第21話 なんだか楽しい
駐在所の他の人達が仕事を放棄して遊びに行っているというのは、にわかには信じ難い話だけど、リヒトの表情を見れば、それが事実だというのが直感的にわかった。
私はすぐさま立ち上がり、真剣な眼差しをリヒトに向ける。
「すぐにアリシアさん呼んでくるから!無理しちゃダメだよ!」
私はそう告げて、急いで執務室を出ようとするが、リヒトに腕を掴まれた。
「やめろ。アリシアさんを巻き込むわけにはいかない」
「なんで!?」
「あの人はまず新しい異動先に行かないとダメだ。それに、この件に下手に首を突っ込んだら……あの人のキャリアが傷つく」
「…!」
私はハッとする。リヒトは…アリシアさんの優しさをよく知っている。この件を伝えたら、間違いなく動いてくれるはず。けれど、相手がもしアリシアさんより位の高い人間だったら…、アリシアさんに報復しようとするかもしれない…。
「あんたもアリシアさんと一緒にさっさとメリーベルへ行け。俺が三ヶ月間やり過ごせばいいだけのことだ」
リヒトの声には諦めがあった。…それが何よりも耐えられなかった。私の前だと傲慢でムカつくやつなのに、仕事は真面目で一生懸命で…、こんなに負担を背負っても、逃げずにやり切ろうとする…。
「かっこいいよ」
「…は?」
「かっこいいけど、無理しすぎ。私はあんたが苦しむのを見過ごせない。どうしてもアリシアさんを巻き込みたくないなら…、私だけでも力になるよ」
私はそう告げて微笑みを向けた。今までだったらリヒトにこんなこと絶対言わなかったけど…、今は自然に言葉が出てくる。
すると、リヒトは掴んでいた手を離して、ため息をついた。…でも、今度のため息は今までのそれとは違った。
「変わったなおまえ。もう魔女になって良いんじゃないか?」
「えっ…!?な、なんて!?」
まさかリヒトから言われると思わなかったので、私は一転して動揺してしまう。それを見て、リヒトはおかしそうに笑った。
「元気出てきた。よし、それじゃこの書類だけでもやってしまうか」
リヒトはそう言って自分の席に座って、積み上げた書類に手をかける。私もリヒトの隣に座ってそれを手伝う。
「まずはこれやってみるか」
リヒトは私の前に書類を広げ、隣に辞書のように分厚い法律の本を置く。
「申請書が魔法使用規則に適合してるか見ていくんだ。だいたいよく見るところに付箋を貼ってるから、やってみてくれ」
「あ…うん」
私はコクリと頷く。なんだろう…すごく新鮮な感じ。
「なんだかリヒトが先輩みたい」
私が冗談混じりで小さく笑いながらそう言うと、リヒトはそっぽを向いた。
「後輩ならもっと素直に先輩の言うこと聞けよな」
「みたいだから!でも、今だけは素直に言うこと聞いてあげる。よーし、頑張ろっと!」
私は張り切って書類チェックに取り掛かる。…なんか、こんな状況なのにリヒトの表情が今まで見たことないくらい穏やか。ここ数日間で、リヒトの意外なところを見まくってるな…。
リヒトは黙々と書類を処理していく。スピードが早くて、手慣れている感じが凄い。表情も真剣そのもので、チラチラと見てしまう…。けれど、私も負けてられない。手伝うと言ったからには役立たないと。
この作業…魔法でもっと効率よくできないかな…。………おっ、良いこと思いついた。
「リヒト、魔法で早くチェックできるかも!」
私はそう告げて椅子から立ち上がると、右手に杖を発現させる。そして、杖を使って床に魔法陣を描き始めた。杖から放たれる細い光がペンのように線を描いていく。リヒトはその様子をじっと見つめている。
リヒトに見られて緊張するけど、カッコつけるために手早く魔法陣を描いていく。魔法陣が完成して銀色の光が放たれたら、今度は杖を法律が載っている本に向ける。そして、関係する文章の文字だけを浮かび上がらせ、文字を魔法陣に放り込んだ。
「よし、これで完成」
私は満足げな表情を浮かべると、書類を一つ手に取って魔法陣の中に置いた。―――すると、書類がフワッと少しだけ浮いた。
「これは問題ない書類だね」
私はそう告げて、リヒトにその書類を手渡した。リヒトはボーッとした表情で疑問符を浮かべていた。
「どういう原理なんだ?」
「文字に魔力を持たせたんだ。書類が問題なければ法律の文字と親和して、フワッと少しだけ浮くんだけど、不備があると反発して弾かれるんだ」
「…スゲェな。そんなこと思いつくなんて」
リヒトが感心の目を向けて褒めてきた。…あのリヒトが素直に褒めるなんて…、熱でもあるのかと疑ってしまいそう。…なのでちょっとからかってみたくなった。
「あれれ〜?傲慢リヒトくんが私のこと褒めるなんて、熱でもあるの〜?」
「あぁ!?」
リヒトが一転して青筋を浮かべ、私を睨みつける。その予想通りな反応に思わず笑ってしまった。
「あははははは!」
「前言撤回。やっぱおまえに魔女は百年はえーわ!」
「え〜?せっかく魔女になっても良いかなーって思ったのにー」
「遊んでないで仕事しろ仕事!」
「はーい」
私は不貞腐れた顔をするものの、顔が綻んでしまう。…なんだか楽しい。
それから、私の作った魔法陣を使って大量の書類を手早く捌いていき、今日やる予定の書類の山はもちろん、明日やる予定だった方の書類の山も処理することができた。
「ふぅ〜終わった〜」
私は達成感を存分に味わいながら所長の椅子にもたれ掛かる。所長の椅子は他の椅子よりお高いのか、座り心地が違う。
「おいおい…、自由人過ぎるだろ…」
所長の席でまったりする私を見て、リヒトは呆れ顔を浮かべる。
「遊んでてどうせ戻って来ないんだし、ちょっとくらい良いでしょ〜。ふわぁ〜眠い〜」
フカフカな座り心地のおかげで穏やかな眠気が訪れる。
―――しかし、次の瞬間、バタンと扉の開く音が響いた。




