにゼフィールって、どんな感じの人? 僕、結構怖かったんだけど」

「そうねぇ。一言で言うならば、人を苛立たせる天才、かしら」


 ナディアの瞳の奥から、じわりと怒りが滲み出る。


「あいつ気に食わないことがあると、人に任せてた仕事取り上げて自分でやり出すのよ⁉︎ 怒られて泣いてしまう人もいたし、私はとにかく合わなくて、担当を変えてもらったわ」


 ゼフィールとナディア。2人が居合わせ、言い合いをしている場面を想像してみる。


 火花が散りそうなほど鋭い目線がぶつかり、口論が段々と熱を帯びていく――アリスティドは思わず口から「うわぁ」と声をもらしてしまった。


 絶対にその場に居合わせたくない。小さく身震いしたところに、横から物音が聞こえた。


「んうー……」


 開くことができない目を擦っているメルが、もぞもぞ動いている。完全には起きていないようだった。それを見たナディアは、メルの背中をぽんぽんと軽く叩いてやる。


「よしよし……。明日はメルの家族を探さなきゃだし、アリスも早く休んじゃいなさい」

「そうだな、僕も寝ちゃうよ。……すごく疲れた」

「私はまだ起きているから、なにかあったら声かけて」

「うん、おやすみ」


 疲労を少しでも回復できるよう、ベッドに潜り込む。外の賑わいは収まることを知らず、微かにアリスティドをくすぐった。

 毛布の隙間からメルを見ると、既に長いまつ毛を揺らしながら夢の中に戻っていた。傾いた陽の光が反射して、桃色の髪は時折輝いている。


 仕舞ったはずの感情が浮上するのを抑えるように毛布にくるまり、強く目を閉じた。

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