第10話 嫌いなあいつから
ミロルに来て3日目を迎えた。この日は朝からアリシアさんと一緒に北の森へと魔獣調査へ向かう。
いそいそと宿の食堂で朝食を食べて、すぐに魔法省へと向かい、入口に着いたのは7時ちょうど。朝露で濡れた門柱が、朝日を受けてきらきらと輝いていた。
「アリシアさん!おはようございます」
入口のところで待っていたアリシアさんに挨拶する。いつもの黒い三角帽子を被り、きちんとした身なりで立っていた。アリシアさんは私に目を向けてニコリと笑みを浮かべる。その笑顔は朝の陽光のように柔らかい。
「おはようございます。すみません、朝早くから…」
「いえいえ!お手伝い初日ですし、張り切ってますよ!」
私は眠気とかは一切見せず、やる気満々な感じをアピールする。実際は少し眠いけれど、そんな素振りは見せられない。そんな私を見て、アリシアさんは安堵したような表情になった。
「心強いです。リヒトくんが今日からエクサロに三か月常駐になるので、シエルさんが居ていただけると、すごく助かります…」
エクサロというのはこの地方の西端にある町の名前である。名前しか聞いたことないようなところだけど、リヒトはそこに行くのか…。
「リヒトってもう出発したんですか?」
なぜか気になって尋ねてしまった。
「はい。私が6時すぎにここへ来た時ちょうど出ていくところでした。エクサロはここから8時間くらいはかかりますからね…」
はや…。しかも8時間って…、私がミロルへ来た時より遠いじゃん…。やっぱり同じ地方ですらこれだけ遠いのおかしいって…。
私とアリシアさんは中に向かって歩きながら会話を続ける。
「常駐ってどんなことするんですか?」
「同じ地方でもここから遠い場所ですと、対応が難しい場合があるため、何か所かに拠点を設けています。常駐する人間はその管轄エリアを担当するんです」
「へぇ~…。…それって出世コースなんですか?」
私はジト目で尋ねてみた。昨日のあいつの自慢話が頭に残っていたからだ。“キャリアは忙しい”という言葉が耳に蘇る。
私の意図を察したのか、アリシアさんは苦笑いを浮かべる。
「えぇ。拠点の場所にもよりますが、常駐は基本的に少数なので、エクサロのように管轄エリアが広くて町の数も多いと、生半可な人間では務まりません。リヒトくんはプライド高いところがありますが、仕事は素早く的確にこなしますから、そこを評価されての人選でしょう」
むむ…。そんなに大変な仕事なのか…。あいつがもうそんな重要な役を任されるなんて……、なんか……悔しい。
「……シエルさん?」
アリシアさんの声が耳に入って、私はハッとして顔を向ける。
「あ、いえ…別に何でもないですよ」
私はごまかすように困り笑いを浮かべて手を横に振る。危ない危ない…。変に意識してるって思われたくない。…っていうか、私は私なんだから、あいつのことなんてどうでもいいわけで、勝手に出世していけばいい。…私はそう自分に言い聞かせる。
アリシアさんは私をとある小部屋へと案内した。すると、テーブルの上に小包が置いてあった。綺麗な包装紙で丁寧に包まれている。アリシアさんはそれを手に取り、私に差し出してきた。……なんだろうこれ?お菓子?
「これ…、リヒトくんがシエルさんにって」
アリシアさんの声は少し遠慮がちだった。
「えっ…!?あいつが…!?」
私は驚愕する。なんであいつが私に?しかもこのタイミングで?
「本当は…、絶対に言わないでほしいって言われたんですけど…、シエルさん、昨日リヒトくんが魔獣に噛まれて負った怪我を治していただいたそうですね」
「え……、いや…その…」
私は動揺してすぐに返事ができず、口籠ってしまう。…あいつ、昨日のことアリシアさんに言ったんだ。
すると、アリシアさんは困り笑いを浮かべた。
「嫌いだけど、怪我治してもらったのでお礼はしておきますって」
……ほんと、ムカつく。
「なんか私の悪口とか言ってませんでした?」
「い、いえ…!」
アリシアさんがあからさまにドキッとした。…やっぱり言ってたんだな。
「隠さないで言ってください。あいつ何言ってたんですか!?」
私はアリシアさんに突っかかるように迫る。その勢いにアリシアさんはたじろいでしまう。
「それは…さすがに…」
頑なに言葉を濁すアリシアさんに、私はとびきりのジト目を向ける。無言の圧力をかけるが、それでも言おうとはしなかった。…あいつ、どんだけ酷いこと言ったんだ…。
私は気分がムカムカする中、包み紙を取って、箱を開けてみる。――と、色とりどりの、いろんな種類のクッキーが入っていた。チョコレートチップ、ナッツ入り、プレーンなど、丁寧に詰められている。
「わぁ…!おいしそうじゃないですか」
アリシアさんはクッキーの詰め合わせを見て、晴れやかな表情を浮かべる。
私も中身を見て、ムカムカ気分もいつの間にか消えて、ボーっとしてしまった。
「おいしそう…」
私は試しにクッキーを一つ手に取って口に運んでいく。ぱくっと口の中に入れて噛んでみると、バターのほのかな香りと上品な甘みが口いっぱいに広がった。
……なんだかとっても不思議な気分。
あいつ…、忙しいのにわざわざこれを用意して、アリシアさんに託して……。
窓から差し込む朝の光が、クッキーの箱を優しく照らしている。私も……頑張ってみようかな。
そんな気持ちが、胸の奥でゆっくりと芽生え始めていた。




