第19話 リヒトの困りごと 前編
金曜日の朝、私とアリシアさんは支部長へお別れの挨拶をしていた。
「じゃあね二人とも。寂しくなるけど、二人の活躍を祈ってるわ」
リアーネさんが名残惜しそうに告げる。その表情には、アリシアさんを本当に大切に思っていることが表れていた。長い間一緒に働いてきた部下を送り出すのは、異動とは言え寂しいんだろうな。
「今までお世話になりました。リアーネ支部長の下で働けて本当に良かったです」
「もぉ〜、そんなこと言われたら涙出ちゃうわ。来週から色々と変わっちゃうわね〜。昨日もソフィーに、あれどうなってるんですか?これどうなってるんですか?って鬼詰められて、もう戦々恐々よ〜」
「ははは…」
リアーネさんは別の意味でも涙をこぼしそうで、私とアリシアさんは苦笑いを浮かべた。
リアーネさんと別れの挨拶を済ませた私達は、箒に乗ってミロルの街を去っていく。見慣れた街並みを背にして、私達は西へと向かう。
…なんか、数日間しか居なくて故郷でもないのに、なんとなく名残惜しい気分がある。私でこれなんだから、アリシアさんは計り知れないだろう。
―――そんなことを思いながらチラッとアリシアさんに目を向けると、タイミングを合わせるかのように目が合った。アリシアさんは普段と変わらない柔らかな笑みを浮かべる。
「シエルさん、メリーベルは海沿いの街なんですけど、夕日がすごく綺麗らしいんです」
アリシアさんは名残惜しいことを言わずに、次の目的地のことを早くも考えているようだ。なんか変に勘繰ってしまった自分が恥ずかしい。よく考えれば、全国規模の魔法省で働いてるんだから、住む場所が変わることへの抵抗がそんなに無いよね。
すると、アリシアさんが近づいてきて、またもやキラキラした目で私を見つめた。
「わたし、ぜひシエルさんと一緒に海に沈む夕日を眺めたいんです!」
「えっ!?そんなロマンチックな…!」
私は、アリシアさんと二人で砂浜に座って夕日を眺める姿を想像してみるが、もうやってることが恋人である。恥ずかしすぎて頭が沸騰しそう…。
今日の目的地はエクサロだけど、エクサロに行くまでにまず長時間飛行しなくてはいけない。そして、エクサロからメリーベルまではさらに半日くらいかかる距離らしい。…それでもって、月曜からは新しい職場で仕事をする…。社会人ハードだわ…。
でも、アリシアさんはそんなハードな状況でも私の面倒見てくれてるし、私も応えないと。
箒で飛ぶこと七時間。広大な畑の奥にエクサロの町が見えてきた。ちょっとスピードを速くしたおかげで、予定より一時間早く着くことができた。リヒトのところに顔を出した後は特に用事はないけど、この町を出るとしばらく山岳地帯となるため、今日はここまで。
町の規模は私の故郷よりは少し栄えているけど、ミロルと比べると格段に田舎といった感じだ。田舎者の私は別にどうってことないけど、都会暮らしに慣れていたであろうリヒトにとっては退屈なんじゃないだろうか。ふふふ…、あいつはちゃんと真面目に仕事してるかな?ちょっと拝見してやろうじゃないか。
私達は早速リヒトのいる駐在所へと向かう。そこは、普通の一軒家よりもやや大きいくらいのこぢんまりとした建物で、看板がなければ魔法省の建物だなんて思わないだろう。
アリシアさんが入口の木製扉をノックしてから開けて、私達は中へ足を踏み入れる。すると―――
「あれ、アリシアさんじゃないですか。どうしてここに?」
奥からリヒトがやってきて、珍しいものでも見るような表情を浮かべる。チラッと私にも目を向けてきたが、すぐに逸らされた。
「実はね、わたし来週からパルメ支部に異動になって…」
「マジすか…」
アリシアさんが異動の話を告げると、あのリヒトが珍しく、驚きというか、ショックを受けているような唖然とした表情を浮かべた。
「だからリヒトくんにも挨拶しとこうと思って」
「わざわざありがとうございます。…後任ってどなたなんですか?」
「本部にいたソフィーさんよ」
アリシアさんがそう告げた途端、リヒトは空を仰いだ。
「こらこら、そんな顔しないの!」
アリシアさんは困り笑いを浮かべる。……リヒトがこんな顔するなんて、なんだか意外。
「シエル!俺の顔ジロジロ見るな」
「えっ…!あっ…、なんかごめん…」
私がぼーっとリヒトの顔を見ていると、不意を突くように睨まれてしまう。別に何も悪いことしてないけど、とりあえず謝っておいた。そんな私達のやり取りを、アリシアさんはクスクスと笑いながら見ている。
「っていうか、この能天気魔法使いは足手纏いになってないですか?」
「シエルさん大活躍してるよ?魔獣調査だって、彼女がいなかったら進まなかったし」
ここへきて、リヒトは通常運転で私を蔑んできた。何が能天気魔法使いだ。相変わらず悪口だけは達者だな。けど、アリシアさんがあっけなくカウンターしてくれる。
「まぁ、せいぜい頑張れよ。今俺は忙しいんだ」
リヒトはため息混じりにそう言う。アリシアさんは辺りを見回した後、リヒトに視線を戻して尋ねる。
「他の人達は?」
「ちょっと立て続けに事件やらトラブルがありまして…、皆さん出払ってます」
リヒトはそう告げて再びため息をつく。ただ、今度のため息は、さっきのと違ってなんか重そうな…。私はふと、リュックのポケットに目を向けてみる―――と、ポケットが僅かに青く光っているのが見えた。
「あ…」
私は思わず声を漏らしてしまうが、すぐに平静を装った。
「どうしました?」
「あ、いえ…!なんでもないです!」
アリシアさんが不思議そうに尋ねるが、私は手を横に振ってごまかす。
「アリシアさん、私ちょっとこいつと話したいことがあるので、先に宿に行ってて良いですよ!」
私はそう言いながら、半ば強引にアリシアさんを外へと連れて行った。アリシアさんは不思議そうな表情を浮かべてはいるものの、深く詮索はせずに、素直に従ってくれた。
そして、私は再度リヒトの前に立った。リヒトも怪訝そうな顔を浮かべている。
「何だよ?文句でも言いにきたのか?あいにく俺は忙しいんだ。構ってる暇はないんだよ」
「うっさい。いいからまずはいこれ」
私はリュックから小さな布袋を取り出してぶっきらぼうに差し出す。
「何だよ?」
「受け取れ早く」
私は腕を伸ばして、押し付けるように袋をリヒトに寄せる。リヒトは渋々それを受け取るが、その瞬間、中身が何かわかったようだ。
「これ、クッキーか?」
「お、正解」
リヒトが見事中身を当てたので、私は口角を上げる。
「クッキーくれたお礼。久しぶりに作ったし、味が好みかわからないけど」
私がそう告げると、リヒトは少しの沈黙の後、ため息をついた。ため息つき過ぎでしょ…。
「せっかく礼したのに、なんでまた返すんだよ」
「良いじゃん別に。あんただって忙しいのにわざわざクッキー買ってくれたし」
「ったく…、あんたも負けず嫌いじゃねぇか」
リヒトはそう文句を言いつつ、袋から一口サイズのクッキーを取り出して口に入れる。…結構上手く焼けたと思ってるけど、どうかな…。
リヒトは何も言わずに二個目を取り出して口に入れる。そしてパクパク…と無言で次々と口に入れていく。…おい、なんか言えや!
そのままあっという間に最後の一つを口に入れ、私の手作りクッキーを一瞬で完食してしまった。
「おかわり」
リヒトは平然とした顔で手を差し出してきた。いやいや!夕食のパンじゃないんだから!
「もう無いよ…」
私が呆れ顔でそう告げると、リヒトは少し残念そうな顔を浮かべて手を引っ込めた。…意外と素直なところあるじゃん。
「…それで、話したいことって何だよ?」
リヒトが尋ねると、私は一転して真面目な表情でリヒトを見つめる。――青真珠が光っている。…それは、こいつが何か困っているからだ。
「あんた、何か困ってることあるでしょ」
そう告げた瞬間、リヒトは静かに驚いた表情を浮かべたのだった。




