第8話 嫌われる理由
ようやく落ち着きを取り戻したアリシアさん。彼女はティーカップに入った紅茶を一口飲む。先程までの喧騒が嘘のような静かな時間が流れる。
「すみません。だいぶ取り乱してしまいました…」
「あ、いえ…お気になさらず」
私は苦笑い。とっても恥ずかしかったけど、アリシアさんの新たな一面が見れて新鮮だった。…まぁ、誰にも見られなくて良かったかな。
「それで、本題に入るんですが、シエルさんには是非、わたしの仕事のお手伝いをしていただきたいのです」
「お手伝い?」
私は首を傾げる。魔法省の仕事ってどんなことするのかな。
「はい。昨日、魔獣が最近増えているという話をしましたよね。対策を講じるにあたって、ますは生息域の現地調査をしに行くんです」
アリシアさんの声には責任感が滲んでいる。…現地調査か。魔獣が生息しているところだから、昨日みたいに町から離れた森林地帯とかかな。
「なるほど。場所はどこら辺なんですか?」
「この町から北に行ったところにある森に行きます。そこも最近目撃が増えているので」
こんな都会の近くの森でも増えてるのか…。昨日の魔獣の凶暴な姿が脳裏に蘇る。街の中に入ってきたら一大事だ。街に侵入して来ないうちに対策しておかないと。
「魔獣って昨日見た熊みたいなやつ以外にも種類があるんですよね?」
「えぇ。魔獣は動物が魔力による何らかの影響を受けて変異したものですので、動物の種類と同じ分だけ可能性があります」
うへぇ~…。それじゃあ、小動物だからって油断できないってことかぁ。リスとかウサギとかかわいい系の動物の魔獣とか見たくないよ…。あの愛らしい姿が凶暴な怪物になるなんて、悪夢でしかない。
「一番厄介なのは鳥類です。行動範囲がとても広いですし、街の中にも侵入してきますからね。ただ幸いなことに、今のところ鳥類の魔獣は目撃されていません」
アリシアさんの説明を聞きながら、私は空を飛ぶ魔獣の姿を想像してしまう。確かに鳥が魔獣だったら、どんなに高い塀を作ったって意味ないし、大型の鳥だと小さい子供が街中でも攫われそうで危険だよね…。
調査をするにしても、魔獣を倒せる実力が無いと危ないから、アリシアさんが行くことになってる訳ね。それで私もお供すると…。
「来ていただけます…?」
アリシアさんは私に来るかどうか尋ねる。一応私の同意を確認したいようだ。
……でも、なんか凄く来てほしい感じがヒシヒシと伝わってくる。猫が飼い主におねだりしているみたいな顔してるし…。これで仮に断ったら、めちゃくちゃ悲しみそう…。
「行きます」
私は微笑みを浮かべてそう答えた。途端、アリシアさんの表情が太陽のように明るくなった。わかりやすい……。
「ありがとうございますっ!」
「あ、アリシアさん…!また取り乱しそうです…!」
前のめりになるアリシアさんに慌ててブレーキをかける。身を乗り出してきた彼女との距離が急激に縮まり、私は反射的に身を引く。…また抱き着かれちゃいそう。
アリシアさんはハッとなって、恥ずかしそうに体を戻す。
「す、すみません…。つい嬉しくて…」
縮こまるアリシアさんに苦笑いした後、私は話を本題に戻す。このままだと話が進まなそうだし。
「それで、いつから行く感じです?」
「そうですね…、明日の朝から出ようと思います。野営は危険なので、原則夜は必ずここに戻る形にします」
私は内心ホッとした。もしかしたら野宿とかするのかなと思ったけど、いくら魔女でも寝ている間は無防備なので、そんなことはしないようだ。
出発が明日ということで、今日はこれでお開きかな。う~ん…どうしよ…。また街の散策でもするか。…お金あんまりないけど。
――なんてことを思っていると、アリシアさんが懐から小さな封筒を取り出した。上質な紙で作られた、品のある封筒だ。
「わたしが無理矢理連れてきた上、昨日もいろいろとやっていただいたので…、ささやかですが謝礼を」
そう告げて、お金が入っているであろう封筒を私に差し出した。私はそれを受け取り、予想以上の重みに驚く。失礼を承知でそーっと中を覗いてみると……、相当な額が入っていた。たった一日で…。
「こ、こ、こんなに貰っていいんですかっ!?」
私は思わず声が裏返ってしまった。
「もちろんです。決してお金で釣ってるわけではないですよ」
「受け取ったら魔女になってください…とか言わないですよね…?」
にこやかな笑顔を向けるアリシアさんに私はジト目を向ける。半分本気で疑っている。
「言わないですよ。本当は非常に言いたいところですけど」
「アリシアさんってば…」
冗談なのか本気なのかわからないセリフに、私は呆れ顔を浮かべた。
「それでは、今日はゆっくりとリフレッシュしてください。わたしは仕事があるので、これで失礼します。本当はシエルさんと一緒に買い物とかしたいんですけど…」
アリシアさんの声が徐々に小さくなっていく。瞳には名残惜しさが滲んでいる。
「あ、アリシアさん!?仕事しましょう仕事!」
アリシアさんがなんだか暴走気味である。私に抱き着いて変なスイッチ入っちゃったのかな…。
まぁでも、お小遣いも貰っちゃったし、ちょっと買い物してみようかな。
私とアリシアさんは立ち上がり、革張りのソファから離れる。部屋を出ようとアリシアさんがドアを開けると―――通路を二人の男性が急ぎ足で横切るのが見えた。一人は中年の男性で、目つきの鋭い厳格な顔立ちをしていた。もう一人はリヒトだった。
「ミルバ通りの西端の家だそうだ」
「わかりました」
二人の会話が耳に入ってきた。…何かあったのかな。リヒトの顔が一瞬見えたけど、昨日とは打って変わって真剣そのものだった。
私はボーっと二人が過ぎ去る様子を眺めていた。アリシアさんも隣に立って目を向け、顔を綻ばせる。
「リヒトくん、普段はああやって真面目に仕事してるんです。昨日はだいぶシエルさんに当たってましたけど…、悪い子ではないんです」
アリシアさんの声には、部下を思いやる優しさが込められている。
「……私、あいつのこと嫌いですけど、あいつが私を嫌っている理由もなんとなくわかるんです。あいつは…、首席で卒業した私がマイペースに生きているのが気に入らないんです」
私は視線を下に向けながらボソッと告げる。
「シエルさん…」
私がそのまま無言で俯いていると―――アリシアさんが私の前に回った。彼女の影が私の視界に映り込む。
「それならシエルさんが魔女になれば全部解決しますよ!」
両手で私の肩を掴み、目をキラキラさせて力説してきた。…またその方向に持っていったこの人!
「もぉぉー!アリシアさん!隙あらばと、魔女勧誘しないでくださいよ!」
私は両手の拳を握りしめて抗議する。
「ごめんなさい。…でも、わたし思うんです。今はお互いいがみ合っていても、お二人はいつか必ず、打ち解けあえる日が来ると」
アリシアさんは柔らかな笑みを浮かべる。…なんだか、その言葉が不思議と心に響いた。…本当にそんな日が来るんだろうか。でも、アリシアさんがそう言うなら、少しだけ信じてみてもいいのかもしれない。