6.頬の熱
「……やすみ?」
翌日、ホームルーム近くになっても藤木の席が空いていたので新川に聞くと風邪を引いたらしく休みだと答えた。昨日まで元気そうだったし、追い込みのこの時期に体調崩すなんて。
空いている席がポツンとしていて寂しい。何となくモヤモヤして、僕は午前中ぼんやりと過ごした。いつもならがっついて食べる弁当は食欲がわかなくて箸が進まない。そんな俺の様子を見て新川が心配してくれた。
「福山も調子悪い? 大丈夫か」
「大丈夫、食欲ないだけ」
誤魔化したつもりだったんだけど、通用しなかったようで新川はじっと僕の顔を見つめながら聞いてきた。見つめられるなんて、以前ならドキドキしていたはずなのに、いまはそれどころではなかった。
「昨日のことが、気になってるの?」
「……」
新川の問いに僕は答えられなかった。沈黙は肯定と同じだ。
「……藤木さあ、前は志望の大学O大だったんだよ。無理なく狙えるからって。だけど俺が福山がS大志望らしいって話してから、すぐに志望校変えたんだ。わざわざ合格ラインスレスレの大学にね」
それを聞いて、僕は思わず目を見開いた。最初からS大を狙っていたとばかり思っていたからだ。志望校まで同じだなんてどこまで気が合うんだ、なんて思っていたけれど実は変えていたなんて。
「ふ、藤木はどうしてそんなことしたんだろう」
「それだけ福山と同じ大学に行きたかったんじゃない? 学校以外だとふたり、仲良いじゃん」
新川の言葉はチクチクと僕の心を突いてくる。志望校を変えて一緒に大学を目指していた藤木のこころを、僕は深く傷つけてしまった。
目の前の新川はもう僕から視線を外してパンを頬張っている。言葉には出さないけどきっとこう言いたいはずだ。『このまま喧嘩していていいのか』って。
僕は無言でコロッケを口に入れた。大好きなコロッケは、なんの味もしない。
放課後、僕はすぐさま藤木の家に向かった。連絡なしに家に行くのは二度目だ。前回は新川に彼女ができて、それを知った藤木が体調を崩した日。あの時は無愛想な顔をしながらも、家に入れてくれた。今日も僕を家に入れてくれるだろうか。勢いでチャイムを押すと、しばらくして玄関のドアが開く。
中から出てきたのはあの日と同じ藤木本人だった。ただ前と違うのはおでこに貼ってある冷却シート。藤木は僕を見るなり少しだけ緊張したような顔つきになった。
「……何?」
「風邪って聞いたからさ、スポドリとかいるかなって。この時間親御さん仕事中だろ? だから一人だろうと思って」
「……」
いつもより目が赤い。どうやら熱が高いようだ。昨日のことで怒って休んだんじゃないんだ、とホッとしたけれど、肩で息をしているし辛そうで心配だ。
「看病してやるよ」
「いい。お前まで風邪ひいたら試験に響くだろ」
「大丈夫。ほら、家に入って」
藤木の腕を取り、玄関の中へと促す。掴んだ腕が想像以上に熱い。僕は半ば強引にそのまま玄関に上がり込んだ。
家に入ったら藤木は諦めたのか素直に自室に入りベッドに横になる。僕は冷却シートを交換し藤木の額に貼ると少し気持ち良さそうだ。
「風邪うつって大学落ちたらどうすんだよ」
「藤木も落ちるだろ。また来年一緒に頑張ろうぜ」
「……俺と一緒の大学に行きたくないくせに」
藤木の言葉に心臓がちくりと痛んだ。やっぱり気にしてたんだ。僕は藤木の赤く潤んだ瞳を見つめ、頭を下げた。
「藤木、ごめん。咄嗟に出たとはいえ、あんなこと言って。もちろん本心じゃない。じゃなきゃあんなに一緒に勉強するわけないだろ」
「……」
「同じ大学行ってさ、授業一緒に聞いたりとか、昼飯食べたりとか、藤木と一緒だったら楽しそうだなって思いながら勉強してたし。お前も……そう思ってるだろ」
志望校を変えてまで僕と同じ大学に行きたいって、思っててくれたんだろ、と聞きたかったけどそれは新川から聞いた話だから、口にはしない。
しばらく沈黙が続きやがて藤木が呟いた。
「たまたま、希望することろが同じだっただけだ。でも福山がそう思うんだったら一緒に同じ大学に行ってやってもいい」
口を尖らせてそう言ったのを聞いて、僕はこの時初めて藤木が『可愛い』と思ってしまった。
(僕と行きたいくせに)
突如、なんだか藤木に触れたい衝動にかられ、ぼんやりとする藤木のほおに自分の手の甲を当てた。手が冷たかったから気持ちよかったのかもしれない。藤木は少し驚いた顔をしたものの、頬をすりすりとまるで猫のようにこすりつけてきた。
どれくらい時間が経ったのか。長く感じたけど、数分だったかもしれない。その間、僕は目を閉じた藤木のまつ毛が長いこと、目元に小さなほくろがあること……など観察していた。
「二人で絶対、合格しよう」
僕が宣言するように呟くと、すると藤木はゆっくりと頷き、ほおに触れていた手を退けた。
「……冷蔵庫にアイス、あるから食べる?」
「……うん」